毎年恒例の #ベストソング 上半期編記事です!
遅い。
本当に書くのが遅くなり、今さら何を言ってるんだ世の中は既に
フジロックで盛り上がってるわいといった感じですね。今更ながら上半期ベスト、やらせて頂きます。
2019年も既に半分が経過し(さらにそこから1か月が経ち)ました。そして今年も既に沢山の名曲が世に放たれております。
今回も僕が上半期(1月頭から6月末まで)に聞いて良いなと思った15曲を選び、(便宜上)ランキングをつけてみました。
それでは15位から!宜しくどうぞー!!
ファンタ
ジーでドリーミングなJ-POP。それが近年の
SEKAI NO OWARIの
アイデンティティであり、大衆が抱いていた彼らへのイメージだったように思う。一方で彼らの魅力はそれだけじゃなく、現実をエグく描写するリアリズムであり、ドープな音像で文字通り彼らの「SEKAI」に引き込んでしまう所も彼らにしか成しえない魅力である。
彼らが今年リリースした「YOKOHAMA Blues」は、その中間に居る感覚と言うか、「横浜」という現実にある土地で、
SEKAI NO OWARIのフロントマンである
Fukaseが横浜でよく遊んでいたことをベースに歌にし、「炎上」というワードも飛び出すという極めてファンタ
ジーから乖離した曲でありながらも、「横浜」という土地が持つドラマ性やファンクでありながらも輝くような音色が印象的な
サウンドが相まって「写実的なのにドラマチック」な1曲に仕上がった。
ファン、そしてシーンに波乱を巻き起こした
ONE OK ROCKの新作「Eye of the Storm」。これまでの重厚なラウド・ギターロック方向ではなく、ポップ方向へと舵を切った
サウンドメイクは、ロックファンにとっては受け入れ難いモノだったのかもしれない。
しかし「Eye of the Storm」で鳴らされる
サウンドのポップセンス、開放感は誰にも否定できないモノだと考える。特に「Stand Out Fit In」における美しいオーケストラの旋律と、打ち込みによる上物のメロディ、何よりも地盤を創り出すバンドメンバーのビートとVo.Takaのあまりにも伸びやかな歌声が、今までにない
ONE OK ROCKを構成しているのだ。
彼らはアルバムの中で様々な音楽性を魅せるバンドではないが、これから先にそうした彼らがアルバムを作りだしたとき、
ONE OK ROCKはこれまで以上の場所に到達することだろう。
デビュー1年にして、既に日本音楽シーンの頂を極めてしまった
あいみょん。彼女が創り出す楽曲は「J-POP」「女性ポップシンガー」にイメージされる「底抜けの明るさ」とか「甘々のラブソング」というモノとは真逆の「憂い」や「ホロ苦い愛の詞」を抱く音楽性の一方「曲の構成のされ方」や「メロディ」はつくづくポップスのど真ん中を貫いて、その相反する2つのによって「
サブカル好き」にも「メジャーな音楽好き」にも、或いは「ドープな音楽ファン」にも「ライトな音楽リスナー」にも、つまりは万人に支持される「
あいみょん流・ポップス」が出来上がっているのではないだろうか。
この「GOOD NIGHT BABY」もまた、男女の愛情を、それも過剰にドラマチックではなくむしろあるがままの人が持つ愛を描いた美しい楽曲。これはきっと、令和の時代のJ-POPのスタンダードになることだろう。
元アイド
ルネッサンスの
原田珠々華によるソロプロジェクト。1本芯の通ったような彼女の印象深い歌声と、128√e980という彼女ならではの独特の表現が印象深い。粗削りながらも、「大人」と「子ども」の間でもがく16歳の原田だからこその青くて甘酸っぱい歌詞は、彼女のこれから先の音楽活動を大いに期待させる。アイドルから女性SSWに転向した例は幾つかあるだろうが(里咲りさなど)、彼女の歌声はアイド
ルネッサンス時代に「前髪」を歌っていた頃から目を見張るものがあった。彼女の躍進を祈るばかりだ。
ふじもと的、今年一押しの女性SSW、竹内アンナ。アコースティックギターとエレクトロサウンドは一見相性の悪いようで、彼女のスラッピングを取り入れたプレイが良い科学反応、良いグルーヴを生み出している。夏の暑い夜に聞きたくなるような、軽やかで気持ちの良くなる洗練されたサウンドと透明感のある歌声は女性SSWの新しい形を創り出したと言っても過言ではない。
OK musicのこのインタビューを読むと、
NakamuraEmi自身がネガティヴで、前に進むために曲を作るということが明かされている。彼女の代表曲「かかってこいよ」なんかはまさしく、わかりやすく「前に進むため」の音楽だ。
だが今年リリースの「雨のように泣いてやれ」はこれまでの
NakamuraEmiとは一転して「涙」を肯定する。それは彼女が今「涙」を肯定しなければ前に進めないと思ったからなのだと思うし、それは彼女に限ったことではなく、すべての人に当てはまるだろう。人間皆、涙を流して前に進むこともある。頑張る事だけで前に進める訳ではない。時に立ち止まり、雨に降られ、涙を流して成長することは悪いことではない、寧ろ良いことなのだ。
これまでのシティポップ路線とは一線を画すアルバム「THE ANIMAL」をリリースした
Suchmos。春からのアリーナツアー、そして秋には念願の
横浜スタジアムでのライブと、キャリアでも史上最大スケールのライブを控える中で、敢えてこうした「世間やファンが期待する作品」ではなく「自分たちがやりたいことをやりきった作品」を生み出すことは、彼らにとっても英断だったことだろう。
曲全体に漂うブルースのエッセンスは70~80年代を彷彿とさせ、歌詞もどこか現実離れした世界観で進んでいく。派手さは無い、むしろ地味。だがそれがどうにも心地よく、聞いているだけでまるでヨーロッパの美術館で絵画を眺めているような気分にさせられるのだ。金曜日の夜の東京に嫌気がさしていた湘南出身の男達には今、湘南の海を越えた場所の風が吹いている。
⑧「忘れられないの」 サカナクション
サカナクションが遂にリリースしたニューアルバム「834.194」。そのリードトラックとして各メディアでプレイされていた「忘れられないの」。
サカナクションというバンドがこれだけスターダムにのし上がったのは、彼らがただエレクトロやクラブミュージックを踏襲するだけでなく、そこに「歌
謡曲」の要素を散りばめたからこそだと僕は考えている。「
アイデンティティ」「
新宝島」。彼らのターニングポイントとなった楽曲にはいつも「歌
謡曲」の要素があったように思う。「エレクトロ、クラブミュージック」と「歌
謡曲」の調和こそ、
サカナクションのヒットの秘訣なのだ。
だが
サカナクションの楽曲に「歌
謡曲」の要素を取り入れること、つまり「ヒットし、ステージアップすること」「メジャーシーンで生きていくこと」は彼らにとっては諸刃の剣だった。「紅白」出演が彼らにとって大きなプレッシャーになっていたことは今回のアルバムリリースに際した各インタビューで語られていた事である。
rockinon.com
今回のアルバムはDisc 1を「東京」、Disc 2を「札幌」とし、2枚でコンセプトが明確に分かれた作品になっている。それは彼らが「メジャーシーンで戦い続ける」ことと「内向的な作品を作る事」を両立したいという表れだ。
そして今回の「忘れられないの」は、彼らにとって欠かせない「歌謡曲」の要素をふんだんに取り入れた作風となっている。
誤解を恐れずに言えば「忘れられないの」は「ダサイ」。何故なら「ダサさ」は「今時であるか否か」で決まる評価軸だからである。80年代~90年代初頭の歌謡曲に振り切ったこの曲は、全く今時の音楽性ではなく、そういう意味では「ダサイ」のだ。だが、この曲が持つ沢山の人に求心する力は計り知れない。それは歌謡曲というジャンルはどうしようもない程キャッチーだからに他ならない。サウンドだけでなく、MVのあの雰囲気も込みで、2019年では「敢えて」やらなければ生まれ得ないキャッチーさをこの曲は醸し出しているのだ。
歌謡曲に振り切ってみたり、クラブミュージックに振り切ってみたり、その合間だったり、そうやってサカナクションはこれからも聞く人をアッと言わせる音楽を作り続けることだろう。
ついに3人のみの音で音源をリリースした
Base Ball Bear。最新E.P.「
ポラリス」に収録された「試される」は、ベースの
関根史織が作曲に携わるなど、常にそれまでとは違う景色を魅せ続ける
ベボベの「いつも通り」な「新しさ」を更新する1曲となった。
金田一少年の事件簿のようなミステリアスな雰囲気の漂う詞でありながらも、この国で生きてきたからこそドキッとする歌詞も並ぶ。
得してる奴がさらに得して 損な奴はずっと損
あの中の誰かも犯人だが システムを疑えよ
罪も 罰も 悪も 正義も ゆれるだろ!
勿論これらの歌詞のベースには怪しさ漂うミステリーな舞台設定があるのだが、僕にはこの2つのフレーズがこの社会そのものに対するモノではないのかと思えて仕方がない。この社会というシステムそのものへの疑問、今まで当たり前だった概念が簡単に揺れ、覆されてしまう日々。そんな大きな大きな世界という館の中で僕たちは「試されてる」のかもしれない。
E.P.「
ポラリス」には同じく関根詩織が一部作曲に参加した「PARK」も収録されている。こちらはよりはっきりと社会派な楽曲になっている。最早、嫌ずっと前から彼らの魅力は「
檸檬」だけではない。それはきっと9月にリリース予定の2nd E.P.でも証明されることだろう。
今最もポップ
サウンドを鳴らすバンド、
Official髭男dism。昨年の「ノーダウト」以来その名はシーンを語る上で欠かせない存在となっていたが、今年に入るとその勢いは益々強くなり、遂に「ポスト
ミスチル」と言われる程の大躍進を果たした。
「Pretender」は、勿論メロの気持ち良さも、藤原聡のハイトーンボイスも魅力なのだが、1番僕が舌を巻いたのはこの曲の構造だ。
アルペジオから始まるイントロはギターらしくない音像・リフだ。我々聞き手は無意識の内にその違和感を抱えたまま曲を聞き進める。すると最後の最後、最初はギターで鳴らされていた
アルペジオのリフがピアノに生まれ変わって鳴らされる。その瞬間、聞き手が無意識に抱いていた違和感が晴れ渡る。イントロのギターリフは、聞き手を一気に引きつけると同時に、曲全体をストーリーとした時の伏線として機能させるその「構造」に僕はヤラれてしまった。
⑤「のめりこめ、震えろ。」Tempalay
その昔、日本には
ゆらゆら帝国というバンドが居た。高い演奏力と独特の
サイケデリックな音楽性でカルト的な人気を誇った彼らだったが、07年に解散した。彼らがキャリア最後にリリースした「空洞です」は、今でも日本ロック史を語る上で欠かせない作品になっている。
そんな
ゆらゆら帝国に影響を受け、2019年の今、狂気に満ちたローファイなサイケロックを鳴らすバンド、それがTempalayである。Gt.&Vo.の小原は各所で
ゆら帝からの影響を語っている。
その一方で、
ゆらゆら帝国にはない彼らの魅力は、Gt.&Vo.小原の歌声、そしてメロの2つが
ゆらゆら帝国以上にポップな聞こえ方をするところだと僕は考える。
勿論Tempalayの音楽性のベースには
サイケデリックなロックというモノがあるのだが、そこに過剰に振り切るのではなく、そのベースの上には小原のポップセンスや、キャッチーな歌声がある。それらはあくまでも「サイケ」という音楽性の上に成り立つ、絶妙なモノだとも思う。単に
ゆらゆら帝国の真似事をするでも、サイケに振り切るでも、ポップに舵を取るでもない、その間に上手く立ち音楽を鳴らしているからこそ、彼らは今、様々な場所で評価されたのではないだろうか。
今年、突然の活動休止を発表したきのこ帝国のVo.
佐藤千亜妃のソロプロジェクト。昨年「SickSickSickSick」でソロデビューを果たした彼女だが、いよいよその活動も本格化してきた。
メロの抜群なキャッチーさに対して、アレンジは妙技が光る。期待の新星として各所で徐々に評価の声が高まってきた踊Foot Worksのギタリスト、Tondenheyによるアレンジは、打ち込みをベースに、生活音、例えば水滴の落ちる音や、鍵の開く音なんかがそうなのだけど、そういった音を随所に配置してみたり、打ち込み中心の軽やかな
サウンドメイクに対してギターソロだけ
はやけに激しかったり、そういう曲全体に流れる違和感がこの曲を一層面白いモノにしている。
きのこ帝国の活動休止は残念だったが、その反面で彼女のソロ活動には大いに期待してしまう。きっときのこ帝国が活動を再開するまでは彼女のソロプロジェクトが楽しませてくれるはずだ。
今年最もブレイクしたバンド、King Gnu。最早説明不要の今一番勢いに乗る彼らだが、それを決定付けた楽曲がこの「Slumberland」だろう。
ロックバンドでありながらも、現在のロックバンド的なサウンドメイクからは一線を画した、既にスタジアムバンドの風格すら漂わせるエグいサウンドは一度聞いただけで虜になるが、彼らの魅力はその「エグさ」だけではない。
「Slumberland」だけではない。「白日」も「Frash!!」も全て、彼らの曲はサウンドやアレンジはエグく、メロは美しくポップ。それが彼らと他のバンドの決定的な違いだ。その様はまるで混沌としていながらも美しさも併せ持つキメラ。この怪物の行く先は果たしてどこなのだろう。予測不能なKing Gnuの歩む道が楽しみでならない。
fujimon-sas.hatenadiary.jp
②「Highway Cabriolet」 赤い公園
赤い公園新体制として公開された新曲「消えない」に続き、第二弾としてYouTube限定公開された「Highway Cabriolet」。オープンカーで深夜の高速道路を走るかの如く、疾走感がありながらもゆったりとした時間が心地よい1曲。そしてダンスチューンでありながらも、歪んだギターサウンドはあくまでも赤い公園がロックバンドであるということの表明になっている。キャッチーでミステリアス、ポップでロック。まさにKOIKIな新・赤い公園の新アルバムが楽しみだ。
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2019年上半期のふじもと的№1は
忘れらんねえよの「だっせー恋ばっかしやがって」。ロッキン・ライフで記事を書かせて頂いた通り、僕の上半期最後にして最大の音楽的出会い、その相手こそ他の誰でもない
忘れらんねえよだった。
6月の汗ばむ陽気の中で初めて目にした
忘れらんねえよは、
銀杏BOYZよりも一層童貞臭くて、[ALEXANDROS] みたいにカッコよくなんか全然無くて、なにより泥臭い。でも僕はそんな
忘れらんねえよが理屈抜きでどうしようもなく好きにになってしまった。
彼の歌には不器用なだっせー男が宿っている。そしてだっせー男にはだっせー男でしか感じえない感情がある。
忘れらんねえよの歌には、「だっせー恋ばっかしやがって」には、まるでうねる波のようにその感情が刻み込まれている。だから、僕のようなだっせー男はどうしようもなくだっせー程に共感してしまう。
秋には
忘れらんねえよのニューアルバムがリリース予定になっている。きっとこの曲も収録されることだろう。心待ちにしたい。