私とROCK IN JAPAN FESTIVAL

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本記事は「rockin'on presents 音楽文.com」への応募用に執筆したものです。

大好きな音楽の未来の為に

  私がROCK IN JAPAN FESTIVALの存在を知ったのは、10年前、高校時代に遡る。

   当時は音楽ファンと言うよりもサザンオールスターズの熱心なファンだった私は、暇さえあれば彼らの過去のライブデータを掘り漁っていた。ROCK IN JAPAN FESTIVALの名前を見つけたのはその時のこと。RIJFには桑田佳祐として02年に、サザンとして05年にそれぞれ出演しており、セットリストもロックに傾倒した物となっていた。当時の私はそのセットリストを演奏するサザンや桑田佳祐をぜひ生で見たかったと、当時参加したオーディエンスのことを心底羨ましく思ったものだ。

  当時高校生の私は音楽、中でもロックに徐々に傾倒していった時期で、サザンだけでなく沢山のロックバンドの音楽に触れだした時期だった。Base Ball BearチャットモンチーRADWIMPS。またロックバンドではないがPerfumeもよく好んで聞いていた。いずれも憧れて止まないミュージシャンだが、そのすべてのミュージシャンについて調べてみると、皆挙ってROCK IN JAPAN FESTIVALに出演していた。それに気付いた時、私のRIJFへの憧れはグンと増した。一体どんな場所なのだろう、どんな会場なのだろう、どんな人が居てどんな匂いがするのだろう。データをなぞるだけでは分からない、ROCK IN JAPAN FESTIVALというフェス、そして開催地であるひたちなかという場所に想いを馳せた。

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  そしていつしか私はROCKIN’ON JAPANを購入するようになった。今でこそ定期購読している雑誌だが、当時は高校生でお金もあまり持っていなく、好きなミュージシャンが掲載されている時にちょこちょこと買うような日々だった。ROCK IN JAPAN FESTIVALがrockin’on社の主催フェスだということもこの時に気が付いた。以来、ROCK IN JAPAN FESTIVALだけでなく、rockin’onというメディアにも興味を持つようになった。とりわけ、毎年ROCK IN JAPAN FESTIVAL終了に掲載されるRIJF特集が楽しみだった。RIJFに参加出来ずにいた当時だからこそ、セットリストや写真、ライブレポートを読みながら、ROCK IN JAPAN FESTIVALというフェスの光景を想像し、その光景を自分の頭の中で組み立てることが楽しかった。

  大学に入り、バイトを始め、そのバイト代で沢山のライブに参加するようになった。とは言えその大半はワンマンライブで、当時は沢山のミュージシャンがライブをするようなライブフェスやイベントにはあまり積極的に参加していなかった。やはり沢山のミュージシャンが出演するフェスは、当時まだライブにもあまり慣れていなかった私には参加のハードルが高かった。そんな中でも依然としてROCK IN JAPAN FESTIVALへの憧れは持ち続けていたし、その憧れは日々募るばかりだった。しかし愛知に住んでいた大学生の私にとって、茨城という場所は途方もなく遠い場所のように感じられ、結局学生の間にひたちなかへと足を運ぶことは出来なかった。

  大学時代は暇さえあれば常に音楽を聴いていたこともあり、高校時代よりも一層音楽の趣味が広がった。クリープハイプindigo la EndヤバイTシャツ屋さん打首獄門同好会吉澤嘉代子。高校時代と比べても、ロックを中心に様々な音楽が好きになっていた。そのすべてのミュージシャンがROCK IN JAPAN FESTIVALに出演していた。ロックバンドは勿論、ロックバンドではないミュージシャンも全て受け入れるRIJFというロックフェスのスタンスが参加せずとも好きだった。

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  近年はロックフェスが世間一般でもレジャーとして定着し、ROCK IN JAPAN FESTIVALとしても、B’zポルノグラフィティ松任谷由実など、これまでこのフェスに縁遠かったミュージシャンの出演や、13年振りにサザンオールスターズが出演するなど、RIJFに対する世間からの注目度が高まっていることを傍からも十二分に感じていたし、その注目度に比例するように私自身のひたちなかへの気持ちもこれまで以上に昂って仕方が無かった。

  2019年の夏、遂に私は国営ひたち海浜公園へと足を運ぶことを決心した。社会人2年目、なけなしの夏ボーナスの大半を注ぎ込むようにチケットを購入し、ホテルを抑え、茨城への電車とバスの準備を整えた。開催の2か月前からずっとソワソワして落ち着かなくて、ロックフェスについて会社の同僚に熱弁したり、タイムテーブルをどう回ろうか1日中考えたりしたことを覚えている。

  当日、東京駅から特急に乗り込んで会場最寄りの勝田駅を目指した。特急の席の周りには明らかにフェスに参加するような服装の人が沢山居て、気持ちが昂るのを感じた。勝田駅に着くと、駅はROCK IN JAPAN FESTIVALの装飾でいっぱいになっていて、私はその装飾を見ただけで思わず涙が溢れそうになった。遂に、10年近くずっと憧れてきた場所にやってきたのだという感動に震えた。

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  ROCK IN JAPAN FESTIVAL史上初の5日間開催となったRIJF2019。私は4日目と5日目に参加した。2日間、それは目いっぱい楽しんだ。SNSで知り合った音楽仲間との対面を果たしたり、結局当日まで決めかねていたタイムテーブルに改めて頭を悩ませたり。フェス飯は何を食べても美味しかったし、会場の至るところに設置されたモニュメントや装飾に、日常では感じえないワクワクを感じた。RIJFには僕が楽しいと感じることが無数に詰まっていた。

  2日間で沢山のアクトを見た。10年前から変わらず好きなBase Ball Bear。この数年の私を支えてくれたミュージシャン、吉澤嘉代子。ずっとライブが見たいと思っていたマキシマム ザ ホルモンや[ALEXANDROS]。夏の終わりを感じさせたフジファブリック。他にも気になっているミュージシャンは片っ端から見た。蓋を開けば2日間共ほぼ休みなく、様々なステージの様々なアクトを見続けていた。

  「楽しめた」のは「楽しいこと」だけが理由ではない。「楽しむ」ためには「快適であること」も「楽しいこと」と同じくらい大切である。その点においてもROCK IN JAPAN FESTIVALというフェスは「楽しめる」フェス、つまり前述したアクトやフェス飯などの「楽しいこと」と同様に「快適であること」も目指し続けているのであった。例えば、こういった大規模な野外イベントで必ずオーディエンスである我々が直面する「トイレ問題」。どんなイベントでもトイレ待ちの列に並ぶことが常で、その時間が勿体ないし、ストレスになる部分もあった。しかしRIJFは、20年の歴史の中でもかなり初期の段階でトイレを大量に設置するフェスとなっており、そのことを知識として覚えていた僕も実際の現場に行くとなるほどこれはと思う程に快適だった。トイレに行列は無く、どころか至る所に空きのトイレがあった。そんなフェスは後にも先にも僕は出会ったことは無い。また、観客がステージやフードエリアを移動する導線に関しても左側通行が徹底され、また参加者が自然と左側を通行するように仕掛けられており、フェスを主催する多くのオーガナイザー、そして参加者が頭を抱える導線についても、ROCK IN JAPAN FESTIVALはどこまでも快適であった。

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  なにより、1日中会場の至る場所で音楽が鳴らされているあの祝祭感は何にも代えがたいものがある。ロックフェスなのだからそりゃあそうだろう、と言ってしまえばそうなのかもしれないが、会場のどこを歩いていても色とりどりの音が聞こえてくるあの感覚はやはり、ワンマンライブでは感じえない、ロックフェスならではのモノで、平和とはこうして音楽を垣根なく楽しめることなのだろうと思った。

  2日間の中でも最も印象深いアクトは5日目のポルノグラフィティのステージだ。私は小学生の頃からポルノグラフィティの音楽が好きで聞いていたが、彼らがRIJFを始めとするロックフェスに出演しないことを少し寂しく思っていた。しかし近年のポルノは様々なフェスに積極的に出演し、17年にはROCK IN JAPAN FESTIVALに初出演した。そんなポルノが再びRIJFのステージに立つと聞き、とても嬉しかった。その一方で、この日のGRASS STAGEは全体的に、ROCK IN JAPAN FESTIVAL20周年を共に駆け抜け、至る場面でrockin’on と苦楽を分かち合ってきたと言っても過言じゃないようなミュージシャンの出演が多数見受けられた。例えば、RIJF初年度から出演しているスピッツや、20年間出演し続けているエレファントカシマシ、そして大トリを務めたDragon Ashらはこのフェスと切っても切れない関係性を持つバンドだ。彼らが20周年の記念となる年の開催最終日を務めるのは、ひたちなかで過ごしてきた20回目の夏を共に祝うためという側面があったように思う。一方、ポルノグラフィティの出演は17年にROCK IN JAPAN FESTIVALに初出演して以来2度目であった。同日の他の出演者と比べるとRIJFやrockin’onとの関係性は希薄だったはずのポルノグラフィティがなぜ、この特別な日に出演することになったのだろう。ポルノグラフィティの出演日が決まった時、私は不思議に思った。

  当日、少し日が傾いてきたGRASS STAGEで見たポルノグラフィティはどこまでもロックだった。ポルノグラフィティはそのキャリアの多くをロックフェスからは縁遠い場所で戦ってきたバンドだったが、この日はロックフェスに相応しい、焦がすような熱い魂とサウンドを広大なGRASS STAGEに響かせていた。ポルノの演奏が終わった時、私の前方で彼らのライブを初めて見たであろう女性の方が「こんなにロックなんだねー!!」と話されていたのを見て、彼らの音楽に何度も背中を押されてきたひとりのファンとして心から嬉しかった。彼らの音楽にこれまで触れてこなかった人がロックフェスを通して新しい扉を開く、そんな瞬間を目撃したような気持ちになった。思えばこの2019年という年はROCK IN JAPAN FESTIVALが20周年であったように、ポルノグラフィティもまた、デビュー20周年のアニバーサリーイヤーであった。ポルノグラフィティRIJFにとって特別な日に出演したのはきっと、この20年間互いに違う場所で音楽シーンを彩り、闘ってきたことを、音楽を通して共に称え合う為だったのではないだろうか。そんなことを私は彼らのステージが終わったGRASS STAGEを見つめながら考えていた。

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  5日目のフジファブリックのアクトが終わり、PARK STAGEの頭上に打ち上がった花火を見終えると私は国営ひたち海浜公園を後にした。あっという間の2日間で、帰るのが名残惜しくて仕方がなかった。憧れの場所だったROCK IN JAPAN FESTIVALは、この2日間で私にとって帰る場所になったのかなと帰りの電車に揺られながら考えていた。また来年も参加しよう、このひたちなかにまた帰ってこよう、名物のハム焼きを食べそこねてしまったから来年こそは食べよう、来年は五輪の関係で週を跨がず3日間の開催だから全日程参加できるかもな、なんて2020年のRIJFに思いを馳せていた。

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  そんな私の思いは、叶わぬモノとなってしまった。

  2020年、世界は新型コロナウイルスの脅威に曝された。2月末から音楽ライブ、コンサートは開催自粛を求められた。あれから半年近い時間が経過した今でも、以前のようにライブやコンサートを行うことは事実上不可能となっている。私自身、チケットを購入済だった沢山のライブが延期・中止となった。ライブ市場は我々の想像を絶する程の大打撃を受けている。

  今年のROCK IN JAPAN FESTIVALもまた、開催中止を余儀なくされた。正直、開催中止が発表された日は悲しくて悲しくて仕方がなかった。今年もまた行けると信じていたし、そうやって毎年参加し続けることが、私があのRIJFという存在を知り興味を持った頃からの夢だった。やっと初めて参加することが出来て、私の中で憧れの場所から帰る場所へと変わって、初めて「帰る」ことになるはずだった、そんな年の中止はさすがに堪えるものがあった。なによりも、たった一度きりしか参加していない私より、何度もひたちなかで夏を過ごしてきたオーディエンスやミュージシャン、そしてスタッフ、運営、出店予定だった「何度もあの場所に帰り続けてきた」方々の悲しみや苦しみを思うとどうしようもなく辛くなった。

  しかしながら、ロックフェスにおける平和とは、1mmの気兼ねも無く、心の底から音楽を楽しみ愛すことができる状況こそを指すと私は考える。そういう意味では、今この状況下でROCK IN JAPAN FESTIVALを始めとしたロックフェスや音楽フェスをこれまで通りのやりかたで楽しむことはかなり難しいだろう。1mmの気兼ねも無く、心の底から音楽を楽しみ愛すことが再び出来るように。今回のRIJFを始めとした、各音楽イベントの中止・延期は、イベントに携わるすべての人の未来への願いが込められている。

  一方でこのまま為す術も無くコロナの終息を待っていても、元通りになる頃にはきっと経済的な理由で音楽を鳴らす場も無くなり、それを支える沢山の就労者の多くがこの業界を去ってしまうだろう。音楽が普遍的に鳴らされる場を守るためには、それを支える沢山の人々を守らなくてはならない。そんな中で沢山のオーガナイザーやミュージシャンたちが、今出来るやり方で我々オーディエンスに音楽を、フェスを届けようとしている。ROCK IN JAPAN FESTIVALは今年、本来開催予定日だった8月の8日から10日にかけて、スマホアプリ上で配信企画を開催。出演予定だったミュージシャンたちのライブ映像や、今回の出演で想定されていたセットリストをアプリからお茶の間に届けてくれる。そして、今できるやり方でフェスを届けようとしているのは、オーガナイザーやミュージシャンだけではない。RIJFの名物ハム焼き、そして丸ごとメロンソーダを出店し続けてきた地元茨城の会社は、今回のRIJFの開催中止を受け、2社でタッグを組みクラウドファンディングをスタート。支援者にはハム焼きや丸ごとメロンソーダを家庭で楽しめるようなセットが届けられる。これもまた、今できる形のロックフェスの形と言えるだろう。このプロジェクトは結果として800万円を超える支援を集めた。来年以降もひたち海浜公園で音楽と共にハム焼きやメロンソーダが楽しめることを願う意味も込めて、私も僅かながら支援した。

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  私が学生時代憧れ続けたロックフェスは、沢山の人達の協力で作られている。我々が音楽を心から楽しめるのは、表舞台から全力で音楽を届けようとしてくれるミュージシャンと同じように、陰で支えてくれている沢山の人達がいてこそだ。そんなロックフェスを支える沢山のスタッフが、このコロナ禍の中で危機を迎えている、この先の未来、あの場所で再び音楽が今までと同じように鳴らされるために、我々は今できることをしなくてはならない。どんなことでも良い。例えばコロナをキチンと恐れ、感染拡大防止策を講じることも、間違いなく未来の音楽のために必要な事だろう。私たちが今出来ることを重ねながら、来たる祝祭の日を共に願い続けよう。オーガナイザーやミュージシャンらの新しい届け方で音楽を受け取り、目いっぱいに楽しみ、そして我々が出来る支援を続けよう。私たちが大好きな音楽の、ロックフェスの未来の為に。

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