吉澤嘉代子「女優ツアー2019」名古屋公演を観た!

f:id:fujimon_sas:20190307181953j:image

吉澤嘉代子「女優ツアー2019」見てきました。本編に纏わる直接的なネタバレはありません。このライブを見て生まれた僕の感情をただ書きます。

自分と対峙した時、人は何を想うのか。

 常々、吉澤さんの楽曲は人間の全てを描き出してると思っていて。酸いも甘いも苦味も旨味も、陽も陰もその真ん中も、そのどこにも属さないファジーな部分をも全部を包んでしまうのが吉澤嘉代子の音楽性。

だから、吉澤嘉代子の音楽を聞いてる時はまるで自分自身を見つめてるような気持ちにもなってくる。彼女は女性だから、記号としての「共感」、曲の中で起こる出来事そのものには共感出来ないことだってあるけど、その先にある「その感覚、僕の中にもあるな」とか「その感情、僕も思ったことあるな」という「本質的な共感」を何度もしてしまう。

人間はうつくしさだけを持ち合わせた生き物じゃない。「うつくしさ」以上に「醜さ」だって持ち合わせてるし、吉澤さんの楽曲にもそれは反映されてる。エゴ、嘘、欲望、弱さ。これらは「醜い」と言われる感情や要素だろう。それらをキャッチーでキラキラしたポップスに混ぜ込んで、何気なく、でも強烈に印象に残るように曲の端っこに置いてみたり、エグい曲でずっと醜さを曝け出すのが吉澤嘉代子という音楽家の恐ろしさ。

更に、彼女の曲やライブは、その「醜さ」を踏まえて、それすらも美しいと肯定する力を持っている。

f:id:fujimon_sas:20190307211508j:image

自分自身と対峙した時、人は何を想うのだろう。酷く醜く、矛盾したり欲望を剥き出しにしたり羞恥する、ありのままの己の姿を肯定出来るだろうか。そんな事を、今回のライブを見ながらずっと考えた。

そしてライブが終わる頃、僕の心の中にはひとつの答えが生まれる。

人はありのままの自分を肯定することが出来るように、全部ひっくるめてうつくしいと思えるように、今日を、明日を、人生を戦ってるのだと。

 

音楽を通して自分自身を見つめることが出来た、素敵なライブでした。吉澤嘉代子に愛と感謝を。