私の好きな音楽〜Base Ball Bear編〜

私の好きな音楽~サザンオールスターズ編~ - Hello,CULTURE

 
改めてBase Ball Bearと自分の出会い、そして何故僕は彼らの楽曲に魅力を感じ得るかを書き記そうと思う。超自分語りな記事です。ブログの元来の使い方だよなこれ。
 
2010年、僕は高校に入学した。中学時代は勉強が嫌いでマトモにやってこなかった、それでも学力的には何となく学年の真ん中の辺りにいた僕は市内の「公立普通科最後の砦」と揶揄されるような高校、言ってしまえば公立普通科の中では最低クラス、でも私立や市立と比べればレベルは上、といった極めて曖昧な立ち位置の高校に入学した。都会だと頭のいい子が私立に入学し、頭の悪いヤツが公立に入学するが、僕が住んでるようなドが付く田舎は私立より公立の方がレベルが上なのだ。
 
そんな高校に入学した僕は、2学期頃から毎日の日課としてラジオを聞き始める。「SCHOOL OF LOCK」だ。ご存知の方も沢山いるだろう。

SCHOOL OF LOCK! | 未来の鍵を握るラジオの中の学校

10代向け、ということもあってすっかり毎日の日課になった。当時ハマりだしていたPerfumeが毎週出演していたのもデカかったかもしれない。そしてこの番組を通じて邦楽ロック、というものにのめり込むことになる。RADWIMPSASIAN KUNG-FU GENERATIONBUMP OF CHICKENflumpoolチャットモンチー。当時(今も)中高生から圧倒的人気を誇っていたバンドの大半はこの番組にも出ていたし、この番組で初めて聞いた曲も沢山あった。

この番組の構成は生放送2時間の中に人気若手女優やアイドルが週替わりでコーナー担当を務める「Girls LOCKS」、そして日替わりでバンドやミュージシャンがコーナー担当を務める「Artists LOCKS」がそれぞれ10~20分間インサートされ、それとは別に毎日の生放送は「校長・教頭」(MC)が務める、というものだ。当時の校長は今なお現役のとーやま、そして教頭は辞めてしまったがやしろさんだった。

悩みや相談だったり、学校であった面白いことや、恋愛のこと。大人からしたらガキの他愛も無い話に聞こえることだったのかもしれないけど、「学校」という閉鎖された社会で過ごす学生にとって、こういう話題がラジオから流れてくるというのは励みになるというか。「自分と同じことで悩んでる人がこんなに沢山いるんだ」と、外の世界はまだまだ広くて、でも自分たちの社会とも繋がってるんだということを確認できる瞬間だった。

また、SCHOOL OF LOCKが主宰する10代限定のバンド大会、「閃光ライオット」もスゴく好きだった。「THE★米騒動」というバンドがめちゃくちゃ好きだった。10代が作ったとは思えないくらい作り込まれた音と歌詞の世界観。彼らの曲は、言葉数は少なくとも何かを弾けさせたい気持ちに溢れていた。同じくらいの年の人たちが自分の手で曲を作り上げ、プロが立つようなステージに立って人々を喜ばせている。同じ年なのに彼らがとても大人に見えた。

そうやって毎日聞いていく中で、当時火曜日の「Artists LOCKS」を担当していたバンドが余りにも面白いことに気が付く。他のバンドや、よもや芸人さんであるはずの校長教頭よりトーク面白いだろこれ、みたいな人たち。それがBase Ball Bearだった。

若手芸人張りに声をあげてつっこんだり、訳の分からないキャラもしっかり演じる堀之内さん。紅一点なのにおじさんおじさんと弄られてる関根さん。全然喋らないのにアドレス読みだけ毎回やらされる(むしろそれしか喋ってないだろみたいな回も度々)湯浅さん。多方面への知識が豊富&メンバーやリスナー弄りがメチャ上手い小出さん。どこを切り取っても笑いに溢れたコーナーだったし、ラジオ番組らしからぬコーナーも多様に展開していた。気付けば毎週火曜日の「Artists LOCKS」を楽しみにしている自分がいた。だが、当時はあくまでもラジオ番組の喋り手としての魅力しか感じておらず、彼らの楽曲に僕の気持ちはまだ向いていなかった。

翌年、2011年。チャットモンチーBase Ball Bearの合同で行われた「チャボベLOCKS」。当時気になっていた女子が文化祭でチャットの「シャングリラ」をバンドで演奏してたこともあって、チャットモンチーに少しずつ興味を持ち出していた時期だっただけに、この企画はすごく楽しんだ。今でもニコ動に落ちているチャボベLOCKSの音源を聞く時がある。Base Ball Bearチャットモンチーの両者はデビュー当時からの仲ということもあり、彼らの「楽屋トーク」的なトークや楽しげなセッション、世界観が混沌とした(!?)ラジオドラマなど。3ヵ月という僅かな期間ながら充実した楽しいコーナーだった。その頃、時を同じくして東日本大震災が発生。チャボベLOCKSラスト3回のうちの1回分は休止され、残りの2回も小出とチャットの福岡晃子が2人で出演し、「リスナーから届いたラブレターを曲にする」という企画となった。とてもしめやかに、何とかしてこの逆境を乗り越えようとする2人の気持ちを感じる回になっていた。同じ音源を今聞いても、どうしてもあの頃の日本に漂っていた"暗闇"を思い出してしまう。

6月末頃、Base Ball Bearはシングル「yoakemae」をリリース。これもまた同番組を通して聞いた僕は、「何故か分からないけど頭にこびりついて離れない感覚」だった。今でこそこの楽曲の大きな特徴である「生音で打ち込みっぽい音を出す」の凄みを理解出来るが、当時の僕にはこの曲がどうすごいのかを理解する頭のキャパシティは無かったように思う。だけど、「何か知らないけどこれ凄い!」と思ったことはよく覚えている。理屈じゃなかった。

 

そして夏休みに入った頃、新曲がラジオで解禁された。「short hair」だ。

この歌の虜になってしまった。「君だけのことを考えてしまう」という、恋愛における「恋煩い」的な感情をこれでもかとまっすぐ、痛いほどまっすぐに描かれている。サウンドも「yoakemae」とは一転したバンドらしい、まさに「ギターポップ」の様相。「夏」という僕の大好きな季節が舞台なのも好きになった要因だ。この年以来、僕が過ごす「夏」にとってこの曲が絶対的な存在となった。

 

時は過ぎ2013年。中学時代に増して勉強しなかった僕は志望校に落ち、滑り止めの大学に入学した。大学生になった僕はバイトを始めた。そこで稼いだお金でライブに行くようになった。秋になり、Base Ball Bearは文化祭ツアーを開催。僕は名古屋商科大学の公演に参加した。家から商科大まではそれなりに遠かったが(名古屋は名前だけで実際は日進市にあった)、「ついにあのBase Ball Bearを生で見れる」という興奮で胸がいっぱいだった。自分の通っている大学と比べて名商大はめちゃくちゃ大きく、「こういうところで大学生活したかったな」と辟易とした思い出もある。18:00の開演と共に、「short hair」のイントロがが名商大の体育館に響いた。その時の感動は今でも忘れない。自分がBase Ball Bear好きになったキッカケの一つであるこの曲で彼らの音を初めて生で体験した、というのは幸せなことだった。

 

彼らの音楽を語る上で外せないのが「普通」というフレーズだ。この世界にいつだって蔓延している「普通」。両親や学校の先生に「普通にしなさい」と怒鳴られ、クラスメイトからは「あいつは普通じゃない」という理由でいじめられる。でも、「普通」の絶対的な規定や条件は存在しない。「普通」について具体的に示された書物も、ホームページも、テレビ番組も、法律も。全部どこにも存在しない。この広い世界の中で、小さなコミュニティを形成した人々の「価値観」という曖昧で形の無いものから作り上げられた「普通」に人々は翻弄され続けている。

僕もその例外に漏れず、「普通」に悩まされた。特に小学生時代は酷かった。クラスメイトより体の成長も早く、考えや趣味嗜好もクラスメイトとはまるで違っていた僕は「いじめ」の対象だったように思う。今思えば、あんなのは世間で話題になっているような酷い「いじめ」ではなく「いじり」の延長線上のようなもんだった。とはいえ、小学生は残酷だった。当時の僕は本当に悩み傷ついていたように思う。本気で死を選ぼうと思ったことも幾度となくあった。そういう意味では僕も世間知らずだった。もっと辛い思いをしてる人がいくらでもいる、ということに気付いていなかった。「いじめ」のターゲットになる理由は「普通じゃないから」だとここで気が付いた。結局僕は、その後の中学校高校も、そして今も「普通」に悩まされている。サザンオールスターズが好き、と言えば「おっさんくせぇ」と罵られる。少ないお小遣いを叩いて大好きなミュージシャンのCDを買えば「金ないのにそんなことに使うなよ」と言われる。友人との交流に使っているTwitterアカウント(所謂リア垢、というやつ)で映画の感想を書けば「うるさい」と言われる。僕がしていることは彼らにとって普通じゃないのだ。彼らにとっては「サザンなんて古くせえ親父の音楽」だし、「CDなんて買うものじゃない」し、「Twitterで自分の感想なんか書くやつはどうかしてる」んだ。今でもなお、この「普通スパイラル」からは逃れられていない。そういった類の話をしてくる人たちに悪意がある訳ではない。本当に僕のことを考えて言ってくれている(と思いたい)。少なくとも小学生の頃のように「あいつのことバカにしてやろう」ではない。でも、僕に言わせたら彼らが「普通じゃない」。皆自分が「普通」だと思って、普通じゃない「他の人たち」に「普通になれ(=自分と一緒になれ)」とはやし立てる。「普通」が決まりのない曖昧な物だとも気が付かずに。

そんな「違和感」をBase Ball Bearは歌っていた。ボーカルの小出祐介も中学時代に酷いいじめを経験したからこそだろう。(程度は違うと思うけど)共通の経験をした彼が「普通とは何?」を歌い続けている。彼が作り上げた歌詞と音だからこそ僕はひどく彼らにシンパシーを感じてしまう。そこが僕にとっての彼らの魅力になっている。

 

散々このブロクでも綴って来た通り、Base Ball Bearは今大きな転換期を迎えている。かつてない大きな転換期だ。これを機にファンを辞める、という人もいたかもしれない。でも、それでも僕はずっと彼らのファンでい続けるだろう。彼らが「普通」をテーマに活動を続ける限り、活動を通して「普通」を証明し続ける限り、僕はずっと応援したいと思う。

 

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