【CDレビュー】indigo la End、命を歌う。【indigo la End「藍色ミュージック」】

 

 メジャー1stアルバム「幸せが溢れたら」から約1年半、indigo la Endが新作「藍色ミュージック」をリリースした。

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前作と今作の間で大きく変わったことといえばドラマー・佐藤栄太郎の正式加入だ。彼のテクニックによってギター先行の音作りから、佐藤とBa.後藤の両者のリズム隊が織りなす「繊細だけど、タイトでファンク」なリズム中心の音作りに変わった様に思う。そんなリズム隊に乗っかる長田の雨音のようなギター。テクニカルな演奏と、Vo.川谷絵音のセンチメンタルな歌声とメロディ。そしてドラマティックでどこまでも切ない、細かい描写で感情の洪水みたいな歌詞。これらが合わさった時に、時にファンク、時にジャジーだったりダンスミュージックだってこなしてしまう、indigo la Endだけが出来る「インディゴミュージック」が生み出されるのだ。

「悲しくなる前に」「夏夜のマジック」「雫に恋して」「忘れて花束」そして「心雨」。先に発売されたシングルの時点で彼らの進化は顕著だった。一見するとどれも全く違った音楽性ながら、テクニック面の大きな進化を見せつけつつも、その本質は「ポップス」であり、歌詞面では「失恋に伴う悲しみ」を歌い上げている。

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「悲しくなる前に あなたを忘れちゃわないと 無理なの分かってるの と夜更けに向かって走った」

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「今日だけは夏の夜のマジックで 今日だけのマジックで 歌わせて 今なら君のことがわかるような気がする」

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「止められないの 溢れてしょうがないから 意味もなく声も出すんだ よそいきの服を濡らして夜が明ける」

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「止まらない感情の諦めあいない渦の中で あなたを見つめ続けた」

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 「土砂降りの雨に打たれて 消えてく炎 私は一人泣く」

 

ポップスとは何も「喜び」「うれしさ」みたいなポジティブに溢れかえったものではない。「悲しみ」「憎しみ」もすべて包み込んでしまう、海のような存在がポップスだ。彼らの紡ぎだす音楽は失恋の悲しみをすべて包容するようなモノだった。しかし、このアルバムはそれに留まらない。

 

「僕らは命を取っ替えた 瞬間銃声が聞こえた それが昨日見た夢の内容だったんです」(インディゴラブストーリー)

「まだ足りない まだ足りないから 命の音 震えさせて 足りないから 足りないから 居場所を叫べよ」(ココロネ)

常に「失恋における悲哀」について歌ってきた彼らだったが、「その先」へとステージを変えたようだ。「命」の最後には「死」が訪れる。どんな生き物・どんな人にも平等に訪れる「死」。誰もが体験する悲しみが「死」である。今作ではそんな「平等で、でも究極の悲しみ」である「死」すらも彼らはポップスで包み込もうとしているのだ。

「死のついたメロディー 奏できるまで 多分途切れない悲しい連鎖が 産声を上げたあの子を巻く」 (ココロネ)

「死のついたメロディー」とは人生の暗喩であろう。「死」が訪れるまでの過程・つまり人生が終わるまでに人は沢山の「悲しみの連鎖」を体験する。今まさに生まれた赤ん坊にもその鎖が巻きつく。メロディーが止まるまでその鎖から解放されることはない。「人生における悲しみのすべて」をここまで歌いきる絵音の歌詞は凄みに満ち満ちている。

つまり、今作でindigo la Endは「失恋における悲哀」を歌うバンドから「命を歌う」ことによって「悲しみすべてを背負う」バンドへと進化したように思う。途轍もない覚悟だ。是非、彼らの覚悟を聞いてみてほしい。

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