【CDレビュー】吉澤嘉代子が教えてくれた「言葉の奥深さ」 ~4th アルバム「女優姉妹」の女性の「性(せい)」と「性(さが)」を読み解く
今頃吉澤嘉代子「女優姉妹」レビューです。11月には書いていたんですけど、訳アリでUpしてませんでした。よろしくお願いします。
普段僕たちが何気なく使っている「言葉」の奥は深い。
人を喜ばせることも、悲しませることも、笑顔にすることも、泣かせてしまうことも、「言葉」の使い方ひとつでいとも簡単に出来てしまう。「言葉」は人を癒す薬にも、人を刺し殺す残酷なナイフにもなる。
シンガーソングライター、吉澤嘉代子。彼女が紡ぐ言葉もまた、深い。聴く者、或いは読む者を深い深い物語世界へと誘う。聞き手、読み手はその不条理な物語世界に笑顔にもなるし、首が取れそうなくらい頷く程に共感してしまうし、美しい言葉の羅列に涙してしまう。
2018年11月7日、彼女がリリースした4th アルバム「女優姉妹」。この作品は「女性の『性(せい)』と『性(さが)』」というふたつのテーマによって作られている。
まず一つ目のテーマ、女性の『性(せい)』。妖艶とも、スケベとも違う。「女性的な性(せい)」。例えば、「女優姉妹」の1曲目に収録された「鏡」の歌詞にはこんなフレーズがある。
否応なくドキッとしてしまうフレーズである。過去の彼女の楽曲には「うそつき」という、「女の子を好きになった女の子」がテーマのものがあったが、あの曲をさらにアップデートしたような描写だ。女性同士の秘密の関係。決して男性的ではない、女性ならではの「性(せい)」を感じるフレーズだ。
或いは、こんな曲も。
午後の撮影スタジオ 白い天井仰ぎ
視線に囲われながら 誰かと交じり合う
「女優」吉澤嘉代子
インタビュー等で吉澤自身が公言していることだが、この曲はポルノ女優を主人公とした楽曲である。それでもこの曲にいやらしさや下品さ(そもそもポルノ女優にそういうイメージを持つこと自体偏見じみているのかもしれないが)を感じず、むしろ「ポルノ女優が主人公」という設定を器にして、温もりのある永遠の愛を表現した1曲だ。
では、2つ目のテーマである「女性の性(さが)」はどうだろう。「怪盗メタモルフォーゼ」という曲にはこんなフレーズがある。
もしも誰かになれるなら 私は
もう決まっているでしょう
「怪盗メタモルフォーゼ」吉澤嘉代子
シングル「残ってる」のカップリングにCM versionとして収録されたこの曲、アルバム収録に際してヨーロピアン風のアレンジからアジアンチックなアレンジへ大幅にオケが変わったことも印象的だが、僕はCM versionには無かったこのフレーズにヤラれてしまった。
僕から見た女性は、どんな人もひとつ太い芯を持っている印象があって、それはひとつの「性(さが)」なのではないかとこの曲で気付かされた。この曲の主人公はきっと、誰かになるとしても自分自身を選ぶだろう。女性は場面や感情に合わせて化粧をして、綺麗な服を着ることで「変身」つまり「メタモルフォーゼ」するけれど、自分自身を信じているからこそ、自分自身を一層輝かせるために化粧をし、着飾るのだ。
あぁ 私は恥ずかしいの
いまとても恥ずかしい ただ恥ずかしいの
「恥ずかしい 」吉澤嘉代子
インディーズ時代の楽曲の再録となった「恥ずかしい」。男性より女性の方が羞恥心の目覚めは早いとされている。そしてその「恥ずかしさ」と言う感情の大きさも男性より女性の方が大きいと僕は思っていて、男児と女児を比べても、割と男の子はいつまでもちんちん丸出しで走り回っているイメージがあるけれど、女の子は男の子に比べても早い段階でオシャレや見た目に気を遣うようになる。「恥ずかしい」という感情は、女性ならではの「性(さが)」なのかもしれないとこの曲をこのアルバムの流れで聞くと改めて気付かされる。
そして、「性(せい)」と「性(さが)」の2つのテーマが共存し、それが大きな感情のうねりとなって押し寄せる、このアルバム1番の大きな軸であり、アルバムのクライマックスに配置されている「残ってる」。
まだ あなたが残ってる からだの奥に残ってる
ここもここどこかしこも あなただらけ
でも忙しい朝が 連れていっちゃうの
いかないで いかないで いかないで いかないで
私まだ 昨日を生きていたい
「残ってる」吉澤嘉代子
「朝帰りをしている女性が、天気に似つかわしくない格好で街を歩いていて、季節に取り残されたような気持ちにさせられる」というストーリーは「性(せい)」を感じずには居られないし、「あなたが体の奥に残っている」という感覚はどこか女性的で、これもまたひとつの「女性の性(さが)」なのだろうか。ひとつひとつの言葉がじんわりと、身体の中に沁み込んで、自分の心の中で熱く燃え上がるような、そんな曲だ。
ここで少し僕自身の話をしてみる。前述の通り僕は男だけれど、自他共に認める男性らしくない人間だ。小学生の頃から虫嫌い、運動嫌い、カッコイイものよりも可愛らしいモノの方が(女の子過ぎない程度に)好き。今でもInstagramにカフェや食事の写真を、下手をすると女性の友人以上にバンバンUpするし、恋愛における考え方も友人からはよく「女々しい」とか「男らしくない」と言われる。だからといって、恋愛対象や性対象が男性というわけではないし、自分の性別に悩むことも無かった。だが、そういうことが理由で生き辛いなと思う事も山ほどあったりもする。僕に限らず、男性も、女性的な考え方や視点を多かれ少なかれ持っている。勿論女性だって男性的な考え方を持っている人も沢山いることだろう。そんな人間誰しも、性別を問わず持ち合わせている「女性らしさ」が否応なくザワザワしてしまうのがこの「女優姉妹」というアルバムだ。
いつだったか、アレは「残ってる」がテレビ番組でフューチャーされて吉澤嘉代子というシンガーソングライターの名前が世に浸透し始めた頃だったか、後輩に吉澤嘉代子の話を熱心に話した。そうしたら「いやでも僕女性じゃないからあんまりこの曲に感情移入出来ないんですよね」と話していた。
たしかにな、と少し納得してしまった。自分がしたことも感じたことも無い経験や感情に共感することは難しいし、出来ないのは当然かもしれない。僕だって想いを寄せた人に抱かれてワンピースを着て朝帰りしたことは無いし、前述したように女性の「性(せい)」と「性(さが)」の全ては分からない。
でも僕は「残ってる」を聞く度に、胸を鷲掴みされ、感情の洪水が頭の中で止まらなくなって、同じ境遇を経験してもいないのに、どこかこの曲の主人公の気持ちと自分の経験を重ね合わせてしまうし、「女優姉妹」を聞いた時も涙が止まらなくなった。それはきっと理屈ではなく、彼女の紡ぐ言葉のひとつひとつが僕の心の奥深くにある琴線や、人間誰しも、僕も例外なく持ち合わせる「女性らしさ」に触れたからなのだろう。なにより、このアルバムに、そんな「男らしくない」と笑われていた自分を少し肯定されたような、「自分らしくあること」を肯定されたような、そんな気持ちにさせられた。それだけで、このアルバムは僕にとってかけがえのない作品だ。
吉澤嘉代子の音楽と巡り合って2年程しか経っていないのに、僕は何度、彼女の曲に励まされて、泣かされたらいいのか。それくらい彼女の作る曲たちは、彼女の紡ぐ言葉は、僕にとって、魅力がふんだんに詰め込まれている。作品を聴くたびに沢山の感情が渦巻いて、それでも最後には清々しい思いで聞き終わることが出来てしまう。聴くたび、読むたびに彼女の魅力に引き込まれて止まないのだ。彼女の言葉は、いや、彼女の音楽の奥は深い。そしてこの作品を通じて、改めて「言葉の奥深さ」を教わったような気持ちになった。
吉澤嘉代子の作る楽曲は、僕にとって音楽のタオルケットだ。彼女の紡ぐ言葉のひとつひとつが糸となり、物語という布を作り上げ、その布をサウンドやメロディで丁寧に織り上げられて作られた音楽というタオルケット。そのタオルケットはきっと、僕の心をこれからも暖め続ける。