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絶対に推していきたいサザンオールスターズのカップリング名曲10選

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サザンオールスターズはカップリング曲がアツい。実はシングルA面には無いようなテーマを持つ曲、A面に負けず劣らず大傑作だ!!と言いたくなるような曲ばかりだ。iTunesが解禁された今(だいぶ前だろ)カップリング曲の入手も容易になりました。今回の記事では「ふじもと的・絶対に推していきたいサザンオールスターズのカップリング名曲」と題し、厳選された20曲を紹介していこうと思います。

茅ヶ崎に背を向けて

いきなりアルバムの曲じゃねぇか!!という声が聞こえてきそう。2ndのカップリングです。

その後の「私はピアノ」にはじまる、原由子ボーカル曲のハシリのような曲。桑田さんと原さんの数少ないデュエットソングのひとつ。因みに桑田佳祐の処女作がこの曲だそうで。

誰よりも信じているから

言わないでその言葉は

だってあなたの事 分からないわ

「あなたのこと分からない」のに「誰よりも信じている」の、本当に素敵な恋愛って感じでドキドキする!!

②Hey!Ryudo!(ヘイ!リュード!)

全編に渡り鳴らされ続けるホーンセクションがとても心地良い!Bメロ歌い出しの「あいすいません」「あきらめましょう」や2番の「会えば会うでそれだけ~」の言葉を無理やり詰め込んだ感の桑田さんらしさ。「嫌われたでしょう こんな私が嫌になったとしても」辺りのオペラっぽい歌い方もクスクスと笑える。とてもいろんな要素が盛り込まれていて、聞いていて飽きない。

 ③朝方ムーンライト

初期サザンにもこんな洒落た曲があるのか!!な1曲。イントロがもう。低めのギターサウンドにドギマギ。別れが近いカップルの悲哀を情景豊かに描ききった傑作。

④シャッポ

サザンファンの間で人気カップリング曲投票をしたら間違いなく上位入選は避けられないであろう、伝説にも近い1曲。リリース以来1度も演奏されていない・現時点で最後の「作曲詞:サザンオールスターズ」名義曲、というレア要素てんこ盛りに加え、サザン史上でも類を見ないポップさ、超王道夏ソング、なんならもうアイドルソング的ですらある、とまあとにかく聞いてほしい1曲。めっちゃオシャレ。

⑤おいしいね~傑作物語

この曲について書きたくて今回の記事を書いたんです!!!!!!!

この曲、名前だけはずっと知っていて、でも何となく聞かずにずっと来てたんです。そしたら2015年の「おいしい葡萄の旅」で突如演奏しだしてぶったまげたんですよ。でも聞いたことなかったからとりあえずタイトルで「ええええええ!!??!?!?これやるの!????!」ってなって、からの歌詞。歌詞。歌詞。「音楽"産業"」を痛烈に皮肉った、あるいは抗議の意味か(リリース当時、桑田はサザン復活に対して異議を唱えていたとされている)。とにかく攻めすぎだろ。「不惑」のところ明らかにfu〇kって言ったよねあの人。スッゲェ...みたいになって。帰ってすぐにamazonで「みんなのうた」のCD注文して、何度も何度も聞いて。サザンオールスターズはさわやか夏ソングだけじゃないんだぞ!と聞かせたくなるような1曲。

⑥冷たい夏

冷たい夏

冷たい夏

 と、同時にやはりサザンは夏うた、それも夏に失恋したような歌を歌っている時が一番素敵だな、と思うこともたくさんあって。「冷たい夏」って、矛盾しているようで、「冷たい」は夏そのものではなく心が冷たいんだろうな、と。サビのファルセットがより切なさを際立たせている。

⑦夏の日のドラマ

サザンのカップリング曲といえば、桑田以外のメンバーがボーカルを取るのもひとつの魅力だろうか。 松田弘のボーカルは(桑田佳祐とはまた別のベクトルで)荒っぽくもキレイな歌声で、「松田の子守歌」なんかはこれからも歌い継がれていくべき名曲だと思う。「夏の日のドラマ」は作詞作曲:桑田佳祐の、いわゆる「明るいポップメロディに乗る切ない歌詞系ソング」なのだけど(なにがいわゆるなのか)松田のボーカルで聞くことで普段とはまた違った趣のある曲に仕上がっている。

⑧チャイナムーンとビーフン娘

これも桑田以外のメンバーがボーカルをとった作品。個人的に原由子ボーカル曲の最高傑作はこの「チャイナムーンとビーフン娘」だと思っている。メロディ、アレンジ、歌詞、ボーカル。何をとってもどこを抜き取っても傑作。中国から横浜の中華街に出稼ぎに来た少女が、忙しい毎日を送りながらも、故郷を思い涙する。そんな物語を原由子の独特なキュートな歌声で完璧に描き切っている。本当に好き。本当に好き。

⑨OH!FRESH!! ~ドクダミ・スパークのテーマ~

完全なるパロディソング。っていうか歌じゃないから。CMだから。

こういうお遊びが出来るのもカップリングらしくて好き。

⑩栄光の男

デビューから35年が経過したからこその円熟・深み、そして年齢を重ねたからこそのある種の諦め。人生というもののある種の不条理さが描かれた、現在のサザンオールスターズならではの楽曲。カップリングとは思えないクオリティ。自分が将来40や50くらいになった時にはきっとまた違った聞こえ方をするのかな、と思うとその時が非常に楽しみになる。

独断と偏見で10曲を選んでみた。 実験的な意欲作や、そのあとのアルバムに大きな影響を与える楽曲が実はカップリングに収録されていたりするのがミソだったり。2010年代に突入すると、A面でもおかしくないクオリティの楽曲がカップリングに据えられていたりして、シングルCDの売れなさ、というものをこんなところからも感じてしまったり。今回取り上げた10曲以外にも素敵なサザンオールスターズカップリング曲は沢山あります。是非色々聞いてみて、貴方だけの「カップリングベスト」を教えてください!

別に承認欲求については否定しないけどTPOを考えようの話

 

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承認欲求って言葉がありますよね。

ここ数年、なにかと世間では「承認欲求」に対して否定的な意見が多いなぁ、と個人的に感じてます。誰かに認められたい!!って思いは誰でも抱くもので、それを否定する権利は何人たりとも無いと思ってます。

ただし、TPOを弁えた上ならば、の話でね。

個人的には音楽業界においてライブチケット転売問題と同じくらいのレベルで解決されるべき事案だと思ってる、音楽コンサート・ライブにおける問題があるなぁと思ってて。

それは「ライブ中の合唱」ですよね。

ライブ中に歌ってる人、見かけたことあります?本当に僕は許せないんですよ。コレばかりは本当に許せない。

勿論、「そういうタイミング」で歌うのは全然問題ないと思いますよ。ミスチルにおける「innocent world」で桜井和寿がマイクを客席に向けてるのに「歌うんじゃねぇ!!」なんていくら何でも思わないし、「盛り上がり」という意味でライブ中に「そういうタイミング」があるのは当たり前だと思ってます。

でもね、でもね。もう殆どずっと歌ってる人っているじゃないですか。

僕、生まれて初めてのサザンオールスターズのライブが2013年のスタジアムツアーだったんですけど、その時点でファン7年目だったんです。遂に!念願の!!みたいなライブなんですよ。1曲目の「Ya Ya」で、というか「Ya Ya」の演奏が始まる前にメンバーがせり上がって来た段階で号泣してたんですよ。それ位思い入れタップリでライブに臨んだんですよ。で、そのライブには僕自身の友人を連れて行ったんですけど、ライブ後半、おそらく「涙の海で~」辺りからそいつが結構な大声で歌い出したんですよ。どれ位大きな声ってもう桑田佳祐の声ひとっつも聞こえないくらい大きな声なんですよ。勿論ね、サザンのライブでそこまで爆音じゃないし、野外だから声がかき消されてるのかもしれないけど。にしたってひとっつも聞こえなくなる訳が無いじゃないですか。

流石に注意したんですよ。そしたらソイツ「桑田さんより俺の方が近いから」って言ったんですよ。コイツにスピーカーって概念は無いのか!?って話でね。ライブ終わったあとに僕が完全にブチ切れていることを察したのか、謝ってきましたけどね。それで済むことでも無い訳でね。

ソイツとはもう10年、15年の付き合いですけど、コレだけはもう絶対に許せないんですよ。すごく楽しみにしていたライブだったのも当然ありますよ。でもね、それ以上にね、「その承認欲求なんなんだよ!?」って話でね。だってあくまでも僕達は客な訳じゃないですか。受け取る側な訳じゃないですか。じゃあお前は誰に認められたくて歌ってるんだよって話なんですよ。

もっと言うとね、その後、14年のサザンの年越しライブは別の友人と行ったんですよ。そしたらソイツは「なんで俺を誘わないんだ」と言わんばかりでね。「サザンと言えば俺やろ!!」って言い出したんですよ。でもね、そうでもないんですよ。本人の中でどれだけ好きかは分からないけど、そこまで熱心には僕の目からは見えないんですよ。だから15年のツアーは泣く泣くソイツをもう一度連れていったんですよ。で、僕達がカラオケに行くといつも「真夏の果実」で「四六時中も好きと言っ"て" 夢の中へ連れて行っ"て"」の「て」の所で大袈裟に歌う、みたいなネタやってたんですよ。でもそれって別にカラオケでやるから面白いってだけで。ライブ会場でやっても「いや邪魔だから」って話じゃないですか。あろう事かソイツはライブ会場で桑田佳祐が「真夏の果実」を歌ってる最中に「大袈裟に歌うネタの振り」をしていたんですよ。サザン史上でも屈指のバラードの1番イイトコでふざけだすんですよ。お前は誰に認められたいんだと。

なんか愚痴みたいになってしまってアレなんですけどね。すみません。僕の友人に限らず、ライブ会場で熱唱していて「うるさいな!」って思ったこと、少なくとも僕はめちゃくちゃあるし、そういう人きっと多いと思うんですよね。もし、あなたがライブ会場でも構わず熱唱するタイプの人であるならば、承認欲求や歌うことで満たされる何かの欲求は周りの客へのフラストレーションにしかならない事に気付きましょう。ライブはみんなで楽しむもので、カラオケみたいに閉ざされた空間ではないのです。承認欲求そのものは否定しませんが、TPOを考えましょうって話でした。

スージー鈴木著 「サザンオールスターズ 1978-1985」を読んで。

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読みました。

所謂「初期サザンオールスターズ」、桑田佳祐の言葉を借りるならば「青山通りから鎌倉由比ヶ浜まで」 (08年真夏の大感謝祭より引用)な期間、つまり1stである「熱い胸さわぎ」~8th「KAMAKURA」までの楽曲群とその変遷をまとめたのが本書です。本書を読んだ感想・レビューを書こうと思ったんですが、結局「ふじもと的・初期サザン論」にすり変わってしまうので、本著を中心に据えつつもそういう文脈で書いていこうかなと思います。

早速個人的な話で申し訳ないのですが、この時期が1番サザンオールスターズが「バンド」だった時期というのが僕の考えです。「KAMAKURA」以降のサザン、それはつまり「KUWATA BAND」や各人のソロ活動が本格化した86年以降のサザンオールスターズはやはりどうしても「一大プロジェクト」と化してしまったというか。これは別に悪く言っている訳じゃなくて。実際86年以降もサザンオールスターズは名曲をバンバンリリースする訳ですし。ただ、1番バンドらしかったのは間違いなく78年からの8年間で、そしてそれは同時にサザンオールスターズが国民的バンドに上り詰めていくための期間だったとも言えるのではないでしょうか。そういう意味で今回の「サザンオールスターズ1978-1985」は、この8年間を総括する事で、サザンのサザンたる由縁、サザンオールスターズの言わば「源流」を見つめ直し、現代にまで繋がるサザンオールスターズの偉大さ、そして彼らが起こした邦楽ロック界への革命、それらがどういう過程で引き起こされ、どういう意味を持っていたのかを探り、それを机上にドスンと載せることで、「みんなのサザン論」が引き起こされることを狙ったものなんですね。その筆者の狙いであろう事に僕も思いっきり乗ってやろうという次第でございます。

先に本の話をしておくのならば、サザンに限らず、音楽なら何でもそうだと思うんですけど、後追いファンはどういう文脈で曲が作られたのか、その時代的背景を知ることがなかなか難しいんですよね。最近で例えるなら、Suchmosのヒットの理由は10年代前半にピークを迎えたフェス受けする4つ打ちロックの飽和化によるものだと僕は思ってて、そう思うことが出来たのはリアルタイムで音楽を追っていたからこそ。で、サザンが「勝手にシンドバッド」から一気にスターダムにのし上がった「経緯」を知っていたとしてもその「背景」まではなかなか知ることが事実僕自身出来ていなかった。そういう「後追いファン」にこそ本書は読まれるべきかと。例えば「明星」に榊原郁恵や山口百恵と一緒に表紙に出ていた、って今のサザンオールスターズからは本当に考えられないし、「明星」に出ていたことは知っていたとしても改めて「誰とどのように」出ているかを当時を知る方の言葉を通して聞くことで、当時のサザンオールスターズというバンドを世間がどういう評価をしていたのか、より輪郭がハッキリしてくるんですよね。今でいう[Alexsandros]より下世話で、ヤバイTシャツ屋さんキュウソネコカミよりもアイドル的で。今のサザンから、そして今のロックバンドからは考えられないような軽薄さとアイドル的人気をデビュー時から得ていたであろうことが「明星に榊原郁恵と一緒に表紙に載る」というところから透けて見えてくる。もっと言えば「ドリフ」のメンバーへの誘いが桑田佳祐に来ていた、なんて逸話もある。今風に言えばHIKAKINの相方にヤマサキセイヤが誘われるとか、しゃべくり007の新メンバーに岡崎体育が決まるとか、そういった感じかなぁ。絶対にありえないことなはずなのに、それを起こしていた辺りに「サザン=アイドル的コミックバンド」という、ある種の強いレッテルが張られていたことがよくわかる。ちなみにサザンが表紙の「明星」、意外とネット検索したらあっさりと出てきたので興味のある人は是非...

そういった世間の評価・レッテルに対してサザンがどういうマーケティングをして、どう動いたか。これもまた面白い。本当に桑田佳祐って人はただただ評価されたい人だから、当時から今に至るまで徹底的に市場調査をした上で、自分なりの思考や音楽性を盛り込んで曲を作ってると思うんです。コレを自然にやってるのか意図的にやっていることなのかは分からないけど、とにかくマーケティングが本当に上手い。そのキッカケが3rdシングルの「いとしのエリー」。3枚目の時点でもう「世間が抱いているサザンオールスターズ像」を見極め、それが本当に自分たちの進みたい道なのかを精査し、そしてこの路線のままで「バンドとして」評価されるのかを推考し、世間の評価を180度変えてやろうとしてリリースされたのが「いとしのエリー」。勿論、本書でも言及されていたことではあるのだけれど、桑田が原由子に贈った曲だとか、そういう「制作された経緯・文脈」というのも確かにあるのだけれど。「勝手にシンドバッド」→「気分次第で責めないで」と来たら「思い過ごしも恋のうち」に向かうのが当時なら自然なことだった。その「当たり前」をぶち壊したのがサザンであり桑田佳祐だったのだと。

サザンオールスターズが世に放たれた78年から85年までの音楽業界の変遷も面白い。78年当時はピンクレディー絶頂期、そしてキャンディーズ解散直後であり、アリスあたりが音楽業界を牽引していたのが、80年にはピンクレディー解散、松田聖子がデビュー、82年には小泉今日子中森明菜、シブがき隊がデビュー、そして1985年には米米CLUBやTUBEがデビューする...とまあこの期間だけで目まぐるしい程に音楽業界は変わり続け、そんな激動の中をサザンは戦い続けたのだと。最近ではサザン本隊とソロを交互に繰り返すことで半ば休み休みとも捉えかねられない活動形態とはいえ、今でも音楽業界の第一線で活躍し続ける彼らは、ピンクレディーから欅坂46まで、アリスからSuchmosまで、40年間様々なミュージシャンと同じ土俵で戦い続けている。正直、決して勝ち続けてきたバンドではないと思います。永遠の二番手というか。それでも「戦い続ける」事に意味がある。「戦い続けてきた」ことで今の盤石の地位、「国民的バンド」と呼ばれるまでに至った。こんなバンド、日本音楽史上でも片手で数えれるほどしかいない存在。

本著では、特に著者であるスージー鈴木さんの思い入れも強い楽曲なのか、「勝手にシンドバッド」そして「メロディ(Melody)」を初期サザンにおける2大楽曲として物凄くフューチャーしています。

 これはとても面白い考察であり、なるほど納得するところが多かったです。是非そこは本を実際に手にしていただきたいところなのですが。もう1曲、個人的にここに追加したい曲が「夏をあきらめて」。

夏の名曲、と聞いたときにどんな曲を思い出しますか?たとえば、それこそ先ほどから名前が挙がっている榊原郁恵の「夏のお嬢さん」とか、最近ならゆずの「夏色」(最近か?)、SMAPの「BANG!BANG!バカンス!」、YUIの「SUMMER SONG」、湘南乃風睡蓮花」...みたいに。ミュージシャン毎に細かいディティールは違えど、大体「夏!海!テンション上がる!!イエイ!!」みたいな曲じゃないですか。カラっとした聞き味というか。勿論そういう曲が良い悪いの話じゃないですよ。でも日本の夏ってそんなもんじゃなくて。ジメジメしてて、なんか曇ってる日もあるし、台風とかめっちゃ来るし。そういう「日本的な夏」を描いた楽曲って少ないんですよね。というかだからこそそういう「ジメジメ感」を払拭するためにカラっとした曲がよく作られているんでしょうけど、最早逆に形骸化している。って中でこの「夏をあきらめて」。極めて日本の夏を俯瞰して、客観的かつ情景的に描かれていて。

波音が雨雲が近付く

2人で思い切り遊ぶはずのオンザビーチ

きっと誰かが恋に破れ

噂のタネに邪魔する

君の身体も濡れたまま 乾く間もなくて

海に訪れたのに雨が降ってきて遊べなかったカップルという「器」に、「日本的な夏」である、雨降りで湿度の高い夏を感じさせるようなサウンドを重ね合わせたことで、このカップルはこの後もう二度と会うことは無いんじゃないか。曲中に明確な言及はないけれど、このカップルの行く先までもが酷く暗澹としているのでは?と思わされてしまう。一種の「夏うた革命」を起こしたのが「夏をあきらめて」だ。こういうカタチの「夏うた」はなかなか表れなかったけど、それでも一番近いな、「"2代目"夏をあきらめて」だなと個人的に思っているのがindigo la Endの「夏夜のマジック」なので、サザンファンにはそちらも是非聞いてほしいところ。

本著では「熱い胸さわぎ」 から「KAMAKURA」までの全8枚に及ぶオリジナルアルバムに収録されている全曲を5点満点で判定、スージー鈴木さんによる全曲レビューがなされています。初期サザンを語る時に結構多くの人が、とりわけ当時を経験していれば経験している人ほど「KAMAKURA」を支持する傾向にあるな、と個人的には感じていて。無論、「KAMAKURA」は当時はまだ浸透していく過程にあった「電子音」「コンピュータサウンド」を随所に散りばめるだけではなく、全編において実験的な曲ばかりで、途轍もない「意欲作」ではあるのだけれど、個人的には「名作」ってとこまでは言い難いな~と思ってて。だからサザンにおけるある種の「KAMAKURA中心史観」みたいなものは(ちなみに本著には「はっぴいえんど中心史観」なる言葉が出てくる)個人的にはよく分かんねぇな~とも思っていて。どうやらそこはスージー鈴木氏も同じだったのか、「KAMAKURA」を「才能の暴発」と評し、★4つという判定。これは個人的にはスゴク納得でした。やはり僕にとって初期サザンで1番のアルバムは「人気者で行こう」。

人気者でいこう(リマスタリング盤)

人気者でいこう(リマスタリング盤)

 

KAMAKURA」の「電子音」「コンピュータサウンド」の萌芽を感じさせつつ、圧倒的な頭3曲の流れに驚かされ、ラストの「Dear John」で今までに無いような音作りに驚かされる。本著を読んで「Dear John」の斬新さすら感じさせるような音作りは八木正生氏の功績であることを知り、初期〜中期サザンはやはり自らが素材となり、様々な料理人=アレンジャー、プロデューサーに料理され続けた結果が現在の国民的バンドたる由縁だということを改めて気付かされました。そういう「気付き」「今までに無かった視点」を与えてくれるから重度のサザンヲタクでも読む価値アリです。

評価に関しては、曲単位で行けばもう全く自分とは気が合わないなこの人...みたいなのも沢山あったんですけど、むしろそれでいいんです。全ての人の評価が合うわけが無い。片方にとって大絶賛の曲でも、片方の人にとってはメタメタにこき下ろす対象の曲だったり。それが面白いんですよね。そのためにこうやって僕はレビューを書いてるし、鈴木氏は執筆したのでしょうし。個人的には「逢いたさ見たさ病めるMy Mind」は初期サザンの最高傑作の一つだと思ってます。

強いて、本著に対して要らない文句を付けるとすれば、必死に粗探しをするとすれば、82年紅白での三波春夫メイク事件と14年紅白炎上事件はその質が全く違うものなので同列で語られるのはちょっとな...とか思ったけど、こんなのはもうね。ほんのちょっとの話なので。

終章にてスージー鈴木氏は「初期サザンは、未だにきっちりと総括されていない」と記していました。本当にその通りだと思うし、なんなら初期に限らずサザンオールスターズそのものがそうだとも思う。ずっと第一線だからこそ「伝説」になること無く、それ故に総括されることも無かったなと。奇しくも僕がこの本を手に取った翌日、サザンオールスターズ2017年の新曲がテレビで解禁になった。38年振りに三ツ矢サイダーのCMに抜擢された本曲は、それこそ「10ナンバーズ・からっと」の頃のような「初期サザン的」ナンバーで、サザンの源流を感じさせるものだった。サザンはまだまだ「伝説」にはならない。いつまでも第一線で活躍し続ける彼らをずっと見つめていたい。

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サザンオールスターズ 1978-1985 (新潮新書)

サザンオールスターズ 1978-1985 (新潮新書)

 

実写版「銀魂」は「実写化問題」への解答である

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wwws.warnerbros.co.jp

www.youtube.com

実写版「銀魂」見てきました。

今、何かと「漫画・アニメの実写化」って話題であり問題になっているじゃないですか。今回の「銀魂」実写化もその例に漏れず、公開前から不安視する意見が散見されていました。そもそも「漫画・アニメの実写化」はハードルが高いはずなんですよ。物語の推進力になる脚本も目新しさがどうしても無くなってしまうし、原作ファンは原作通りのモノを求めるし。漫画やアニメにして映える服装を実写に置き換えるのは、下手をするとただのコスプレ映画に成り下がりかねないにも関わらず、原作ファンはディティールに拘る。こういう雁字搦めの中で制作しなければならない。「じゃあ作らなきゃいいじゃん」と言われれば、その通りな気もするんだけど。

今回の「銀魂」、徹底して原作ファンが見ることを前提に作られています。服装は勿論、台詞からなにまで徹底的に原作に忠実。銀魂が他の作品と比べて違うところは、漫画原作をアニメが喰ってしまっているところで、実写版の今作ではそのアニメの「雰囲気」すらも実写化しています。

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これらの画像は今回の実写版でも扱われた「紅桜篇」「カブト狩り編」のアニメ画像なんですけど、本当にこのまんまです。動きから体勢からカメラワークから、すべてまんまです。

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この画像もう一回貼るけど、普通にしてたら違和感まみれじゃないですか。日本人の顔に銀やらオレンジやらの髪だったり、やけにカチコチに見える服だったり、本来なら実写化に絶対に向いてないようなディティールのはずで、並の監督だったらここをもう少し改変してしまいそうなもんなんだけど、ここを一切改変せずに見た目も徹底的に原作通りに作り上げていて。

これはひとえに監督である福田雄一の手腕によるものでしょう。彼の代表作「勇者ヨシヒコ」シリーズなんかにも言えることだけど、最早コントの世界なんですよ。で、そのコントっぷりと「銀魂」の世界観は見事に一致してしまう。あとはメタ的なことも風刺っぽいことも徹底してやり続けてきた銀魂だからこそ、実写でも好き勝手できる。アニメも何度となく終わる終わる詐欺を続け、蓮〇に本当に怒られてDVDの収録が飛んだり。そういうのにももうファンは馴れっこなんですよ。だから小栗旬菅田将暉と橋本環奈使って実写版撮って大コケしたとしても「またいいネタになったねwww」くらいのもんで。ファンが映画を受け入れる体制が結果として出来ていたのも大きい。だから何してもいい状態で福田さんは制作に取り掛かることが出来た。

逆に上手く変えてきたな~と思ったのは、ギャグの入れ込み方。どうしても原作通りにやるとシリアスなモードが続くんですよ。でもそれじゃあ映画「銀魂」として「銀魂」しなくなってしまう。だから原作には無かったようなネタを盛り込むんだけど、その新しく作られたネタも完全に「銀魂」してるんですよ。過去の名作や関係のない他局の番組(今作はテレ東主導で作られたみたいです)を徹底的にイジるスタンス。これこそが銀魂!!ということを徹底的にやる。あとは武市変平太役の佐藤二郎と平賀源外役のムロツヨシに関しては全く役を演じる気が無い、彼ら自身のそのまままのテンションで出てくるんだけど、これがものすごく作品世界と合っているんですよね。これも2人を徹底的に理解して動かしている福田監督ならではというか。

ここまで長ったらしく語ってきましたけど、要は「作品を隅から隅まで理解した上で、雰囲気すらをも映像化してしまう」ということに徹底することこそが漫画・アニメを実写化した時に炎上しないための最大の武器になる、ということでしょうか。勿論、何を目掛けて制作するかにもよるのでしょうが、原作ファンを取り込みたいなら間違いなくこの作り方は強いですよね。

逆に言えばこの作品、銀魂の世界観や趣旨、今までの過程を理解して見ないと全く楽しめない気がします。一見さん完全お断りシステムというか。「銀魂」という一大プロジェクト...というかもはや一大ギャグの一部としての実写映画ということを踏まえてみることを前提に作られている。そういう意味では「映画」としてはもしかすると最悪の部類なのかもしれません。

原作も一通り通ってきた僕には、この作品は期待値を余裕で上回る傑作でした。是非劇場でご覧ください。

Music FM等の違法音楽視聴アプリに思うこと

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先日、Twitterでこんな呟きを見つけた。

Revision of Senseというバンドらしい。バンドがMusic FMをわざわざ紹介している。なんだこれは。見た瞬間は僕の頭がおかしくなったのかとも思ったが、どうやらおかしいのは僕の頭ではないみたいだ。

ご存知の通り、「Music FM」は違法音楽視聴アプリの急先鋒みたいな存在。10代~20代パリピのiPhoneには大体コレとSNOWがダウンロードされてる。タダで音楽聴きながら盛りに盛った己の顔写真をInstagramにアップすれば完璧な今どきパーティピーポーの完成だ。偏見です。クソだな。

しかし、残念なことに「音楽に身銭を切らない」「そのためなら違法アプリの利用も厭わない」というのが、今の「ライトリスナー」、つまり一般層の一般的な認識であることは抗いようのない事実だろう。今や音楽を始めとした創作物に金を払う、という行為は見る人が見れば「無駄な行為」「お金の無駄」とすら言われてしまうような時代なのだ。僕みたいな音楽好きからしたら猛烈な違和感と嫌悪感を覚えてしまうが。

例えば、食料や飲み物、衣服や住居には金がかかる。それら「衣食住」は僕達人類にとってのライフラインだ。そしてこれらを生きていく程度の生活レベルを保ちながら完全無料で済ますことはほぼ不可能だろう。一方で、音楽や本みたいな創作物って奴は「必要な量」が人によってマチマチなのだ。音楽も全く聞かないし本も全く読まない、なんて人も実は結構たくさんいる。で、Music FMみたいなアプリは「めちゃくちゃ音楽聞くわけじゃないけど、音楽無いのは辛いな~」って人にとって物凄く都合の良いアプリ。CDを買ったり金出してDLするほどファンじゃない、サブスクリプションサービスに登録するほど量も聞かない、けど音楽は聞きたい。そういう人がこういうアプリを選択していて、そういう人がどんどん増えている。これが「Music FM」の実情。

で、そもそも違法性の高いアプリなのに何故残り続けているのか。Music FMとしては「音楽を紹介している」というスタンスで、そこに「たまたま」音楽DL機能が付いているってだけなんですって。だからアプリの開発者が摘発されることは無いんですって。ましてやそういうアプリを容認しているAppleを始めとした配信サイトなんか絶対に捕まるわきゃないんです。もうね、結局法律の問題なんですよ。いくらモラルやマナーに訴えた所で「便利で安いもの」に人が群がるのは当然なんすよ。とりわけ、そういう「嗜好品」になるべく金を出したくないと思うこと、そもそも出す金も無いことは責められない。だって無い袖は振れないから。だったら法律から改訂しましょうよ。万引きや窃盗は厳しく対応されているのに何故「違法DL」は容認の傾向にあるの?やってる事としては完全に同じですよね。Music FMの利用は完全に「音楽の窃盗」であり、それを開発・提供する製作者及び配信者はは「窃盗幇助」以外の何者でもないでしょう。勿論、それを摘発するのには「どこまでを幇助とするのか」の解釈が非常に危うい。そこは国会議員の皆様に真剣に勉強して頂いて検討してもらいましょうよ。少なくともこのままじゃ日本の「音楽文化」は完全に破滅する。

 件のRevision of Senseだって、本当に「違法アプリ」という認識が無かったんでしょう。クッソバカなのは間違いないけど、そういう認識の人間がたまたま音楽で当たっただけで。バンドがああいうことを言うのもマジでやばいけど、その辺の人が違法アプリを平気で使ってそれをSNSなんかで平気で呟いているのも本当にディストピア感があって最悪ですよ。CDをリリースして、YouTubeにも公式に作品を載せて、サブスクリプションサービスも展開して。それでも違法アプリを使う人がいる。そういう奴が教職を目指している。終わってる世界ですよもうこんなもんは。最低ですよ。ミュージシャンはもう、音楽配信に関してはやれることはやり尽くしている印象です。そりゃミュージシャンにもよるけど。これから先、「#転売NO」のように、「#違法DLNO」、「#MusicFMNO」のような活動を始めるべきなのでは、とも思います。

創作物にはお金を払いましょう。公式にリリースされた作品を正当な手段で楽しみましょう。身の回りで違法性のある物を使っている人が居れば「違法」である事実を伝えましょう。本当に音楽産業が破壊されないように、せめて音楽ファンだけはそうありつづけてほしい。

 

ちなみに僕のおすすめアプリは「頭痛ーる」です。

 

追記

アプリにどう違法性があるのかの記載が無い、というご指摘をお受けしました。確かに分かりにくい部分もありました。わかりやすいサイトを見つけたのでWebサイトを載せておきます。

【コラム】書店員ふじもとが考える、書店のこれから

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この記事を読んでいる貴方、最後に書店に行ったのはいつですか?

僕は書店で働いてますんで、最低でも週3回は必然的に行くことになります。嫌でも。それは仕事だからカウントしないにせよ、休みの日に職場の本屋に行くことも結構あるし、遠くに出かけた先に書店があったら積極的に入ることにしてます。あとCDショップとヴィレッジヴァンガードも。

最近、書店業...というか出版業界全体がどんどん落ち目になっている感覚があります。というか小売店そのものかな。その理由は単純明快で、本もネットでダウンロードして読んだり、amazonで購入したり。とにかくすべてのことがインターネットで済ませる事の出来る時代になったということなのでしょう。それ自体は世間の流れとして仕方の無いこと...というか、止められないことですよね。大衆が利便性の良いものを求めるのは当然のことで。僕ら書店員がどうこうして「止める」事ではないと。でも、何もしないのもおかしいと思うんですよ。ネットで本を読んだり、amazonで本を購入するのに良さがあるように、小売店には小売店の良さがあるし、その良さを失うにはまだ早いと思うんですよね。

じゃあまず具体的に小売店、とりわけ書店実店舗の良さって何なのでしょう?

①実際に中身を確認できる

amazonだと本の中身を確認できますよね。amazonでも一部のページまでは読めるようになってたりするけど、実際に買う商品の質、例えばページの紙質とか、不良品か否かもそうですよね。これらはamazonで注文したら届くまで確認することは出来ない。ダウンロードしたものはそもそも紙ですらないし、不良品ってことは早々無いと思うけど。個人的には本って紙質とか、表紙の触り心地とか、そういう所まで読み心地に関わってくる事だと思ってるので、そこも含めてamazonやダウンロードと比べて店は「実際に購入する品物を手に取って確認できる」強みがあると思うのです。

②思ってもみなかった出会いがある

本屋って、例えば目当ての本を買いに行ったとして、その本に辿り着くまでに何十冊もの本を目にするんですよ。だからホントは買うつもりじゃなかったような本との思わぬ出会いが生まれる。amazonやダウンロードだと、目当ての商品に一直線。確かに見つけるまでの「速度」で言えば圧倒的に後者のほうが早いけど、「出会い」の量で言えばやはり実店舗の方がよっぽど強い。amazonにはジャンルごとのランキングがあるから、そういう所で新しい本と出会おうと思えば出会えるんだけど、それだって結局は「売れ線」な本としか出会えない。これは何事にも言えることだけど「売れ線」=面白い、ではないですよね。面白さってその人の価値観や受けてきたカルチャーに由来するから、いくら日本で1番売れている漫画だとしても、合わない人には合わない。ダウンロードはダウンロード市場に積極的に参入しているような出版社が出しているような本しか取り扱いが無かったりする。自分の読みたい本が電子版としてリリースされていないことだってある。これは致命的ですよね。まだまだamazonやダウンロード市場はこの辺が弱いと僕は思っていて。(少なくとも僕は)実店舗に行って自分の本当に読みたい本と運命的な出会いをしたい。

③スピードやタイミング

 amazonやダウンロードだと、注文、お金の支払い、商品到着、これら全てのタイミングが全部バラバラなんですよね。それはamazonやダウンロードで購入するときの利点でもあり、弱点でもあると思っていて。実店舗での購入ならこれらのタイミングが大体同じ。注文(お店に陳列されているものを手に取る)→支払(レジでお金を出す)→商品到着(すぐに受け取れる)。特に今社会問題になっている「宅配便、届けたのに人がいない」問題は僕ら利用者が思っている以上に深刻な問題で。そういうものを解消するために宅配BOXみたいな制度も増えてきているけど、まだまだ浸透度は高くない(だからこそ問題になっていて)。こういうところのシステムの根本的な解決が行われないとamazonは破滅していってしまう気が(個人的には)しています。

④「コト」消費がし辛い

SNSが発達して、最近だと「インスタ映え」みたいな言葉がものすごく使われていますよね。これこそ世界的な流れとしてどうしようもないというか、今までは消費者でしかなかった我々利用者が、発信者になっていく時代で。今のユーザーは「発信すること」を一生懸命探しています。その需要に応えるためにはやはり「体験型」の販売方法にシフトしていかなくてはならないし、amazonやダウンロードだとそういう「体験型」での販売は難しいと思うんですよね。逆に実店舗はアイディアさえあればいろんなことができると思うんです。

既にこの④、「コト消費」に関しては色んな書店が色んな展開をしてますよね。

TSUTAYA×スターバックスの「Book & Cafe」スタイルのお店はすっかり定着しました。書店とカフェが併設され、購入前の商品でもCafeでお茶やコーヒーを楽しみながら読めるスタイル。ほかの店では体験出来ないこと=「コト消費」に繋がりますよね。ただこれももう目新しさは無くなりつつあるので、他の新しい「コト消費」を探さないといけない、というか最早小売店は常態的に「コト消費」を探し続けないといけないところに来ています。

 先日、名古屋市守山にある「草叢BOOKS」に行ってみました。

ここは東京・代官山にある蔦屋書店(TSUTAYAを運営するカルチュア・コンビニエンス・クラブが運営する新しいカタチの書店)のコンセプトを受け継ぐBook & Cafe 形式の書店です。

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店内は撮影できないので、撮影可のブースと外観だけ。

本、文具、雑貨は勿論、レンタル、starbucks、中古本販売、フードコートまで揃っているまさに「究極の書店」がこの草叢BOOKSでした。どんな業態にも言えることだけど、もはや小売店は「コンビニエンス」化していかなくてはならなくて、なるべく1箇所でさまざまなモノが揃うことが好ましく、そういう意味ではここに来るだけで本も文具も雑貨も音楽も映画も揃うし、その合間にコーヒー飲んだり、食事したり、良い本が見つからなければ中古本を探したって良い。ここだけで1日過ごせてしまえる書店になっていました。それが結果として「コト消費」にも繋がっているんですよね。商品陳列、ディスプレイにも非常に凝っていて、本と本の間にジャンルや出版社などを分かりやすく記載しておく間仕切り(インデックス)も、ダンボールで作られていて、他にも記載されている文字も黒字の明朝体というオシャレデザイン。床にスノコを敷いてその上に塔のように本を並べるような陳列方法を取っていたり、これもめちゃくちゃオシャレ。「オシャレ」ってすごい抽象的な言葉だけど、「オシャレ」ってだけで非日常空間になるし、それが結果として「インスタ映え」見たいなものに繋がって、一般の人が投稿したインスタを見た人がまたそこに行きたくなる、って良い事しかないと思うんですよね。あとは「イベント」。イベントを開催する=そこだけでしか体験できないことができる=他の書店との差別化が図れる、というのは大きいですよね。この草叢BOOKSでは中古本の詰め放題企画をやってました(期間限定)。たまたま僕が行った日に開催していたので、僕も「聖☆おにいさん」の1巻~4巻を購入。母親が購入した書籍と合わせて3000円近い商品が1620円で購入できました。

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こういうの、ホント誰かに言いたくなるじゃないですか。そういう面白い場所があって、面白い体験まで出来る。そういうことが出来る小売店が今後生き残っていくようなお店なんじゃないかと思うし、スーパーなどに比べて書店はそういう体験を作りやすい場所だと思うんですよね。

これから書店はもっと色んな「体験の場」になっていくと思います。必然的に。書籍や文具や雑貨を通してお客さんに色んな「面白い!」を感じ取れるような書店が増えていくと思います。行ったことはないけど、電気屋と書店のコラボ店舗もあるみたいです。色んな業種とコラボして、より多角的でより面白い、多様性のある書店が増えていくと思うし、そのほうが健全だなとも思います。同じことばかりやっていてもつまらないしね。

この記事を最後まで読んでいただいた貴方。是非、色んな書店に行ってみて欲しいです。思わぬ出会いや体験が書店では出来ると思います。我々書店員も(僕は一端のバイトだけど)お客様に面白い!楽しい!と思われるような書店作りを目指して行きたいと常日頃から思っています。どうか書店に出かけてみてください。

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バンドからメンバーが脱退する時の気持ちとその後の気持ち

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赤い公園がVo.佐藤千明の脱退を発表した。

勿論、赤い公園の音楽はよく聞いてたし、ポップなんだけどロックさも併せ持ち無邪気さが内包された彼女達の音楽は、他のどんなガールズバンドとも違う、明らかな「異彩」を放っていた。ボーカルの佐藤さんの歌声は、パワフルかつキュート、さらにそこに繊細さも加わった唯一無二のものだった。赤い公園の音楽性の魅力のひとつには間違いなく、彼女のボーカルがあった。だからこそ、今回の脱退は残念だ。にわかファンの僕が言うも何だが。

こと音楽活動において、バンドやグループからメンバーが脱退する、という事の何とも言えない虚無感は他の何とも形容し難い。解散とも、活動休止とも違う、「脱退」にしかない悲しみや苦味というものがある。バンドやグループを追えば追うほど、音楽だけではない、音楽という範囲から超えた「魅力」が沢山見えてくる。それは例えば人間性とか、ファンとメンバーの距離感とか、メンバー同士の関係性とか、MCやメディア露出におけるキャラクターや言葉の選び方とか、そういうものが「音楽を演じる者の音楽以外の魅力」。そういう「愛着」とも言えるようなものが全てゼロになってしまうような虚無が「脱退劇」には、たとえ実情がそうでないとしても、そういう風に捉えざるを得ない瞬間がある。それはきっと僕たちリスナーが、バンドやグループに対して音楽だけじゃなくて「ドラマ性」みたいなものも求めているからだろう。デビューから少しずつライブのキャパが増えていったり、アルバムを出すごとに売上が増加したり、オリコン1位取ったり。そういうものが全部バンドやグループのドラマ性に繋がっていて、メンバーの人間性と合わせてそういうものを見ているからこそ、脱退劇が起こった瞬間にどうしようもない空しさを感じてしまう。

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 以前、こんな記事を書いた。Base Ball Bearからギタリスト湯浅将平が脱退したときの僕の率直な気持ちだった。本当に心の底から悲しかった。もうベボベの曲を素直な気持ちで聴けなるかもしれない。そう思った。

でも、彼らは進み続けた。発表直後に控えていたツアーは様々な先輩の力を借りて無事完走、夏フェス、ベスト盤リリースとそれに伴うツアーと怒涛の活動を展開し、4月には現体制での始めてのアルバムをリリース、現在はニューアルバムに伴うツアーを絶賛開催中だ。

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 彼らは、自分たちが思っても見なかった世界に突入しても尚、前に突き進むことを選んだ。そしてそこから生み出された作品、そしてライブは、確かな希望とあたたかい未来の在り処を感じさせる、新鮮さと充実さの2つを感じさせるものだった。「脱退」は絶望ではなく、彼らが選んだひとつの道でしかなく、その先で良いものが生み出せるのならば、それはもう「絶望」でもなんでもない、ただの途中過程なのだと。脱退劇以降のBase Ball Bearを見ていて、そう思えるようになった。

赤い公園の件の発表の直後、Base Ball Bear小出祐介が彼女たちについてこんなツイートをしていた。

彼自身も苦しんだからこそ、こうしたことが言えたのだろうし、ベボベ自身赤い公園に助けられた部分もあって(昨年開催されたでんぱ組.incの胎バンツアーでは赤い公園津野米咲ベボベのサポートに迎えた)、言わば恩人でもあるし、良い後輩でもあるのだろう。そういう経緯や関係性を知っているからこそ、僕はこのツイートが痛く泣けて泣けて仕方が無かった。

赤い公園も、今はまだ真っ暗闇の中なのかもしれないし、もう既に未来への確かな手応えを持った上でこの選択をしたのかもしれない。どちらにしても、そこまで悲観的になることも僕は無いんじゃないかなと思う。残った3人にも、脱退してしまう佐藤さんにも、これからも果てしない音楽人生が待っていると思うし、その道の先でまた巡り合ったって良いと僕は思っている。彼女たちの未来は、名曲「NOW ON AIR」のようにきっと、底抜けに明るい。

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