サザンオールスターズ 特別ライブ2020「Keep Smilin' 皆さん、ありがとうございます!!」のなにが画期的だったのか?
2月末以降、コロナ流行により各地のライブは根こそぎ延期・中止となり、ライブ・コンサート市場は大きな転換期を否応なしに迎えることとなった。近年の音楽産業はライブ・コンサートを大きな収入源にしていたこともあり、この事態には演者やスタッフ、そして我々観客も含め、音楽に触れる誰もが困惑した半年を過ごしたことだろう。未だライブ・コンサートの再開目処は立たず、年内はもう…という声も聞こえてくる。このままでは音楽市場はピンからキリまで共倒れてしまう。
そんな中で、サザンオールスターズが自身のデビュー42周年記念日に有料での配信ライブを横浜アリーナから配信。本記事ではその模様を交えながら、如何にこのライブがサザンとして、そしてこれまでの配信ライブと比べて画期的な物であったかを記していきたいと思う。
コロナ以前にも、ライブのネット配信というものは様々広く行われていた。しかしその多くはYouTubeやニコニコ動画などの無料プラットホームを活用した無料配信であり、有料での配信というものは多くなかったと思う。ましてサザンオールスターズは、古く遡ればTBS等の地上波テレビ、近年ではWOWOWなどの有料チャンネル、あるいは映画館でのライブビューイングなどによるライブの中継こそしてはきたが、ネットでのライブ中継は初の試みであった。
コロナ以降、特にライブ・コンサートが開催できない状況に陥って以降、無観客によるライブ中継の数は増えた。その先人を切ったのは打首獄門同好会やナンバーガールという、ライブハウスを主戦場とするロックバンドたちだった。
私はその両者共のライブを見たが、本当に無料で良いのかと心配してしまうほど充実した内容だった。が、彼らが無観客ライブを開催した段階ではあくまでも「元々ライブをするはずだった場所、せっかく空いているのだから無料で配信しよう」というようなニュアンスだったように思う。ここまで状況が長期化することも、まして無観客を前提に会場を借りてのライブが開催されることなど、皆想定していなかった。
その後、ライブ・コンサートが開催できない状況が長期化することが分かってくると、無料や有料を問わず、配信ライブや過去の映像作品配信が増えてくる。現在に至るまで、配信ライブを開催しているミュージシャンの多くはライブハウスを主戦場としていたり、ライブを活動の軸にしているバンドが多いように思う。一方で、過去の映像作品を無料配信しているミュージシャンの多くは所謂大御所と呼ばれるようなバンドだ。過去の映像作品全てを期間限定で全編フル公開したB'zや、直近のベストツアーを期間限定フル公開したMr.Childrenなどがそれに当たるだろう。
今回のサザンオールスターズの無観客の配信ライブが異例だったのは、彼ら程のキャリアとヒット作を持つバンドが他にそういった配信ライブを行っていないところだろう。だからこそ、開催前から他のバンド以上に全国的に話題になったのだ。
また、自身のファンクラブも含めれば合計8つにも及ぶ動画配信プラットフォームにて配信されたことも異例と言えるだろう。元来のライブ配信はどこか1か所のプラットフォームで配信することが当たり前とされてきた。その度に我々受け手は会員登録だのログインだのに頭を悩ませてきた。これが今回のサザンは多岐に及ぶプラットフォームで配信することで、チケット購入者が視聴プラットフォームを選択できるようになっていた。自分の好きなプラットフォーム、使い慣れているプラットフォームで視聴できるのは、これまでにない画期的なシステムだった。
ライブ本編の話をしていこう。今回のセットリストは既にサザンオールスターズ公式のTwitterアカウントが呟いており、また各種サブスクリプションサービスでもプレイリストが配信されているのでこちらを参考していただきたい。
思えば昨年開催されたサザンのツアー、通称「ふざけるなツアー」は、サザンの普段表には出てこないようなマニアックな顔を覗かせると共に、サザンの持つ豊富な音楽性を魅せるセットリストで、ヘビーリスナー垂涎の内容であったが、同時にライトファンを置き去りにしていくようなライブでもあった。
一方で今回のセットリストは、あくまでも「世間がイメージする」サザンを演じることがテーマに据えられていたように思う。切ないバラード、気持ち良い縦乗りのロックサウンド、夏、エロス。それは今回のライブの意義や、開催の経緯を考えればごく自然な物であり、寧ろこれで120点満点だ。ここ近年(それでも10年程度なのだが)のライブで演奏された曲ですべて構成されたセットリストは、ハッキリ意図的な物だろう。要所要所にそんな近年のライブを彷彿とさせる流れを汲んでいて、例えば1曲目の「YOU」から2曲目の「ミス・ブランニュー・ディ(MISS-BRAND NEW DAY)」の流れは08年の「真夏の大感謝祭」と全く同じ流れだし、「Big Star Blues(ビッグスターの悲劇)」から「フリフリ'65」は14年の「ひつじだよ!全員集合」でも同様の流れで演奏されていた。こういうところに思わずニヤリとしたファンは多いだろう。そして皆が待ち望んでいるレア曲はまたいつか会場で…という桑田さんなりのメッセージも込められたセットリストだったのではないか。
今回特筆したいのはセットリストよりも演出面である。
開演前、会場には実際のライブさながら影アナによる注意喚起が流れる。内容そのものは今回ならではのモノに置き換わっていたものの、徹底して実際のアナウンスに近い雰囲気で行われた。単純な注意喚起ならば、開始前の画に流しておけばよいのに、なぜわざわざ影アナによる注意喚起を行ったのか。それはきっと、画面越しであろうと、むしろだからこそ、如何に臨場感を生み出すか、如何にまるで見ているお客をそこにいるかのような気持ちにさせるか。それらを考え抜いた故の演出の1つとしての影アナだったのではないだろうか。
私がこれまでの配信ライブでどうも嫌だったのが、演奏の終わった後、演者のなんとも言えない居心地の悪さが伝わってくる感じだ。普段であれば、歓声や拍手が起こり、そこに対して演者もなんらかのアクションをしたりしなかったりする。普段からそういった「生の声」が起こることに慣れている演者が大半だし、我々受け手ももそれに慣れているだろう。それが無い、歓声の起こらない無観客ライブは圧倒的に『さみしい』のである。完全に歓声も拍手もない無観客ライブ、あるいはスタッフのまばらな拍手が聞こえてくる無観客ライブ。これまで様々見てきたが、やはりどうもさみしく、見ているこっちまで居心地が悪くなるのである。
それが今回のサザンは、ライブが始まると曲間にはほぼ通常と同じ音量で歓声のSEが入れ込まれ、MC中も歓声がSEによって実際のライブ会場さながらに入れ込まれていた。これは荒業ながら同時に画期的だった。舞台に立つ演者も居心地の悪さを感じず、普段と同じペースで話したり今日を締めたりできるだろうし、我々もさみしさを感じず、むしろ本当のライブを見ているような臨場感を感じられる。もちろんバンドの色によって様々だと思うが、これは他のバンドも出来るのであればしてほしい、配信ならではの演出だったように思う。
さらに今回のライブが画期的だったのは、徹底して普段通りのサザンオールスターズだったという部分だ。通常通りの舞台装置、通常通りの特効、通常通りのキャパ、通常通りの映像演出、普段は観客に配布される腕時計型ライトまでしっかりと客席に設置するなど、すべての演出が徹底して通常通りだったのだ。本来であれば、そもそも配信するだけなら横浜アリーナを借りる必要もないし、舞台装置も簡素にすればそれだけ金銭的にも楽な筈なのだが、彼らはいつも通り、全く持って通常通りのライブを行ったのである。それは今こそ、通常通りのサザンの「お祭り騒ぎ」を見せなくてはならないと桑田が思ったからだろうし、なによりも、もしかするとライブのテーマであった医療従事者を含む「皆さま」と同じかそれ以上に、今まさに困窮しているライブ市場を、スタッフを、業界を、少しでも勇気付けたいという思いもあったのではないだろうか。
今回ならではの演出も沢山あった。その場に観客がいないからこそ可能な演出が数多く詰め込まれていたのは本公演ならではだっただろう。本来であれば人が行き交うはずの通路に照明を配置したり、ミラーボールを設置したり、ダンサーが客席で踊り狂っていたり、通常ではありえないカメラワークがあったり。これらは皆、観客席に人がいないからこそできた演出だ。誤解を恐れずに言えば、これまでもこういった演出は無かったわけではなかった。ナンバーガールの無観客ライブでは森山未來が観客席でひとりで踊り、挙句舞台に上がりボーカルの煙草を吸う、なんて演出があったし、打首獄門同好会やナンバーガールと同じようにライブハウスで無観客ライブを開催したaikoも客席に人が居ないからこその照明演出を行っていた。しかしこれらはあくまでもライブハウス。この客席演出を横浜アリーナという大規模会場で行ったことにこそ、僕は圧倒的な意味があったように思う。
バンドメンバーのパフォーマンスも圧巻だった。もちろん演奏は42年という圧倒的なキャリアを持つサザンの寸分狂わぬ緻密なサウンドが全編に渡って繰り広げられた。桑田さんのボーカルは最初こそ不安定だったが、後半になると確実に調子が上がってきていたように感じた。惜しむらくは音声のMixが上手くいっていないように感じる部分があったことくらいだろうか。
「希望の轍」や「勝手にシンドバッド」のコロナに関する替え歌にはグッと来たし、なによりも僕が思わず涙しそうになったのは「東京VICTORY」の演出だろう。
時が止まったままの あの日のMy hometown
この曲のリリース当時は、東京五輪開催決定の後ろでなお避難が続いていた福島のことをイメージして歌われた詞であった一節が、コロナを経た今回のライブでは五輪が延期となった東京、そして新国立競技場のことを想起させる一節になっていた。実際、演者の後ろで流れる映像演出は、この詞の瞬間に他でもない新国立競技場が映し出されていたのである。桑田自身、新国立競技場の傍にあるビクタースタジオで幾つもの名曲を生み出してきた。「Smile~晴れ渡る空のように~」という、他でもないその場所でMVを撮影した曲もある。様々な想いが彼の中にもあったであろうことは容易に想像ができる。五輪という晴れやかな大会の舞台になるはずだったその場所が、聖なる火が灯るはずだったその場所が、今はジッとその時を待っている。そして来たるその日をライブを通して祈るように、客席に火が灯されていたのが印象深い。
そしてアンコールの最後に演奏された「みんなのうた」。
近年、この曲をライブで演奏する際はOvertureとして欠かさず「あの日から~」という曲を歌っている。08年の「真夏の大感謝祭」で無期限活動休止前最後にファンの背中を押すように「人生はこれからを夢見る事さ」と歌ったこの曲は、その後も詞を変えながら要所要所で演奏されてきた。そして今回も、このOvertureはこのライブが開催された意義を総括するような言葉を我々に投げかける。
人生は世の中を憂うことより
素晴らしい明日を夢見ることさ
サザンは元来より社会風刺も得意としてきたバンドである。それがあらぬ誤解を生んで炎上したこともあった。しかしそんな誤解も大衆音楽家としては避けては通れない、覚悟してやっているのだと桑田佳祐は当時名言していた。今回もコロナを交えて昨今の情勢をテーマに風刺っぽい曲を歌おうと思えばできただろう。しかし彼らはそれをしなかった。それは今回のライブのテーマとは全く一致しななかったからだ。サザンと聞いて沢山の人がイメージする夏やエロスや切なさをギュっと凝縮しながら、ライブの要所に人々を勇気付け、元気が出るような曲を配置する、まさにKeep Smilin'なライブを、徹底して彼らは目指し、その覚悟を持ってライブに臨んでいたのだ。
ライブの終わり、桑田さんはこんな風に画面越しの僕らに語り掛けた。
「みんなの居ない横浜アリーナは、やっぱりさみしいよー!」
まだまだ、この世界を憂う日々は続くことだろう。そんな時はこのライブのことを思い出しながら、サザンとまた、画面越しではなくライブ会場で会える日を夢見ながら、一歩一歩歩んでいけたらと思う。
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