indigo la End「Crying End Roll」感想

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2016年の川谷絵音の日々は、彼をテレビやネット越しにしか見ていない僕でも手に取るように分かるくらい地獄のようだったのだと思う。

年始からベッキーとの騒動で世間を騒がせ、なんとか軌道修正して年内3枚目のアルバムリリースの直前に未成年との飲酒が発覚、アルバムリリースは延期、オマケに活動休止にまで追い込まれた。

5月にゲスの極み乙女。として活動を復活させてからの彼の活動ペースは常人のそれではない。様々なプロジェクトを立ち上げ、元々の2バンドの掛け持ちですら大変だと言われていたことなんか気にも留めず、今じゃバンドを含め5つのプロジェクトを並行して展開している。それはまるで「遅れていた分を絶対に取り返す」という強い意志すらも感じるものだった。

いやほんと、冗談抜きで誰か心配してやれ。確かに彼の世間からの評価を元に戻すには働くしかないし、誰もが認める名曲を作り出す事が必要なのは間違いない。けれどこのままだとそのうち絵音はぶっ倒れる。少なくとも僕が彼だったら何もかもほっぽりだしてスイスとかに移住すると思う。絶対に心が折れる

と、圧倒的な仕事量の中でリリースされたindigo la Endの3rd アルバム「Crying End Roll」。内容としては「藍色ミュージック」を更に突き詰めつつも、本来ならゲス側の持ち味だったメロディやアレンジのポップさもそこに流入してくる事で、インディゴ特有の「恋愛観」みたいなものがよりシャープに、よりクリアに可視化されたような印象のある1枚になった。

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川谷絵音のポップソングライターとしての資質は、ゲスの極み乙女。「私以外私じゃないの」「猟奇的なキスを私にして」などで既に実証されていたが、それがindigo la Endにも盛り込まれたのが今回の作品だろう。

前作「藍色ミュージック」はあくまでも元々のバンドサウンドを中心にどこまでポップさに寄れるか、という内容だった。先行シングルの「雫に恋して」や「心雨」はまさに、「バンドサウンドでどこまでポップスに成りえるか」のひとつの完成形だったと言えるだろう。

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そして今作では「ロックサウンド」だけでなく、キーボードやピアノなどの鍵盤によるサウンドが織り込まれた、あるいは女性コーラスの割合が増したことで「ポップサウンド」としての感覚がより強くなった。これは前述したように「本来ならゲス側の持ち味だったアレンジのポップさ」をindigoに持ち込んだ結果だろう。「キーボード」も「女性コーラス」も本来ならばゲスの極み乙女。が持ち合わせていた要素だ。初期のindigoはストレートなバンドサウンドが持ち味だったが、ゲスとしてのブレイクによって、川谷絵音が得たものが確実にindigoにも還元されていることがここからも感じ取ることが出来る。例を挙げれば、「エーテル」や「天使にキスを」、「猫にも愛を」なんかはまさにキーボードサウンドが中心に据えられた楽曲だし、「見せかけのラブソング」は女性コーラスが全面に出てきた楽曲だろう。

一方で、ロックバンド然としたサウンドも今なお健在だ。先行公開された「プレイバック」は変拍子を取り入れた新しい形のindigoロックサウンドだ。「知らない血」は1stに収録された「実験前」をさらに突き詰めたようなサウンド。彼らの原点とも言える、ドラム・ベース・ギター2本で作られるサウンドは今も健在だ。

そして歌詞は「失恋」の要素と「生命」の要素の2つを合わせ持つ。これは前作「藍色ミュージック」の延長線上であり、「藍色ミュージック」をより突き詰めた作風とも言えるだろう。

ポップソングにおいて「切なさ」という感情を切り離すことは出来ない。サザンオールスターズが、Mr.Childrenが、宇多田ヒカルがそうだったことが何よりの証明だろう。彼らがそうだったように、indigo la Endもまた「切なさ」を歌う。「恋愛」と「切なさ」は、もはやイコールみたいなもので、indigo la Endが「恋愛の喪失」を歌い続ける上で「ポップさ」がより増していく、あるいは先鋭化していくのは必然的なことだろう。

切ない感情がほら

増えれば増えるほど

愛しくなっていく

しょうがないんだ

「想いきり」indigo la End

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例えば、好意を抱いている異性が他の同性と仲良くしているところを目にしたら、誰だって悲しくなったり、切なくなるだろう。それは好意を抱いているからこそで、自分の中の切なさを感じることで、相手への好意を再確認し、その想いは増幅する。それはしょうがないことで。

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プレイバック プレイバック

穏やかな気持ち 2つ分

「プレイバック」indigo la End 

 indigo la Endの歌詞には「2つ」という言葉が頻発する。それは「恋愛」、あるいは「失恋」というものは相手が居てこそ起こりうるものだからだ。いつだって「恋愛」が起こる場所には「2つの気持ち」が存在する。indigo la Endの歌詞における「2つ」とは、相手と自分を指している。「プレイバック」の歌詞では「2つ分の穏やかな気持ち」を「プレイバック」してほしい、と叫んでいるのだ。

「切なさ」は「刹那さ」と表現することもできる。気持ちの揺らぐ一瞬(=刹那)を45分に渡って音と言葉で表現した「Crying End Roll」。あの騒動がどうだとか、彼の仕事量がどうだとか最初のほうに書いたけど、そんなことは関係なく、色んな人に聞いてほしいおススメの1作です。

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Crying End Roll[通常盤]

Crying End Roll[通常盤]