音楽と映像のこれから~岡崎体育は何故成功したのか~
音楽とは音による芸術である。そして音とは人間が持つ聴覚で感じ取ることのできる内容である。当たり前のことだ。しかしこんな当たり前のことが、今まさに変わろうとしている。
岡崎体育。京都出身のシンガーソングライター。2016年上半期において最大のブレイクを果たしたミュージシャンのひとりだ。ブレイク以降の彼の活動は、それまで活動の拠点の1つであったインターネットをきっかけに、大型フェスなどに多数出演。ライブシーンに大きな爪痕を残した。メディアでも大きく取り上げられ、音楽番組に留まらずバラエティー番組にも出演しトークで笑いを巻き起こしていた。その姿はとても歌手のそれには見えない。何故、岡崎体育はそんな特異・奇妙な大ブレイクを果たしたのか。
彼の楽曲には「映像ありき」で作られているモノが多い。Twitterを中心に大きなブームを形成した「MUSIC VIDEO」だけではなく、「家族構成」「FRIENDS」などの楽曲群はミュージックビデオと併せて聞かれることを前提としているように思う。
わー わー な なんのメッセージ性やコレ
「MUSIC VIDEO」岡崎体育
この歌詞、音源だけを聞いているとなんのことだかサッパリ分からない。しかし、MVを見てみると「ミュージックビデオで謎の液体を床にポタポタと垂らすミュージシャンに対してのツッコミ」という「あるある」的な笑える歌詞に確かになっているのだ。
それだけだはない。ミュージックビデオを撮影する楽曲の歌詞は徹底してMVと併せて聞くことを前提とした歌詞になっている。
父 母 俺 誰? 父 母 あれ 誰?ぬぎ ぬぎ ぬぎ ぬぎ 父 母 俺 嫁
「家族構成」岡崎体育
この歌詞も音源を聞いているとなんのことか理解できない。しかし、MVと併せて聞くことによって「突如現れたマスクマンの正体が実は自分の嫁だった」という何とも気の抜けた展開を理解することができる。
何故、彼はここまでミュージックビデオありきの作品を作り続けるのか。
2010年代に入り、スマートフォン全盛期となった。今やLINE、Twitter、facebookは当たり前の文化となった。そしてYouTube。YouTube自体は以前からあったが、スマートフォンの浸透以降、より人々の身近なモノになったのは間違いないだろう。その結果、それまでは精々テレビでしか公開されなかったミュージックビデオとリスナーの距離が、YouTubeとスマートフォンを介してグッと近づいた。YouTubeだけではなく他のSNSも映像がより手軽に受信・発信できるようになりつつある。世の中のミュージックビデオの大半に、片手ひとつでアクセスできる時代になったのだ。今や音楽メディア媒体においてCDのジャケット以上にリスナーや受け手の目につくのがミュージックビデオのサムネイル画面である。今までは「楽曲は楽曲、ミュージックビデオはあくまでも楽曲に付いてくるもの」であった。しかし、スマートフォン時代の到来によって「ミュージックビデオの価値」がより増したのである。
これに対し、沢山のミュージシャン達が色んな手段を使って新しい形のミュージックビデオを撮影した事だろう。有名な女優や俳優を使ってドラマ仕立てにしたMV、ミュージシャン仲間を出演させたMV、著名な映画監督がプロデュースしたMV。中には高額の予算をつぎ込んで撮影したMVもあった。しかしそのどれも岡崎体育の「MUSIC VIDEO」のような大きなブームは起こさなかった。「MUSIC VIDEO」は高額の予算もつぎ込んでいなければ、著名な監督が撮影したわけでもない。このスマートフォン全盛期に絶妙にフィットしたアイディアと、MVのために曲を作るという突飛な発想、そして撮影スタッフと岡崎本人の努力の結果があの特異で奇妙、でも大きな大きなブレイクに繋がった。単純に映像の中で流れる楽曲ではなく、本当の意味での「映像」と「楽曲」の融合による新しい作品。映像という視覚を取り入れた音楽のカタチ。これが岡崎体育によって編み出されたのである。
「MUSIC VIDEO」のブレイク、そして岡崎体育の躍進は今後の邦楽業界に大きな影響を及ぼすだろう。ミュージックビデオの在り方、そしてYouTubeやSNSとミュージシャン、僕たち受け手の距離も益々変わっていくことだと思う。MVに限らず、スマートフォンの出現の結果、音楽業界も進化している。これからの進化にも注目したい。