2020年と音楽

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2020年も半分が過ぎようとしている。 

日本において10年代中盤から後半は、誰もが2020年という近未来に憧れと期待を抱きながら過ごしていたように思う。東京五輪の開催、来たる新しい年代。それらに胸躍らせながら、時にはその来たる未来の為に我慢をしながらも、緩やかな日常を過ごしていた。

いざ2020年の蓋を開けば、年初より新型コロナウイルスの世界的流行が始まり、知らず知らずの間に国内でも感染が広がり、各地の大型イベントは無くなり、学校は休みになり、やがて「緊急事態宣言」が発令され、街から人が居なくなった。僕らの日常は突然に終わったのだ。皆があんなにも憧れた東京五輪は延期、その延期となった来年の開催の見通しも今なおつかないままだ。6月になるとアメリカ国内では黒人男性の死亡を巡り抗議デモ活動とそれに伴う暴動が加速。流行病と人種差別という、一昔に憧れた近未来の2020年とは思えないような、絶望的と言うしかないような光景を我々は目の当たりにし続けている。

 

こんな時、音楽は無力である。

 

音楽にコロナウイルスに打ち勝つ為のワクチンの効果は無い。音楽を聞いていたってコロナウイルスには感染する。同じように、音楽に人種間の分断を物理的に埋める手立ても無い。そういった社会で起こる問題に対して、音楽は圧倒的に『無力』なのだ。

まして、コロナ禍の現在、日本国内ではコンサート・ライブ活動は完全に停止。ストリーミング配信後の音楽市場の中心であったコンサートが止まり、一部のライブハウスは閉店を余儀なくされた。音楽業界は近年稀に見る危機を迎えているような状況だ。傍から見れば、音楽が誰かを助けるというより、誰かが音楽を助けなければならないのでは無いかと思ってしまう。

 

「音楽の力」という言葉を時折耳にする。音楽特番、SNS、ネット記事。物理的には何の問題も解決出来ない筈の音楽に、皆が挙って圧倒的な見えない力を感じているのは何故だろう。

 

音楽の力とはつまり、人の心を動かす力である。

ポジティヴな歌を聞けば元気になる。

哀しい歌を聞けば涙が溢れる。

どれもこれも、心が動いた証拠である。

 

だからこそ、音楽は時に利用される。例えば、歴史が証明しているように、音楽を利用して市民の心を動かし、政治にとって都合の良いように人を動かす政治家だっている。音楽の作り手にとって良いようにも、悪いようにも、音楽は利用されてしまうのだ。星野源が自身の著書で「(音楽は政治に)ただ利用されるだけ」と記したように。

 

同時に、年齢も性別も人種も飛び越えて、ひとつになることができるのが音楽だ。それは音楽がそういった記号に関係無く、心を動かせる存在だからに他ならない。人種差別も、音楽の前では無力になるかもしれない。

 

だからといって、音楽の力を過剰に信じたり、押し付けることもしてはならないだろう。同じ音楽でも心が動く人もいれば、ピクリとも動かない人だっている。音楽そのものに心を動かされない人もいる。音楽によって社会や組織を動かすことは難しい。一人ひとりの心を動かし、それがやがて大きなうねりを作る。それが音楽の力だ。その曖昧で微妙なバランスの上に、音楽は成り立っている。

 

コロナ禍以降、僕は3月の更新を最後に、このブログでの執筆を止めた。それは音楽を中心とした文化活動への支援を求める署名活動に注力していた事と、この状況にどうしようもなく腹立たしく、虚しく、哀しくなっていたからだ。

でもそんな間も音楽を聞くことは止めれなかった。様々な工夫をしたりしながらも、結局は音楽は僕の中で鳴り止まなかった。

 

きっと、音楽はこの先もずっと止まらない。そして、より沢山の音楽を鳴らす場所が止まらないように、なによりもこの流行病が落ち着いた時に目いっぱい身体中で音楽を楽しむために、すべて僕達は引き続き支援を続けなきゃならない。何が出来るのか考え続けなければならない。

変わり続ける世界に、必死に食らいつき続けなきゃならない。この暗く辛い2020年に負けないように。

 

音楽を、音楽が鳴る場所を支えるひとつの形として。僕はこの「Hello,CULTURE.」を再開します。現在のため、未来のために、少しでも音楽に寄与できないか考えながら、そして読んでいただける皆様に楽しんでいただけるように、ブログを運営していきます。

今後ともどうぞ、このブログをよろしくお願い致します。

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  • 作者:星野 源
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