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桑田佳祐作品で一番好きな曲は「TSUNAMI」でも「勝手にシンドバッド」でも「白い恋人達」でもなくて「SEA SIDE WOMAN BLUES」なんですよね

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貴方の一番好きな歌手の一番好きな歌ってなんですか?

 このブログを読んでいただいてる方ならもうお分かりでしょうけど、僕の一番好きなミュージシャンは桑田佳祐であり、一番好きなバンドはサザンオールスターズなんですよね。勿論、時々の自分の中の流行はあるけど、原点でありいつでも戻ってこれる場所が桑田佳祐の作品。

 日本に住んでらっしゃる方ならサザンオールスターズ桑田佳祐の作品に触れなかったことは無いとふじもと的統計で明らかに(ホントかよ)なっているんですけれども。おそらく気持ちの大きい小さいはあるけれど、桑田佳祐の作品でどれが一番好き?という問いになにかしらの答えがどんな人に聞いても返ってくるんじゃないかなと。

 「TSUNAMI」「勝手にシンドバッド」「白い恋人達」「真夏の果実」「波乗りジョニー」あたりが多く挙がりそうなところですかね。ファンでもこのあたりはやはり外せないところ。或いは「LOVE AFFAIR ~秘密のデート~」「栞のテーマ」「涙のキッス」辺りも人気がありそう。

そんな中で僕が一番好きな曲は「SEA SIDE WOMAN BLUES」なんですよね。

SEA SIDE WOMAN BLUES

SEA SIDE WOMAN BLUES

  • provided courtesy of iTunes

 勿論、桑田佳祐のどの曲も、或いは桑田佳祐作品以外の曲にも沢山の思い入れと沢山の「好き」が詰まってるし、曲に優劣はつけたくないし(それが音楽・芸術の魅力の一つだと思っているし)、他の曲が好きな人がもしかして不快になられても申し訳ないなという思いがある反面、この曲の特別性とか思い入れの深さははちょっと他の曲と比べてもやっぱりどこか僕の中で別格で。

 そこで今回の記事は如何に「SEA SIDE WOMAN BLUES」が傑作なのかをひたすらに語りたいと思います。ネタが局地的すぎるぞ大丈夫かな今回。

 では改めてまずはこの曲の簡単なプロフィールを。サザンオールスターズのシングル「01MESSANGER ~電子狂の詩~」のカップリングとして収録されて、その後アルバム「さくら」や企画盤「バラッド3 ~the album of LOVE~」にも収録されました。前川清とか北野武がカバーしてるんだけどその辺は色々ググってもらえればと。

早速歌詞から紐解いていきましょう。

惚れてフラれた女性(ひと)の名を
酔ったフリして呼んでみた

 出だしからこのクソ女々しい男感よ。別に酔おうが酔わまいが女の人の名前を呼べばいいのにわざわざ酔った振りをすることで自分に「酔い」という正当性を掲げる女々しさ。いやそもそも振られた女の名前呼ぶなよ女々しいなっていう。でもここに本当に共感してしまう。何故なら僕がどうしようもなく女々しいから。

あの日から大人になれなくて
独り身じゃ眠れない

 異性を想って、或いは好きな人を想って眠れなくなったことありますか?少なくとも僕はあります。何故なら女々しいから。ただ、この曲が僕のソレとは違うのが、この曲の主人公は振られたその日から時が止まってしまい、それ故に眠れないというところで。好きな人が居る時って毎日が眩しかったり、何故か頑張ろうとか思ったり、好きすぎて頭抱えたりするくらいポジティブになる、最早一種の麻薬的な側面が恋愛にはあると思ってるくらいなんだけど、振られた瞬間って世界のすべてが敵に見えたり、空は晴れてるのに雨降ってるみたいな気持ちになったり、もう辛過ぎて頭抱えたりするくらいネガティブというか、麻薬が切れたときの禁断症状みたいになる。それこそ時が止まった様ってのはホントその通りというか、今まで輝いていた世界が嘘みたいにくすんでしまい、それ故に時が止まった様に思ってしまうというか。めちゃくちゃ共感してしまう。

夏の終わりと知りながら
逢えば浮世(うきよ)の恋時(こいねぐら)
情けない男と言われても
振り返る渚橋

「情けない」とか「女々しい」とかスッゲー僕言われるんですよ。だからここまで敢えて自虐的に散々使ってみたんですけど。だから「女々しい」とか「情けない」って上から目線で言われるのスッゲームカつくんですけど。その上で敢えて書くんですけど、振られた女のこといつまでもグチグチ言ってりゃそりゃあ「情けない」とか「女々しい」とか言われても仕方ないよなとか思わなくもないし、そういう意味で僕から見ても「振られた女性を振り返ってる」この主人公は本当にどうしようもないくらい「情けない男」なんですよ。でも女々しくて情けねぇ僕はこの点において物凄い共感してしまう。

悲しくて酔えないこともある
涙を浮かべた水割りのせいだよ

 悲しくて酔えない、ってスゴイなと思うんですよ。酒を飲んでも飲んでも酔えないくらい気持ちが悲しみに向いている。この悲しみの深さは成人してる人はホント分かるんじゃないかなと。「振られたからやけ酒して忘れてやる」ってのはよくある話といえばよくある話なんだけど、この曲はその段階を越えちゃってて。この主人公の悲しみの暮れようが胸に刺さりまくって仕方がない。

今宵こそ濡れたい雨の中
口づけを交わした傘は無く
ひとり泣いた 嗚呼 夜です 

 雨に濡れたいときって人間だれしもあると僕は思ってるんですけど(無い?)この主人公は「今宵こそ濡れたい」つまりこれは裏を返せば恐らく何度かは濡れることすらも出来なかったんですよね。雨すらをも俺を避ける!というか。勿論天気に思考なんてものはないのだから、「雨が俺を避けている」なんてことはないんだけど、そう思う程の悲しみというか、失恋後の「なにも信じらんねぇ感」をあくまでもポップなテイストで表現してる一節。泣ける。

"愛"という字は真心(まごころ)で
"恋"という字にゃ下心(したごころ)
江ノ島に明かりが灯(とも)る頃
艶(いろ)づくは片瀬川

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"愛"という字は真心(まごころ)で "恋"という字にゃ下心(したごころ) って、まあ今となっては色んな人が言ってることなのかなと思うんだけど、当時聴いた時の衝撃たるや。うわ、マジだー!!っていう。聴いた当時の僕の年齢が中学2年生ということもあった衝撃だとが思うんだけど、でも今でもこの一節は僕の人生の指標の一つになってたり。この曲の主人公は「恋」つまり下心を見透かされて振られたのだと。人と人を繋ぐのは「真心」つまり愛なのだと教わったような。一方的な想いだけの「下心」ではなく、相手を思いやり相手の幸せを願う「愛」こそが人の道なのだと僕はこの曲に教わったのです。

やるせない今宵の南風
あの日と同(おんな)じ波音のせいだよ
夏の夜の花火と消えたのは
黄昏(たそがれ)という名の月明かり
君を抱いた 嗚呼 夜です

 ここはひたすら情景描写に徹している感じ。「南風」って大半の歌ではポジティブな感情をこめている、例えばポルノグラフィティの「オー!リバル」は「肌を焦がすような 南風が吹いた (中略)さあ始めよう Soul&Soul」とライバル同士が戦いを始める合図の意味を南風に持たせているけれど、この曲はその真逆の感情である「やるせなさ」つまりネガティブの極地の感情のモチーフとして使われているのがグッとくる。因みに「オー!リバル」もポルノの得意分野であるラテンテイストの集大成的なめちゃカッコよい曲なのでぜひ。

 「あの日」はきっと「君を抱いた」日のこと。この「君を抱いた 嗚呼 夜です」の「抱いた」はベッドを共にしたとかヤったヤラないの話というよりは「抱きしめた」という意味での「抱いた」だと思ってる。この主人公が唯一彼女にしてあげれたことが「抱きしめた」だけだったのでは、と。というかそうであってほしいという願望。「夏の夜の花火と消えた黄昏という名の月明かり」とは、自分のなかでの彼女に対する思いとの決別、折り合いをつけた事を夏の花火と月明かりに喩えたのだと。

悲しくて酔えないこともある
涙を浮かべた水割りのせいだよ
今宵こそ濡れたい雨の中
口づけを交わした傘は無く
ひとり泣いた 嗚呼 夜です
君がいない 嗚呼 海です

 ラストは1番サビの繰り返し構造。でも「君がいない 嗚呼 海です」の一節が追加されたことで改めてこの曲の「ご当地感」がグッと強くなる。ここまで触れてこなかったけど「渚橋」「江ノ島」「片瀬川」は皆ご存知鎌倉・藤沢・逗子周辺の地名で。僕の中ではこの主人公は逗子でデートして、鎌倉で振られて、藤沢あたりの安っぽいバーで飲んで、歩いて帰る辻堂辺りに住んでる男なんじゃないかなと。帰り道に海を見ながらまた一筋の涙を流してるんじゃないかなと。そんな妄想も捗る。

あとこの一節は「ダメ押し」的な役割も担っているなと。もうほとんど泣き落としに近い。涙腺への暴力。

「ブルース」という名前がついてることもあって、あくまでも音数は少ないし、聴く人次第では地味と捉えられかねない作風なんだけど、でもだからこそこの曲は良い。これでピアノポロリンウインドチャイムシャラララララみたいな曲だと重くなりすぎてしまう。そこまで重いところまでいかずに「下心」的なある種の軽薄さも併せ持ちつつ、でもしっとりと聞かせるこのアレンジ、本当に大正解。これだから泣ける。「涙のキッス」ほどテンション高めのアレンジ(あれはあれであの曲だからあのアレンジ)じゃなくて、かといって「いとしのエリー」やら「素敵な夢を叶えましょう」「蛍」ほど重すぎるアレンジ(あれはあれであの曲だからry)でもなく。この絶妙に軽薄さのあるしっとりとしたブルース。最高です。ちょっと演歌ちっく(だから前川清がカバーしたんだろうね)なのも、「水割り」とか出てくるこの歌詞世界にピッタリ。イントロのなんの音だかもよくわかんないけど、でもこの他の名にでもない音がもう...!って。

本当に、一番好きなサザンの中でも一番好きな曲。クソ情けない、クソ女々しい奴の曲だけど、だからこそグッとくる。沢山の人が支持するタイプの曲じゃないのは分かるけど、色んな人にこの曲の良さが伝わればいいな、と。

 

ここからは余談として。

fujimon-sas.hatenadiary.jp

 先日のこのポルノグラフィティの記事でも書きましたけど、当時中学3年生の僕はクラスメイトの女子(今で言うとラッパーのDAOKO似)に片思いをしてて、でも告白する勇気もなく、でもなぜだか僕がその子のことを好きなのは学年中周知の事実で(ホント俺としてもその子としても最悪)その子と仲の良い友達の女子がどう思っているか聞いてくれた(女々しいな)んですよ。まあ当然というか、ダメだと。その日はなんかテスト週間かなにかで、僕は友達と学校に残ってテスト勉強をしてたんですけど、手につく訳もなく。学年の先生とかが下校後のクラスの様子を見に教室に来た時になんか察してスゲー励ましてくれたりしたんですけど、全然元気にはなれなくて。家に帰って聞いた曲のひとつがこの「SEA SIDE WOMAN BLUES」で。当時の僕はこの曲聞いてエライ号泣したんですよね。出だしが「惚れてフラれた女性(ひと)の名を 酔ったフリして呼んでみた」で、サビが「悲しくて酔えないこともある」って歌詞の曲を中3が聞いて泣くんじゃねぇって話でね本当に。でも当時の僕には信じられない突き刺さったんですよこの曲が。

 で、そっからもう9年近く経って、サザンのライブにも3回程参加したんですけど未だに(というか当然...?)この曲はライブでは見れてない、というかそもそもFC限定ライブとかテレビ番組での披露以外のいわゆる一般向けライブだとかれこれ18年演奏してなくて。いや18年前って俺が6歳じゃねぇかと。

 「この曲を生で聞けないと俺は死ねない」とか思ってたけどもうライブで聞けないのかなぁなんて最近思ってたんですよ。そしたら昨日、2018年2月24日のラジオ番組「桑田佳祐やさしい夜遊び」で「SEA SIDE WOMAN BLUES」を生歌で桑田さんが披露してて。ひとしきり歌い終わると「今色々用意してるんですけどね」って旨の話をしてらして。当然今年はサザン40周年で、ライブもきっとあるだろうし。桑田さん、それはつまりサザンとしてこの歌を僕たちお客さんの前で披露してくれると期待していいんですね...? なんて思ったり。でも、本当に僕は聞きたい。中学3年生の時の僕の思いがライブで聞ければ報われる気がする。桑田さん、サザンオールスターズの皆さん、どうかお願い致します...!!

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