映画「狂覗(きょうし)」感想 〜狂っているのは、誰?〜

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名古屋駅って、桜通口(東口・在来線側の出入口)はスゴく名古屋らしい栄え方をしていて、高島屋があってセントラルタワーズがあって大名古屋ビルヂングがあって...って所謂名古屋駅と言えばああいうものをイメージするのが桜通口。とはいえ本当に栄えているのは文字通り「栄(さかえ)」のあたりだったりするのだけど。一方の太閤通口(西口・新幹線側の出入口)は、出てすぐの辺りこそ、高速バスの停車場とかビッカメとかあって、名古屋駅らしい雰囲気がそれなりにあるんですけど、通りを一つ奥に進んだらもう飲み屋しか無いカオス空間なんですよね。なんか全体的にきったねぇ感じなのが太閤通口。

そんな太閤通口を少し進んだところにある老舗映画館のシネマスコーレに先日2、3年振りに行ってまいりました。シネマスコーレはインディー映画なんかを中心に上映している老舗の映画館。単館のミニシアター故、見たいなと思う作品があるか、じゃなけりゃ友達と勢いで行くくらいでしかなかなか行けない映画館なんだけど、上映作品もあまり追わなくなったしスコーレを知ってる友達なんか全然居なかったからすっかり足が遠のいてたんですよね。今年、研究室で同じ配属になった子と話してる中で、スコーレを知っていることにお互いが気付き、じゃあ行こうぜ!!となって今回見てきた映画がコチラ。

「狂覗(きょうし)」。以下、簡単な粗筋を。ネタバレ含みますので、予告編を見て気になられた方はこの先を読む前に見に行った方が良いです。

中学生教師が瀕死の状態で校長室から発見された。犯人は、様々な状況からも同校の学生である可能性が高い。

責任を押し付けられた科学教師の森は、中学生の現状を把握する必要があると、抜き打ち荷物検査を計画する。

抜き打ちといっても、普通の抜き打ち荷物検査ではない。生徒の立ち合いなし。生徒が体育の授業で教室不在の間を狙って行う秘密裏の荷物検査だ。

招集されたのは、3人の教師。そしてもうひとり。国語教諭の谷野だ。谷野は森の中学の頃の教え子。教師になってから事故をおこし、教職から遠ざかっていた谷野だが、森の手によって職場復帰を果たしていた。

こうして5人の教師による荷物検査が開始した。しかし、そんな荷物検査は、中学生の現状を露にすると共に、彼ら教師の実態をも明らかにしていく…。

そして更には、万田という少女の存在が明らかになっていく。中学生を牛耳る化け物ともいえる存在の生徒。それは容姿端麗で才女な女子生徒だった…。

学校が舞台のサスペンスホラー。最初は「告白」とか、じゃなかったら「渇き。」みたいなものを想像して行ったんですけど、ちょっと路線的にも違うもので。やはりこの作品、「ホラー」というところがミソ。単なるサスペンスではなく、ホラー的な要素も併せ持っているところが重要。合間合間にインサートされる主人公の回想は、過去に彼が起こした事故がキッカケで起きるものであり、彼の精神状態の不安定さ故に引き起こされるもの。そのシーンもなんとも言えない恐怖さが渦巻いている。こちらを指差して大きな口を開いて笑う、目元が何故か見えない子供。内容とは別のベクトルで、こういうひとつひとつの細かいシーンで恐怖を感じれるのは良いポイントだったなと。映像が結果的に20年近く前の機材で撮影されたこともあり、恐怖がより加速しているのもポイント高い。

正義の元に行われる「手荷物検査」だが、生徒の闇を暴くと共に教師である彼ら自身の闇をも暴き出す。売春に手を染める教師、学級崩壊を放置する教師、それらを黙認する教師。「教師をリンチする生徒なんか狂っている」という観客と映画内の共通認識が、段々と「狂っているのは教師も同じなのでは」と変わりだす。そもそも抜き打ちで本人らに黙って行われる荷物検査、というものが狂気に満ち満ちているのだが。

教師らはそんな中でひとつの正解を導き出した…つもりになる。「やはりこのクラスは狂っている」、そして「その中心には主犯格の女生徒がいる」と。そういう結論。これってでも結局手荷物検査を始める前とほぼ変わらない結論。「教師」という人種が如何に先入観で動いているかがよく分かる。確かにそんな経験、僕にもある。

物語は終盤になるにつれ、どんどんと加速する。主人公である谷野はいよいよ精神状態が悪化し半分発狂のような状態に陥る。教室から逃げ出してしまった彼は、真実に気付く。主犯と思われていた「万田」という女生徒は、実はいじめられていた側なのでは?と。体育の授業中のはずの外を見やると万田の姿は無い。教室に戻っても万田は戻っていない。教室に施された様々なギミックを経て、谷野は「万田はずっと教室内にいた」ということに気付く。と、ここまでの展開だけでも結構鳥肌モノというか。とんでもないところを見られていただとか、主犯だと思っていたやつが実はいじめられていた側だとか。そういう諸々が頭を掠めている内に、ある「キッカケ」でイカれてしまった教師の一人が万田を滅多刺しにする。この表現も上手くて、滅多刺しを直接見せることはせずに、「万田自身は教室内にずっと潜んでいた」というギミックを上手く利用して、直接見せることなく、しかし見ている我々を最大値の恐怖に陥れる。このあたりはホント是非劇場で見てほしいところ。滅多刺しと同じタイミングで授業のベルが鳴り、教室に生徒たちは戻ってくる。イカれた教師は焦り、そのまま窓から落下、たまたま置いてあった机に教師が突き刺さり死亡したところでこの物語は終幕を迎える。話の展開だけ聞いたらきっとトンデモ映画じゃないかと思うだろうし、実際この展開が5~6分で行われてめまぐるしさにクラクラしてくるし、映画が終わった瞬間の疲弊感はハンパじゃないし、そこまでの物語が頭からすっ飛んでしまう程度には衝撃的なシーンなのだけど。でも、物凄く見る意義のあるシーンだと思う。「ホラーサスペンス」の真髄というか、ただ単に恐怖だけでなく色んな伏線を経てあそこに辿り着くからこその「ホラーサスペンス」というか。

スゴク簡単に話の内容を記してきたけど、クラスに散らされた伏線とその回収を経て最後に辿り着きます。だからこそ「ストーリー的な伏線」、何故最初にリンチされた教師はリンチされなくてはならなかったのか、だとか。そのへんのことは割りと放置されたまま(教師陣の想像だけで実際に語られること無く)終わってしまいました。そこはちょっとだけ残念でした。

結局この物語は、出てくる主要登場人物の大半は狂っていました。クラスメイトも、教師も。皆狂っていた。正しさなんて、正しそうな人なんで、一瞬で狂気に、狂人に変わってしまうのだ、ということを教わった気がしています。

この「狂覗」、決して万人に薦められる映画ではありません。しかし、見た後に何か残る、見る人によってその「残るもの」は違うでしょうが、絶対に何かが残る。そういう映画だと思います。

最後に、主演の谷野を演じた杉山樹志さんが8月に亡くなったそうです。正直こんなこと言ったら不謹慎かもしれないけれど、映画の内容と相まってスゴク驚きました。「この映画の後にそれって、そんなことある?」と思わずには正直いられませんでした。この映画における杉山さんの演技は、恐怖をより掻き立てるようなモノばかりでした。ご冥福をお祈りします。

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