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駅メロが、好きだ。 〜鉄道の音楽の話〜

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小学校に上がる直前まで横浜の端っこに住んでいた僕は、電車が大好きな幼稚園児だった。東海道線横須賀線京浜東北線京急横浜市営地下鉄。この辺りの電車に幾度となく乗車したし、乗らない電車のことだってそれなりに知っていた。車両を見れば路線名がポンと出てくる、というのはこれくらいの歳の子供にしてはまあまあな「鉄オタ」だろう。

小学校に上がり、愛知県の片田舎に引っ越した僕は衝撃を受ける。路線に関わらず同じ顔、同じ色の電車。横浜じゃ当たり前のように10両編成だった車両はたったの3両。たくさんの路線がひしめき合っていた横浜に対して、こっちじゃJRと私鉄の2社だけ。大人になった今でこそ愛知の鉄道にも「ならでは」な面白さがあることは承知しているのだが、小学校の僕にはどう見たってそれらが「スケールダウン」、端的に言えば「クソしょぼい」モノにしか見えなかった。何より愛知県はあの世界的超絶怒涛の大企業、No.1クルマメーカー、トヨタ自動車のお膝元ということもあり、そもそも鉄道を利用する文化が殆ど存在しなかった(だからこそJR東海は在来線に金を使わず、徹底して金のなる木である東海道新幹線に金を注ぎ込む。在来線が路線に関わらず同じ顔や色の車両ばかりであることの理由がここにある)のだ。実際、中学3年になって東京に修学旅行に行った時は、帰宅ラッシュで満員の湘南新宿ラインの車内で床に座り込む同級生が。それにしたってどうしようもない奴等だとは思うけど、無理もない。電車の乗り方をそもそも彼らは知らないのだ。文化が無いから。愛知に来てはじめて乗った電車だった名古屋鉄道のホームと車両の間が広く、足をその間に突っ込んであやうく落ちてしまう寸前だったという超絶トラウマも相まって、僕の鉄オタライフは小学校への進級と共に終わりを告げた。

とはいえ、当時の断片的な(幼稚園の頃の記憶にしては鮮明過ぎるほどの)記憶は今でも僕の深層心理の中に深く刻まれているようで、旅行は車より鉄道派だし(車もいいんだけどね)、新幹線に乗ればテンション5割増しになるし、ドクターイエローを見かければ絶対に写真を撮るし、YouTubeで鉄道に関する動画を見てしまう。

そんな中で、最終的に行き着くのが駅メロ動画。

これもまあ、愛知県あるあるなのだが、こっちでマトモに駅メロを聞く瞬間はほとんど無い。普通のベルだ。名鉄にはミュージックホーンがあるけど、駅メロはやはり無い。横浜を離れた当初はその違いに気付いていなかったけど、今こうして「元鉄道好き」的な視点、あるいは一端の音楽好きとして東海圏の在来線に乗るとやはり寂しさを感じがちだし、東京で在来線に乗車するときに駅メロを耳にするとテンションが上がる。

すっかり前置きが長くなった。という訳で今回は「鉄道のポップス」こと、駅メロをご紹介しよう。

まずはこのブログで駅メロを紹介するなら欠かせない、この駅の駅メロ。

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JR茅ヶ崎駅発車メロディーサザンオールスターズの「希望の轍」。2000年にサザンが茅ヶ崎でライブを行った際、市民の間で発車メロディーに導入しようという活動が盛んになった。しかしこの際は「スムーズな乗り降りに支障をきたす」として導入は見送りに。そして2014年、署名活動を経てついにこの楽曲が茅ヶ崎駅発車メロディーに用いられることになった。僕自身も2度ほど実際の駅で聞かせてもらったが、やはり格別だ。茅ヶ崎=サザン、ということが改めて実証されたのがこの駅メロ導入だろう。他にも、大阪ではaiko大塚愛やしきたかじん、川島英五と様々なミュージシャンの楽曲を駅メロとして採用している路線があったり、いきものがかり小田急の本厚木と海老名で使われていたり、「ブルーライト・ヨコハマ」が京急横浜駅の駅メロになっていたりと、僕らにも馴染みのあるミュージシャンの楽曲が駅メロとして採用されている例が沢山ある。

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とはいえ、これらは「駅メロ界隈」では恐らく邪道な例ではないだろうか。「駅メロの王道」といえば個人的にはコレを推したい。

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JR-SHシリーズ。特に関東圏でJRを利用する機会が多い方には耳馴染みのある曲が多いことだろう。個人的には「JR-SH1」「JR-SH2」が特に好き。圧倒的駅メロ。駅メロの王者といえばこの2曲だろう。

続いて「Verde Rayo」シリーズ。

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「JR-SH」シリーズが駅メロの王者だとすれば、こちらは駅メロの女王と言ったところか。こちらも関東のJR利用者の方は耳馴染みのある曲だろう。全体的にしなやかな印象のある曲。

同じ「JR-SH」、あるいは「Verde Rayo」でも様々なパターンがあり、さらにテンポ感や音の高低でより細分化されたパターンがあるのが駅メロの面白いところだろうか。「Verde Rayo」は6パターンも存在する。楽曲のアレンジ違い、というのは普通のミュージシャンでもよく見る光景だ。

 

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近未来、あるいは宇宙を感じさせる「Cielo Estrellado」。

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シンプルで心地よさを感じさせる「春」。

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丸みのある音が特徴的な「せせらぎ」。

こうして様々な曲を挙げてみても、実に多種多様な駅メロが存在することがわかる。ちなみにコレ全部JR東日本で利用されているもの。JR東日本だけでもこれだけの曲が顔を揃えているのだから、私鉄、第三セクター、そして全国へと視野を広げていけば行くほど、数え切れないくらい沢山の駅メロがそれぞれの駅で今日も鳴らされている...のかもしれない。我が愛知県のように鳴らされていないのかもしれない。

ただ単に聞くための音楽として世に放たれたモノだけではなく、生活の足を少し止めて耳を傾ければ、駅メロのように日常の中には様々な音楽が鳴っている。貴方のお気に入りの駅メロは、どんな曲だろう。

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indigo la End「Crying End Roll」感想

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2016年の川谷絵音の日々は、彼をテレビやネット越しにしか見ていない僕でも手に取るように分かるくらい地獄のようだったのだと思う。

年始からベッキーとの騒動で世間を騒がせ、なんとか軌道修正して年内3枚目のアルバムリリースの直前に未成年との飲酒が発覚、アルバムリリースは延期、オマケに活動休止にまで追い込まれた。

5月にゲスの極み乙女。として活動を復活させてからの彼の活動ペースは常人のそれではない。様々なプロジェクトを立ち上げ、元々の2バンドの掛け持ちですら大変だと言われていたことなんか気にも留めず、今じゃバンドを含め5つのプロジェクトを並行して展開している。それはまるで「遅れていた分を絶対に取り返す」という強い意志すらも感じるものだった。

いやほんと、冗談抜きで誰か心配してやれ。確かに彼の世間からの評価を元に戻すには働くしかないし、誰もが認める名曲を作り出す事が必要なのは間違いない。けれどこのままだとそのうち絵音はぶっ倒れる。少なくとも僕が彼だったら何もかもほっぽりだしてスイスとかに移住すると思う。絶対に心が折れる

と、圧倒的な仕事量の中でリリースされたindigo la Endの3rd アルバム「Crying End Roll」。内容としては「藍色ミュージック」を更に突き詰めつつも、本来ならゲス側の持ち味だったメロディやアレンジのポップさもそこに流入してくる事で、インディゴ特有の「恋愛観」みたいなものがよりシャープに、よりクリアに可視化されたような印象のある1枚になった。

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川谷絵音のポップソングライターとしての資質は、ゲスの極み乙女。「私以外私じゃないの」「猟奇的なキスを私にして」などで既に実証されていたが、それがindigo la Endにも盛り込まれたのが今回の作品だろう。

前作「藍色ミュージック」はあくまでも元々のバンドサウンドを中心にどこまでポップさに寄れるか、という内容だった。先行シングルの「雫に恋して」や「心雨」はまさに、「バンドサウンドでどこまでポップスに成りえるか」のひとつの完成形だったと言えるだろう。

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そして今作では「ロックサウンド」だけでなく、キーボードやピアノなどの鍵盤によるサウンドが織り込まれた、あるいは女性コーラスの割合が増したことで「ポップサウンド」としての感覚がより強くなった。これは前述したように「本来ならゲス側の持ち味だったアレンジのポップさ」をindigoに持ち込んだ結果だろう。「キーボード」も「女性コーラス」も本来ならばゲスの極み乙女。が持ち合わせていた要素だ。初期のindigoはストレートなバンドサウンドが持ち味だったが、ゲスとしてのブレイクによって、川谷絵音が得たものが確実にindigoにも還元されていることがここからも感じ取ることが出来る。例を挙げれば、「エーテル」や「天使にキスを」、「猫にも愛を」なんかはまさにキーボードサウンドが中心に据えられた楽曲だし、「見せかけのラブソング」は女性コーラスが全面に出てきた楽曲だろう。

一方で、ロックバンド然としたサウンドも今なお健在だ。先行公開された「プレイバック」は変拍子を取り入れた新しい形のindigoロックサウンドだ。「知らない血」は1stに収録された「実験前」をさらに突き詰めたようなサウンド。彼らの原点とも言える、ドラム・ベース・ギター2本で作られるサウンドは今も健在だ。

そして歌詞は「失恋」の要素と「生命」の要素の2つを合わせ持つ。これは前作「藍色ミュージック」の延長線上であり、「藍色ミュージック」をより突き詰めた作風とも言えるだろう。

ポップソングにおいて「切なさ」という感情を切り離すことは出来ない。サザンオールスターズが、Mr.Childrenが、宇多田ヒカルがそうだったことが何よりの証明だろう。彼らがそうだったように、indigo la Endもまた「切なさ」を歌う。「恋愛」と「切なさ」は、もはやイコールみたいなもので、indigo la Endが「恋愛の喪失」を歌い続ける上で「ポップさ」がより増していく、あるいは先鋭化していくのは必然的なことだろう。

切ない感情がほら

増えれば増えるほど

愛しくなっていく

しょうがないんだ

「想いきり」indigo la End

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例えば、好意を抱いている異性が他の同性と仲良くしているところを目にしたら、誰だって悲しくなったり、切なくなるだろう。それは好意を抱いているからこそで、自分の中の切なさを感じることで、相手への好意を再確認し、その想いは増幅する。それはしょうがないことで。

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プレイバック プレイバック

穏やかな気持ち 2つ分

「プレイバック」indigo la End 

 indigo la Endの歌詞には「2つ」という言葉が頻発する。それは「恋愛」、あるいは「失恋」というものは相手が居てこそ起こりうるものだからだ。いつだって「恋愛」が起こる場所には「2つの気持ち」が存在する。indigo la Endの歌詞における「2つ」とは、相手と自分を指している。「プレイバック」の歌詞では「2つ分の穏やかな気持ち」を「プレイバック」してほしい、と叫んでいるのだ。

「切なさ」は「刹那さ」と表現することもできる。気持ちの揺らぐ一瞬(=刹那)を45分に渡って音と言葉で表現した「Crying End Roll」。あの騒動がどうだとか、彼の仕事量がどうだとか最初のほうに書いたけど、そんなことは関係なく、色んな人に聞いてほしいおススメの1作です。

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Crying End Roll[通常盤]

Crying End Roll[通常盤]

 

近年の桑田佳祐ワークス4作品の考察

今回の記事は誰かに読んでほしい!というものではなく(無論、読んで頂けるのであれば最高にハッピーなのは間違いないのですが)自分が思ったこと、考えたことを忘れないための備忘録の要素がより強い記事になります。端的に言うとなんか癖がすごい感じですよろしくお願します。 f:id:fujimon_sas:20170831062648j:image

今回桑田佳祐が「がらくた」という作品をリリースしたことによって、今までのアルバムの見え方も変わった気がする。

遡ること2005年、桑田佳祐サザンオールスターズとしてアルバム「キラーストリート」をリリースする。「キラーストリート」は、サザンオールスターズからギタリストが1人脱退して以来、はじめて制作されたアルバムであり、それまでの制作形態とは大きく異なる形で作られたことが楽曲のクレジットからも見て取れる(本来メンバーが演奏する楽器まで桑田が演奏している事がクレジットから伺える)。彼は、「キラーストリート」を「ラストアルバムだという覚悟で作った」と語っている。しかし完成後、桑田は全く「キラーストリート」の出来に満足していなかった。彼が「キラーストリート」の出来に全く満足していなかったのは今なお明々白々で、08年にサザンを止めたのはそういうことも理由としてあった、と本人が休止前のラジオで語っている。

彼は、08年の段階で1度サザンを完全に止めて、「キラーストリート」の次に制作するアルバム→「キラーストリートのリベンジ」を試みる。それこそが「MUSICMAN」という、究極の幕の内弁当アルバムだった。ポップス、ロック、打ち込み、と多岐にわたる音楽性が込められているのは「キラーストリート」と「MUSICMAN」の共通項である。

MUSICMAN」の出来は彼にとって「キラーストリート」を遥かに凌駕するもので、実際彼自身やっとここ1年であのアルバムのダメなとこを指摘しだしたくらいで(なんかそれもタイトルがどうのこうのって程度)、それまでは本当に絶賛していた。桑田佳祐の「MUSICMAN」への自信は相当なものだった、あるいは今なお絶対の自信を持っていると考えられる。

MUSICMAN」の出来に満足した桑田佳祐は、サザンとしての活動を再開する。それは同時に 「キラーストリート」で失敗したサザンで作品を作ることだった。13年に段階的に活動を再開したサザンは、14年以降本格的にアルバム制作に乗り出す。そうして完成したのが「葡萄」だった。これはサザンとしては実に10年振りのアルバムとなり、それはつまり「キラーストリート」から10年という時間が経過したこととなる。彼の「葡萄」に対する評価は何とも言えないが(発売直後にラジオで収録曲に対してボヤいていた記憶がある)少なくともサザンを完全に止めるところまで追い詰めた「キラスト」程ではないことが、その後の発言や活動の流れからも伺える。

「葡萄」を作り上げた桑田佳祐は再度ソロ活動を始める。「MUSICMAN」は「キラーストリート」のリベンジ作品であり、内容も「キラーストリート」のコンセプトに近い部分があったように思う。「キラーストリート」の「ラストアルバム"のつもりで"」制作している所は「MUSICMAN」にも共通する要素だろう。「キラーストリート」は彼の敬愛するThe Beatlesのラストアルバム「アビーロード」を、「MUSICMAN」は彼が生まれ育った国、日本の「日の丸」をモチーフにしている。アルバムに背負わせた覚悟がここから見えてくるのではないだろうか。これらのこと、そして彼自身のインタビューやエッセイなどからも、この2作を「集大成」とする意識を持って作られたことが分かる。

一方、「葡萄」では「和」をテーマにするという、比較的コンセプチュアルな側面が大きかった。それは結果的にそれまでのサザンオールスターズのパブリックイメージとは離れたものにはなったものの、作品、そしてその後回ったツアーと、今までにない、あるいは大衆がイメージするサザンオールスターズとは全く違ったサザンオールスターズを魅せることが出来たのではないだろうか。

そして、その「コンセプチュアル」な作風は、「新機軸」なモノを魅せる、という感覚に変化していく。ソロ活動再開後、はじめてリリースされた「ヨシ子さん」はまさに新機軸。そしてその感覚はアルバム「がらくた」にも内包されることになる。

以上のことから、「キラーストリート」の呪縛から完全に解き放たれた状態で作られたアルバムが「がらくた」だった、と私は推察する。「MUSICMAN」そして「葡萄」は、「キラーストリート」の面影、感覚(それはキラーストリートの「失敗」という事実を含め)を踏まえて作られた作品であり、それは「呪縛」とも形容できる。「がらくた」は「キラーストリート」以来初めて桑田佳祐がその「呪縛」から解き放たれた状態で作られたアルバムだった、と考えると、「がらくた」における制作における体勢の軽やかさ、新境地とも言える音楽性にも頷ける。

キラーストリート」「MUSICMAN」「葡萄」、そして「がらくた」。改めて時系列に追って考察してみると、どの作品も作られるべくして作られている。「がらくた」後の桑田佳祐はどういう活動を、どういう作品を作り上げるのか。まだ「がらくた」が発売されたばかりにも関わらず、楽しみで仕方が無い。

桑田佳祐「がらくた」全曲レビュー 〜新しい景色を魅せ続ける男の愛の言葉〜

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桑田佳祐の5thアルバム「がらくた」がリリースされた。

ソロ活動30周年という節目の年にリリースされたこのアルバム、一体どんな仕上がりになっているのか。御託はいい!早速全曲レビューしていきたいと思う。

①過ぎ去りし日々(ゴーイング・ダウン)

カントリー感のある抜けのいいロックサウンド。そして80~90年代の桑田佳祐を彷彿とさせる、まるで若返ったような気持ちの良いボーカル。歌詞は、桑田本人の今までの活動と現在地点を本人が振り返ったような言葉たち。

うらぶれ Going Down

さらば「全盛期(あの日)」のブーム

 その名もTOP OF THE POPS

栄光のヒストリー

今ではONE OK ROCK

妬むジェラシー

桑田自身還暦を過ぎ、所謂「全盛期」ほどの活躍ぶりではなくなりつつある、というのはもうファンである僕らから見ても明らかだ。というかその「全盛期」が化け物過ぎた、というのもあるのだろうが。現在の音楽市場で300万枚シングルCDを売るのは至難の技だろう。(とはいえ今回のアルバムツアーは全国のドームを巡る日程になっていて、充分栄光のヒストリーじゃねぇか、と思わなくもないのだけれど)

無理したってしょうがないじゃない

若い時と同じようには

Time goes by

若いころのようにはいかないんだから、という諦めにも近いような歌詞は、同時に現在地点の肯定とも言えるだろう。

そしてサビの歌詞では40年以上ポップス突き詰める桑田佳祐の「ポップシンガーとしての生き様」が提示される。

宇宙(そら)の彼方まで

Singin' Pop Pop Pop Pop

これが、日本が誇る KING OF POPの生き様なのだ。

②若い広場

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若い広場

若い広場

 朝の連続テレビ小説ひよっこ」主題歌。1964年、昭和でいえば39年、東京オリンピックが目前に迫る茨城や東京が舞台になった「昭和賛歌」とも解釈できるこのドラマ。主題歌もまた、60年代のエッセンスを色濃く感じる歌謡曲となっている。正直に言えば、若僧の僕には全く馴染みの無い曲調だし、のっぺりとした印象で解禁された頃はなかなか好きになれなかった。アルバムとしてリリースされて、改めて何度も聞いてみるとそのあたたかみ・ぬくもりが心地よくなってきた。生きた時代に関わらず、日本に住む人なら誰もがノスタルジックな気持ちを抱くことのできる、これぞ「普遍的な名曲」なのだ。

大河の一滴 

大河の一滴 (Album Version)

大河の一滴 (Album Version)

このアルバムではじめての既発曲。今回のアルバムでは、既に発表されていた音源はリマスタリングされて「Album Version」として収録されている。打ち込みの4つ打ちビートに乗っかるのは歌謡曲のエッセンスがほとばしる情感満ちたメロディ。4つ打ちは少し前のロックシーンで「4つ打ちダンスロック」として盛んに利用されていたリズムパターンだが、そのどれもがどうも似たり寄ったりで「飽和」感が否めなかったのだが、桑田佳祐の手にかかると4つ打ちも全く違った印象を抱く。

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④簪/かんざし

簪 / かんざし

簪 / かんざし

 ジャズの風味が満載の大人なバラード。内省的な歌詞と力強いのに儚げな桑田のボーカルに涙腺を刺激される。本当はそういう類の曲じゃないにも関わらず、聴いているだけで耳を愛撫されているような「エロみ」「セクシーさ」を感じずにはいられない。「泣けるのにエロい」「エロいのに泣ける」。今までに無いような曲であり、まさに新境地。銀座の小さなバー辺りで聞いたら酒がめちゃくちゃに美味くなりそう。

甘くジャズなど歌わずに

粋なブルースで踊らせて

ジャズの極みのようなこの歌に、この歌詞が乗ることでこの曲の批評性みたいなものがグッと高まっている。

今作はキーボーディストの片山敦夫と桑田佳祐の2者が中心となって制作された。15曲のうち10曲の編曲に片山氏の名前がクレジットされている。そういうこともあり、この曲以外にもピアノやキーボードが比較的目立つような作品になっている。

アタシとしては、バンドっぽくやるより、どちらかと言うと片山くんを中心とした「ユニット」の方向性を目論んでいた。いわゆる打ち込み中心ってヤツでね。

「がらくた」初回盤A付属エッセイ「がらくたノート」「愛のプレリュード」編より引用

それを知ったうえでこのアルバムを聴いてみると、より面白さを感じるのではないだろうか。バンドサウンド中心で制作された「ROCK AND ROLL HERO」や「MUSICMAN」などと聴き比べるのも良いだろう。

⑤愛のプレリュード

「大人のジャズ」の次は「青春のサーフミュージック」であり、「60年代ビートポップ」。というよりもうこれは「童貞ソング」だ。

愛のプレリュード

そして萌ゆ

恋人未満の僕でいい

ああ二人の絆は永遠(とわ)に

友達だと思っていた女性への秘めたる恋心に気付いてしまった男が、その恋心を秘めたまま「恋人未満の僕でいい」と諦めてしまう感じ。はちゃめちゃに童貞じゃねぇかと。こんな若々しい、甘酸っぱい歌詞を60過ぎの(いっちゃあなんだけど)おじいさんって言われててもおかしくない人が書いている、という事実にもうちょっと感動してしまうというか。40年近い桑田佳祐音楽制作史の中でも一番若々しい歌詞をこのタイミングで書いてしまうところに桑田佳祐の現役たる由縁があるのではないだろうか。

⑥愛のささくれ~ Nobody loves me

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愛のささくれ~Nobody loves me

愛のささくれ~Nobody loves me

 ソウルフルな魂を感じる大人のブルース。シンセの跳ね方が心地よい。やはりこの曲も片山氏が編曲にクレジットされていることもあり、今までの桑田ブルースと比べてもピアノや電子音が強い。

Nobody loves me
モテないんだもの
あんなに恋して燃えて
Oh, Never leave me
真剣なのに
あんなに無理して呑ませておだてて
口説いてたのに

Nobody told me
惨めなほどに
今日まで夢見て来たんだ
Baby, Don’t you leave me
終電で帰る?
ホントはカラオケルームとホテルを
押さえてたのさ
I like the way you walk

女性を口説こうとして大失敗する男をコミカルに描いた歌詞。「愛のプレリュード」の主人公の15年後、という考察もアリではないだろうか。15年経っても女を捕まえることが出来ないこの男は、まるで僕の生き写しのようだ。

⑦君への手紙

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君への手紙 (Album Version)

君への手紙 (Album Version)

孤独の太陽」を彷彿とさせるアコースティックサウンドが心地よいロッカ・バラード。「僕のお父さん」や「私の世紀末カルテ」のようなギター1本弾き語りではなく、途中から川の流れのようにサラリと流れ込んでくるピアノやシンセサイザーのサウンドによって、アコギ弾き語りの無骨さだけではなく、ポップさや「希望」がサウンドによって見事に表現された今までにない1作。

シングルとして「君への手紙」がリリースされた当時、正直あまりいい曲だとは思わなかった。「狂気」「サウンドの斬新さ」といった要素がふんだんに盛り込まれた「ヨシ子さん」の次にリリースされる曲がこれかぁ...と拍子抜けしてしまった。のだけれど、アルバムという作品の一部として改めて何度となく繰り返し聞くと、やはりその普遍性に感嘆してしまう。「若い広場」もそうだったが、この「がらくた」という作品、今までのどんな桑田佳祐作品よりも「噛めば噛むほど」な「スルメ盤」なのです。(サザンだけど)「葡萄」という作品では桑田佳祐という一人の男の人生の「円熟」「熟成」が作品に散りばめられていたが、今回は「作品そのもの」が「熟成」されていくよう。

⑧サイテーのワル

サイテーのワル

サイテーのワル

ハードロック調の社会風刺ソング。とはいえ「さくら」に代表されるようなゴリゴリのバンドサウンドではなく、あくまでも「ハードロック”調”」というか、やはり根底にあるのはシンセサウンド・打ち込みサウンド(言うまでもなく、編曲には片山氏がクレジットされている)だ。

歌詞は昨今の「有名税」というか、端的に言えば「文春砲批判」「ネット批判」のようなモノになっている。「ゲス」という言葉が出てくることで「お、ベッキー!!!川谷ーーーー!!!」みたいに捉えがちだけど、これは別にベッキ―騒動のことでも宮迫の不倫のことでもなく、彼自身のコトだろう。ファンの皆さんは覚えているだろう、15年初頭の”アノ”騒動のこと。当時、主にネットで上で桑田佳祐の出自やライブ演出の曲解をさも真実かのように書き散らされた。

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今でもGoogle検索やYouTubeに「桑田佳祐」と打ちこめば、真実を捻じ曲げた記事や動画がズラリと表示される。

永遠に消せないSite

Web Site

性癖も生い立ちも

全部割れていた

これはなにも、60過ぎたオッサンが「ネットとかよくわかんねぇけど、聴くところによるとよくねぇんだろ?」みたいな筋の通らない批判をしているのではなく、 彼自身が「ネットの恐怖」「嘘が流布され、あることないことが永遠に世間に残り続けることの恐怖」を嫌という程感じたからこその歌詞であり、我々は「ネットは人を傷つける道具になる」ことと「いくら著名人であろうと一人の人間である」ことを忘れてはならないし、この曲はそれを我々が忘れないための曲なのだ。

⑨百万本の赤い薔薇

桑田佳祐作品史上、最もポップで多幸感溢れる幸せなアレンジ。なんでこんなにも幸せなアレンジの曲が出来たのだろう、と編曲の欄を見るとそこには原由子の名前が。

有り体に言うと、彼女はクラシックを学び、ポップスが歌えて、ハーモニーが得意で、曲が書けて、キーボードが弾けギターもやるし、ストリングスのアレンジやコーラス・アレンジが出来る。

いわゆる作曲家や編曲家としての一面もあるのだ。

ピアノによる、ちょっとしたブルージーテイストなプレイから、シンセで彼女が考え出したサザンのキラーチューン的なフレーズの数々。

それらは枚挙に暇がないほど。しかもどれもが斬新でハイ・クオリティだ。(褒め過ぎか!?)

「がらくた」初回盤A付属エッセイ「がらくたノート」「百万本の赤い薔薇」編より引用

僕自身は楽曲のアレンジをした経験なんか無いし(当たり前か)、音楽理論的なスゴ味、なんてものは分からないのだけれど、「原由子がこの曲のアレンジを手掛けている」というところに物凄く膝を打つ感覚があったというか、「スゴク原由子らしい」と思った。曲が放っているオーラと原由子本人が放っているオーラの一致というか。ニュース番組「ユアタイム」のテーマ曲であり、番組中の様々な場面、たとえばCM前の5秒だとか、そういうところに使われるくらいにドキャッチーなイントロになった裏には原由子の真っすぐ過ぎる人柄があったと思うとそれだけでなんだかホッコリしてしまうし、何度聞いてもイントロでクラクラしてしまう。

⑩ほととぎす[杜鵑草] 

ほととぎす [杜鵑草]

ほととぎす [杜鵑草]

男女の別れを描いたピアノバラード。アクセントのように流れこむギターやシンセの音色が心地よい。「明日晴れるかな」や「月光の聖者達(ミスター・ムーンライト)」もピアノサウンドが中心のバラードであったが、本作はそのどれとも違う、より壮大で「宇宙」を感じさせるようなサウンドになっている。バンドサウンド、ギターやドラムが全面に出てくるような音作りになると、逆に壮大さというものは薄れていくと個人的には考えていて、ストリングスやピアノみたいな楽器のほうが、個々の楽器が持つ哲学性みたいなものがより壮大さを演出する。平原綾香の「jupiter」なんかまさにそうだよな~と(あれは原曲があってのことだし、そもそもテーマが宇宙ではあるのだけれど)。小難しいことをしていない、シンプルだけどそれ故に泣ける1曲。

⑪オアシスと果樹園

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オアシスと果樹園

オアシスと果樹園

「さあ、旅を続けよう。JTB 桑田佳祐『ハワイ篇』『オアフ篇』」CMソング。旅行会社のCMソングということもあり、「ハワイ感」というか「憧れのハワイ航路感」というか...。TUBEだとか加山雄三みたいな要素がスゴく盛り込まれていて、今までの「湘南ポップス」とはまた違った感覚のするノリの良い夏ポップスになった。

歌詞は人生を旅に喩えた、せつなくも希望の持てる詞。

⑫ヨシ子さん

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ヨシ子さん (Album Version)

ヨシ子さん (Album Version)

今回の第6期ソロ活動のスタートを飾ったシングル曲。改めてアルバムの中に配置されるとやはりこの曲の異質さが良くわかる。サウンドの圧倒的な「狂気」。歌詞の一見すると批評的なようで、いやでもやっぱり狂ってる!!という感覚。その狂気は益々強くなっていき、アルバムリリースに際した出演ラッシュでは「ヨシ子さん」リリース時よりも数段レベルの上がった「狂気」を感じることができた。こういう方向性で1枚アルバムを作ればよかったのに、と思うくらいだ。歌詞・サウンド・そして演出。すべてが絶妙に噛み合ったからこそ、この狂った世界観が生まれたのだ。

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 ⑬Yin Yang

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Yin Yang(イヤン) (Album Version)

Yin Yang(イヤン) (Album Version)

2013年3月リリースの15thシングル。つまりその後サザンオールスターズが「ピースとハイライト」として再始動をしており、サザンとしての活動を挟んでアルバムに収録されるという、これまでの桑田ワークスでもあまり考えられなかった形態となっている。これに対し、サザンオールスターズファンクラブ会報「代官山通信」の「桑田佳祐のオールスター讀物」で桑田佳祐はこう語っている。

実は「悪戯されて」 を入れようとして何度も何度も考えたんだけど、置き所が納得したものにならなくてね。それよりこっちのほうがいいかなって思って。この2曲は"歌謡曲っぽい"ところでは共通したりするし、あと昨年のライブでやってみたら、凄く楽しかったのもあったしね。入れて良かったなぁと思ってますね。

代官山通信 vol.139「桑田佳祐のオールスター讀物」より引用

「悪戯されて」はシングル「君への手紙」に収録された歌謡曲のエッセンスが限界まで込められた1曲。良い曲ではあるのだけれど、あの曲の有無でアルバムの印象はかなり変わっただろう。先行シングルや活動の流れから言って、このアルバムは「歌謡曲」のエッセンスが強いものになるだろうと予想していたが、意外や意外、ゴリゴリの歌謡曲アルバムというわけではなく、様々な楽曲が肩を並べる、いわゆる「幕の内弁当」的なものになったように思う。同じような「幕の内アルバム」は「キラーストリート」や「MUSICMAN」などが挙げられるが、その2作と「がらくた」の違いは「力の入れよう」だろうか。「MUSICMAN」や「キラーストリート」は力を込めて全身全霊で作り上げるフレンチのようで、「がらくた」は小腹が空いたからとりあえず作る袋めんのような。これは質の問題ではなく、あくまでも作る時の姿勢の問題だ。フレンチも袋めんも美味しい。「がらくた」は良い意味で力が抜けているというか、柔軟な姿勢のあるアルバムだ。そういう姿勢で作られたからこそ「Yin Yang」が収録された、とも言えるだろう。歌謡曲のエッセンスがありながらも、桑田佳祐が持つ軽薄さなんかも存分に込められたこの1曲が改めてアルバムとして収録されたのは、ファンとして純粋に嬉しい。

この曲が主題歌となった「最高の離婚」、素晴らしいドラマだったのでそちらも是非見てほしい。続編やらないかな...

⑭あなたの夢を見ています

90年代サザンの打ち込み楽曲を現代風にセルフオマージュしたというか、いい意味で既視感があるミドルテンポのポップナンバー。「悔やんでうるる」という歌詞が何度聞いてもなんらかの英語にしか聞こえない。40年前に「勝手にシンドバッド」で日本中を驚かせたこの歌唱法は、日本の音楽業界を大きく変化させたんだよな...と思いを馳せるとこの曲の聞こえ方も変わってくる。中盤のギターソロもスゴクサザンっぽくて好きだ。桑田佳祐の作るこういう曲に僕たちは惚れ込んでファンになったのだ。

⑮春まだ遠く

春まだ遠く

春まだ遠く

「がらくた」収録曲で1番好きな曲は?と聞かれたら、たぶんこの曲を挙げるだろう。この曲をはじめて耳にした時の衝撃と感動はこの先も忘れることはないだろう。

「いやこれ完全にディズニー映画だ」

ラプンツェルとか、アナ雪とか、アラジンとか、僕もそんなに詳しいわけではないけれど、間違いなくそういう映画の途中で流れるタイプの曲だ!!!と。キザな男主人公がクルクル踊りながら歌う曲だ!と。なんてこった、桑田佳祐は活動39年目にしてついにウォルト・ディズニーの境地にまで足を進めたのかと。本人は気付いていないだろうが、とんでもないことだなって話なんですよ。

歌詞もシンプルに男女の別れのうた。だけど、そこに日本の四季が織り込まれることでより繊細に「別れ」を感じることが出来る。日本は「ラブソング飽和状態」なんて言われているけど、やっぱりシンプルに愛だの恋だのって泣けるんだよなぁ。

...なんてこの記事を書きながらこの曲を改めて聞いていたんですけど、ディズニー感以上にこれは桑田佳祐版「見上げてごらん夜の星を」なんじゃないか、という気持ちも沸々と湧いてきたり。本人がどういう気持ちでこの曲を制作したかは分からないし、弦・管編曲の島健さん(ここは片山さんではないのです)もどういう気持ちで編曲されたのかは分からないけれど、この曲が、それこそディズニー映画のクラシックのように、あるいは「見上げてごらん夜の星を」のように、世代を超えて聞き継がれていけばいいのにな、と心から願うのです。

 

桑田佳祐「がらくた」、発売前に僕が予想していたハードルを軽々と越えてきました。正直ホントどっかで舐めてたというか、アルバムに際して先行公開されていた曲にあまりピンと来なかったこともあって、大丈夫かな?と思いながら聞き始めたんですけど、まあスゴイ。公開されていなかったアルバム曲が初聴からめちゃくちゃ良かったのと、それについてくるように公開されていた曲の良さにも気づくことができたというか。上でも書いたけど、ホントに聞けば聞くほど良くなる気がする。「がらくた」というアルバムタイトルに桑田さんは、「大上段に振りかざすことなく、みんなに親しんでもらえる“小品”を目指した」と仰られているのだけれど、ホントその通りというか、無理な力が籠っていない、シンプルかついい意味で力が抜けてるアルバムで聞きやすく纏まっているんですよね。それがこのアルバムのなによりの良さかなあと。

このアルバムは「集大成」ではなく「新境地」、とTwitterで感想を見かけたのだけれど、本当にそうで、「簪/かんざし」も「ヨシ子さん」も「春まだ遠く」も、他の曲も、とにかく「今までの桑田佳祐には無かった曲」なんですよね。デビューから間もなく40年が経とうとしているのに、未だに新しい景色を音楽で魅せ続ける彼の姿には本当に頭があがらない。

桑田佳祐?知ってるけどそんなに聞くほどじゃねぇかな~」

という人にこそ絶対に聞いてほしい作品なのは間違いない。本当に色んな人に聞いてほしい。

「がらくた」、是非聴いてみてください。貴方の「桑田佳祐」サウンドの定義が変わること間違いなし。

がらくた (初回生産限定盤A)

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 ちなみにウチ以外にも様々なブロガーさんが「がらくた」レビューをしているのでそちらも是非読んでみてください!ということで勝手ながらリンクを貼らせていただきます。

ese.hatenablog.com

blog.livedoor.jp

fuurintakino.hatenablog.com

こちらも是非!

菅田将暉「ばかになっちゃったのかな」の歌詞から考える、恋愛における「ばかさ」と「イタさ」について

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恋愛してる時の人間ほどばかな人間は他にいなく、また、恋愛が絡めば絡むほど人はイタくなる。というのが僕の持論である。

例えば、僕の男友達Aは恋愛になると極端にストーカーっぽくなってしまうし、僕の女友達Bは振られた後1週間毎日のように夜になると「ツラい」と僕にLINEを送ってきた。正直こっちがノイローゼになるかと思った。でも、普段は2人とも悪いやつじゃない。多分彼らのこの行為は恋愛が絡むからこそ起こることで、極めて人間的だとも思う(だからといってストーカーを認めるだとか、そういうことではないのだけれど)。これらの行為はすべて傍から見たら「ばか」で「イタい」行為に他ならないだろう。これは何も僕の友人に限ったことではなく、人それぞれ起こりうることだろうし、僕だってこういう経験が皆無、という訳ではなく、むしろ間違いなく僕だってアッチ側の人間だろう。恋愛が絡むと、男女の関係となると、人間は極端にばかになるし内に秘めたるイタさが表に出てくる。

俳優の菅田将暉が音楽活動を始める、と聞いて、最初は「ええ...」と思った。人気ある時にやる事やり尽くすつもりなのかな~みたいな印象をどうしても持ってしまった。わざわざ聴くほどのことでもないか、となんとなく聴かないままでいた。そんな折、友人らとBBQに向かう車内で、聞きなれない音楽がかかっていた。

「誰の曲?」

菅田将暉

「え、俳優の?」

「そうそう!」

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ありふれたラブソングに

感動しちゃってバカみたい

どうかしてしまったのかな

ありふれたラブソングに

感動しちゃってバカじゃない?

って見下していたのにな

僕自身、「ありふれたラブソング」に対して「スゴイ感動する~共感できる~」みたいなことをTwitterなんかで呟いている人を見ると「うへぇ...」って思うタチだった。「そんな歌詞に感動してんの?」みたいな。でも、いざ自分が片思いとかしだすと途端に「えっこの歌詞めっちゃいい...」って思いだす。

君の好きなラブソングを

必死に覚えてバカみたい

何 熱くなってんだか

このまんまの経験、僕もある。っていうか誰にでもこの経験ないかなぁ。めちゃくちゃあるあるだと思うんです。自分の趣味じゃない音楽のジャンルだろうが、自分の好きじゃない飴の味だろうが、自分の好きな人が聞いてたり食べてたりしただけで自分もそれが好きになってしまう感覚。こうやって活字にするとマジ気持ち悪いな。でも、それこそが恋愛における「ばかさ」「イタさ」だし、それをここまで言い当てたこの歌詞に僕は死ぬほど共感してしまうのだ。

らしくないよな これが恋だと思う

情けないけど それでいいとも思う

僕がこの歌に言いたいことはこの2行に全て込められていると言っても過言ではない。これこそが恋愛の美しいカタチ。「ばか」も「イタい」も上等だと。なんぼのもんじゃい。これこそが恋愛なんだと。それこそが人間なのだと。

サウンドは無骨なギターロック。菅田将暉に僕たちが抱く洗練されたイメージとはかけ離れているけれど、むしろそれがこの歌には合っている。情けない感覚がサウンドに反映されているというか。決して彼の歌唱力は高いわけではないけれど、それもこの曲には似合ってるよ。

菅田将暉、正直舐めてました。俳優がポンポン音楽やるんじゃねぇ!!って。でも、この名曲を世に放ってくれた彼に僕は感謝感激なのです。これからも聞き続けたい音楽。「ばかになっちゃったのかな」、シングル「見たこともない景色」に収録されています。是非。

見たこともない景色(初回生産限定盤)(DVD付)

見たこともない景色(初回生産限定盤)(DVD付)

 

今更だけど映画「モテキ」が最高って話

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最近自分の研究室のPCにNetflixを導入したんだけど、これもう蟻地獄みたいなもんですね。映画もドラマもアニメも無限に見れる。コンテンツ好きとしてはブツとして何かを持っていたいし、棚にDVDやらCDやら漫画やらが入っていることに充足感とか満足を覚えるタチだからこの手のサイトとかサービスにある種の嫌悪感を覚えていたんだけど。やっぱり入れてしまうとクソ便利だしどうしようもなく見てしまう。結局時代の流れとしてコンテンツにアクセスする時代なのは間違いない。最近じゃ研究そっちのけでプロジェクターで映画だのなんだの見てる。ガラステーブルとラグとソファーをぶち込んだ、居心地の良さだけならどこにも負けない研究室とNetflixの相性は満点。なんなら映画見るためだけに大学来てる。ホントダメ人間。そのうち研究室にピザデリバリーしてやろ。

Netflix導入して最初に見たのが映画「モテキ」だった。もう体感100万回位見てるのにまた見てしまう。新しいもの見ればいいのに。自分のこういうとこが極めて保守的というか、つまんねぇ人間だなと思わされるんだけど。でもまあ、なんでそんなに見てしまうって結局クソ面白くてクソ好きだからなんだろうなと。

やっぱり、この映画の特筆するべき点は音楽のチョイス。岡村靖幸大江千里FISHMANSPerfume竹内まりやももクロジュディマリくるり・・・。ジャンルや有名無名に関わらず良い音楽を様々に取り入れているのがスゴク良い。僕自身この映画で知ったミュージシャンが沢山居るし、皆素敵な音楽ばかり。今の僕の音楽の知識の広がりのキッカケのひとつは間違いなくこの映画。

カルアミルク

カルアミルク

  • 岡村 靖幸
  • ロック
  • ¥250
格好悪いふられ方

格好悪いふられ方

  • 大江 千里
  • J-Pop
  • ¥250

サブカルチャー映画って思われがちだし、実際まあ言ってしまえば主人公はサブカルクソ野郎だし、そこに間違いは無いんだけど、そういう界隈の音楽だけじゃない所がスゴク良いなと。音楽を聴きたいがためにこの映画を見たって全然良い。「音楽映画」としてとても優秀。知らない音楽への気付きの場なのは勿論、知っている音楽だとしても新しい発見があるのがこの映画の面白いところではないだろうか。

音楽だけじゃなくて、下北のヴィレヴァンとか当時はまだ知る人ぞ知る漫画だった進撃の巨人とか、そういう細かいネタが随所に配置されてるのもいい。ある種の「総合サブカル入門」であり、当時のサブカルチャーが映画としてこれからも残り続けた、というのもこの映画の功績だろうか。

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 あとはやはりキャスト、特に女性陣の強烈過ぎる魅力はそのままこの映画の魅力と直結している。史上最高の可愛さを誇る長澤まさみ、美麗かつ恋愛のイタめのキャラを演じきっている麻生久美子、ハマリ役過ぎる仲里依紗、ブチ切れ感が板につきまくっている真木よう子。4者4様だけど皆それぞれキャラがしっかり立っていて、主人公である幸世を悩ませ、トキメかせ、これからの道を示し、叱責する。ハッキリ言って主人公の藤本幸世は相当のクズで、どうしようもねぇ奴だ。その点がこの映画、もっと言えば「モテキ」というコンテンツにおける共通の弱点かもしれない。何故なら大半の人はこんなクズに共感なんて出来ないから。でもそんな彼だからこそ、作中で色んな人間を巻き込む力があるのも事実なのかなとも思う。

恋愛は、人間をメチャクチャにする一番の道具だ。「恋」とか「愛」が絡んだ途端に人間は、男は、女は、ヒドく面倒なことになる。そんな体験を僕は何度もしてきたし、見てきた。そんな「面倒くささ」、もっと言えば恋愛のある種の「イタさ」がスゴク的確に描かれているのがなによりこの映画の魅力だろう。物語の恋愛に直接関わってくる幸世、長澤まさみ演じるみゆき、麻生久美子演じるるみ子、それぞれが違ったベクトルで全員痛々しい。それを僕たちは俯瞰して見ているからイタいな~と思えるが、実際に恋愛している時の自分もきっとあんな感じなのだ。だから彼らは別になにも変ではないそ、自然だなぁと思う。恋愛における「イタさ」に対して自覚的にさせてくれた、という意味でもこの映画は僕にとってかけがえのない映画だなと。

個人的には、主人公の苗字が「藤本」なのは勘弁してくれ~って感じなのですが(苦笑) 地上波放送してた時に家族で見てたら親父に「お前これ主人公が藤本だから好きなのかwwwwwww」って言われて。んな訳ねぇしどんだけお前デリカシーねぇんだって思ったんですけどね。

と、様々な切り口から楽しむことのできる映画「モテキ」。おススメです!!

www.youtube.com絵

この映画が公開された翌年の高校3年の時、情報の授業で「Power Pointを活用してクラスの皆におススメのモノを紹介しよう」って授業があったんだけど、僕はこの「モテキ」を薦めたことを、この記事を書いていて思い出しました。今考えると結構な黒歴史だな...

モテキ

モテキ

 

今こそアイドルネッサンスについて語るネッサンス!

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日本には千差万別のアイドルが存在する。過去には松田聖子Winkおニャン子クラブモーニング娘。、そしてAKB48と現代に至るまで様々なアイドルが日本を元気づけてきた。その形は時勢に合わせて様々な変化を重ねてきた。例えば80年代は松田聖子小泉今日子と個人での活動が主流だったが、時代の変化していくにつれて複数人から大所帯へと変化し、今の48グループへ繋がっていった。コレは何もアイドルに関わらず、創作は絶対的な変化を伴うものである。そして欅坂46、中でも平手友梨奈のカリスマ的なメンバーの出現により、今度は逆に個人アイドルへの流れが出来上がるのかもしれない。

「変化を続けるアイドル文化」。そういう意味で、僕が今一番推したいアイドルグループである「アイドルネッサンス」について今回は語ることが出来ればと思う。

彼女たちの最大の特徴は、名前にもある「ルネサンス」にある。

「名曲ルネサンス」と題された新旧問わず選ばれる様々な邦楽のカバー。たとえば大江千里の「YOU」、スピッツの「スパイダー」、小泉今日子「木枯らしに抱かれて」、KANA-BOONの「シルエット」まで、アイドルらしい曲からそうでない曲まで実に新旧様々な楽曲をカバーしている。

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彼女達のカバーする楽曲のチョイスにはバイアスが存在しないというか、時代やジャンルや性別に囚われることなく選曲されている印象を受ける。強いて選曲の基準を見出すとするならば、彼女達の「アイドルネッサンスという世界観」を生み出す楽曲、というのが選定基準であり、とてもコンセプチュアルなアイドルだということがここから伺える。古今の楽曲を歌とダンスで再定義する様はまさに「ルネサンス」。自分たちのオリジナル楽曲ではなく、既存の楽曲に新しい解釈を加えることで自分たちの世界観を生み出す、というのはまさに、「今までにないアイドル文化」だろう。時代を超えて様々な曲がカバーされた彼女たちのアルバムは、聞き手の世代も超えさせる。個人的な話になるが、研究室で彼女たちのアルバムを流していたら他の研究生は勿論、卒論担当の教授、果てはたまたまウチの研究室に来ていた別の研究室の教授まで昔の曲のカバーを懐かしんで聴いていた。世代を超えるとはこういうことだよなぁ、と改めて思わされたし、その中心に「アイドルネッサンス」というアイドルがいることがとても面白いなと思わされる。

そんな彼女たちが先日、満を持して初のオリジナル楽曲をリリースした。

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「前髪がゆれる」と題されたミニアルバムには、4曲のオリジナル楽曲が収録されている。作詞作曲は、アイドルネッサンスの最初の「名曲ルネサンス」を飾った「17歳」の生みの親であり、アイドルネッサンスの立ち上げのひとつのキッカケにもなったとされるBase Ball Bear小出祐介

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アイドルネッサンスという「世界」のはじまりの「キッカケ」となった彼が、初のオリジナル曲という、アイドルネッサンスの新しい扉を開くための「キッカケ」に再びなっている所に物凄く運命めいたモノを感じずにはいられない。

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決まらない前髪を また風が乱してゆく

いつまでも私たちきっと

決まることなんてないのだろう

「変化」というものはなにかと認められないことの方が多い。変わることを悲しく思ったり、変わることに怒りを覚える人も多い。しかし、人は、街は、世界は変化し続けるからこそ美しい。それは「アイドル」である彼女達にも同じことが言えるだろう。平均年齢16歳の彼女たちはまさに「変化」のど真ん中。自らの「変化」を前髪に喩え、決まることのない=変化し続ける自分を肯定する歌詞にヒドく共感してしまうし、これこそアイドル文化的だな、とも思う。

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ここまで楽曲についてばかり書いてきたが、メンバーである本人達についても書いておきたい。

でんぱ組.incももいろクローバーZなど、10人以下の人数で構成される女性アイドルグループのメンバーにはイメージカラーをつけがちで、それはそれぞれのメンバーの認知度を高める上で有効的だ。しかしアイドルネッサンスは全員「白」を基調にした衣装で活動している。「白」はどんな色にも染まることができる色だ。ここにもまた、彼女たちの「変化への思い」「変化への姿勢」が伺える。アイドルネッサンスのコンセプトがここからも強く感じる。

メンバーがそれぞれに始めたTwitterや、インタビュー記事を読んでいると、皆それぞれが自分の色を探している最中に居ることが伺える。今後、彼女達が活動を重ねる事でどんな色に染まって行くのか、楽しみで仕方が無い。

最後に彼女たちのデビュー曲を。

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アイドルネッサンスの「檸檬が弾けるような日々」はまだまだ続く。次はどんな「変化」を魅せてくれるのだろう。

前髪がゆれる

前髪がゆれる