もうすぐ2020年。平成と共に10年代は終わり、我々は令和と共に20年代という新しい時を迎えようとしている。
僕は20年代を迎える前に、10年代の音楽シーンの総括をしようと考えた。そこでまずは、先日から参加しているnoteの共同運営マガジンで、10年代音楽シーン年表を疑似的に作成した。
この年表はあくまでも助走。今回はこの年表を踏まえて、10年代の音楽シーンを語る上で僕が重要だと感じる10曲を選び、10の章からそれらの楽曲のシーンにおける意義を考えようと思う。
10年代の始まり。西野カナ「会いたくて 会いたくて」
10年代、特に初頭を語る上で忘れられないのは00年代の音楽シーン動向だと思う。僕らはこうして「分かりやすさ」故に年代毎に音楽シーンを分断して語ったりしているが、あくまでもそれらは地続きで、10年代頭の音楽シーンを語るならば当然00年代の音楽シーンも避けては通れない。
00年代を振り返ると、90年代のCDバブルを引きずりつつ、シーンはあくまでもポップスが中心であり、ポップスによってシーンが語られていたように思う。とはいえその「ポップス」というのは様々なジャンルとの相性が良く、例えばR&Bを下地として音楽シーンに革命を起こした宇多田ヒカルやMISIA、ミクスチャーロックをポップスに昇華したORANGE RANGE、テクノポップを日本に定着させた中田ヤスタカなど、「トレンディドラマ映え」を狙った曲や「TKサウンド」がドメスティックな程シーンを席巻していた90年代と比べると様々な音楽ジャンルがポップスとして歌われだしたのが00年代だと私は考える。
そして00年代後半になると着うたが登場。
japan.cnet.com
着うた登場時には既に「iPod」などの音楽再生機器も登場していたが、学生、特にライトに音楽を楽しむ層はiPodではなく携帯電話に着うたフルをDLして音楽を楽しんでいたのではないだろうか。
そんな中で音楽シーンも着うた使用層に聞かれるミュージシャンが増加。00年代後半にヒットを重ねた青山テルマやJUJUはまさしく「若い女性」にウケたミュージシャンだろう。
そして10年代の始まりにも00年代終盤の着うた文化を汲んだミュージシャンがシーンの真ん中にいた。それが西野カナだ。
女子中高生からの人気を一手に引き受けた彼女は「ラブソングの女王」と呼ばれ、特にこの「会いたくて会いたくて」は女性からの沢山の共感を巻き起こした。
その一方で「会いたくて震える」という歌詞を嘲笑するようなムーブメントが(主にネットにおいて)散見されたが、その強烈な一節が彼女の支持層だけではない、誰も彼も沢山の人間に(形はどうであれ)何か引っかかった、というのは紛うことなき事実だろう。
彼女はその後も若い女性の代表として歌い続ける。15年の「トリセツ」は特に「現代版・関白宣言」と呼ばれる。「関白宣言」と比べてみても時代による恋愛観・結婚観の変化、男女の関係性の変化が伺えて大変興味深い。
そして西野カナ自身は19年に活動休止、そして結婚を発表した。彼女のブレイクのきっかけとなった「着うた」も過去の遺物となった。仕事に熱中した10年間を超え、彼女は今、普遍的な幸せを噛み締めていることだろう。そして音楽活動を再開する暁には、そんな「幸せ」をまた音楽に乗せて、日本中の女性に届けてほしい。
10年代の音楽シーンを語る上で絶対に欠かせないであろう存在、それは
AKB48である。
2010年頃から本格的に頭角を現しだした彼女達は、もうその段階で「10年代国民的アイドル」の座を手にしていたように思う。
前田敦子という絶対的エース、そのライバルである
大島優子。女性アイドルグループらしからぬ、まるで少年漫画のようなメンバー内の関係性を国民が皆知っていた、というのが当時のAKBの勢いを物語っている。その関係性の起点は他ならぬ「
選抜総選挙」だ。まだ少女のメンバーにとってはあまりにも残酷な企画だと思うし、後述するCDの売り方という点でもこの企画に否定的な音楽ファンが一定数いることも事実だろうが、こういう奇抜な企画を思いつく
秋元康という人はビジネスマンとしては類まれなる才能を持っているのだろうと素人目からも感じるところである。
AKBを語る上で避けては通れないのが「投票券」「握手券」だろう。当時から賛否両論だったこのシステム。「音楽チャートを破壊した」なんて言われているし、事実AKBの台頭以降、AKBグループだけでなく他ミュージシャン・アイドルのCDに複数購入を促すような特典が付属するようになったのは事実だが、当時既に
iTunesが勢いを増し、また後年には
サブスクリプションも日本でサービス解禁となった。CDによってレコードの売上が激減したように、(結果論ではあるが)いずれにしろCDの寿命は短かったのではないかと思う。一方で10年代は前述の「AKB商法」によって音楽チャートが機能不全に陥り、結果的にチャートを振り返ってもシーンが分りづらくなってしまったのもひとつの事実として記しておきたい。
また、幾度もの紅白出場を重ねた
ももいろクローバーZや、パンクロックアイドルという新しいジャンルを確立したBiSH、オタクアイドルグループとして各ロックフェスに出演する
でんぱ組.incなど、10年代の音楽シーンはアイドルによって支えられた側面も大きい。
そんな10年代のアイドル文化の原点であり頂点が
AKB48であり、やはり10年代邦楽シーンを語るうえでAKBは欠かせない存在である。
音楽もグローバルに。KARA「Go Go サマー!」
KARA、そして少女時代は2010~11年頃にかけて流行。特にKARAに関しては
第62回紅白歌合戦にも出場するなど、日本国内において精力的な活動を見せた。特徴的な振り付けが
ティーンエイジャーやおじさん層にもウケるなど、傍から見ていても人気は加速していくのだろうと思っていた。
しかし12年に入った頃から急激にその人気は落ち着いていく。思えば2011年というのは大震災が起きた年。そして韓流ブームに疑問を呈す人が増えた時期だったように思う。そういう複合的なモノが作用した結果、KARAの紅白出場をピークとして日本国内におけるKARAや少女時代の人気は低迷していったように思う。
とはいえ、他にも日本国内で人気を誇る
K-POPグループは彼女ら以外にも数多程存在していて、例えば
東方神起やBIGBANGら男性グループは今なお安定した人気を誇っている。
KARAらが人気を博してから約10年が経過した現在も、
K-POPの躍進は止まらず、むしろ世界的な人気を誇るジャンルとなっている。
グラミー賞のプレゼンターを務めるなど、アジア圏だけでなく世界的な支持を手にした
BTSや世界最高峰を誇る野外フェス「Coachella」に出演を果たしたBLACKPINK。更に日韓共同期間限定アイドルのIZ*ONEなど、最早
K-POP市場は世界に到達している。
やはり、
K-POPはこの10年の音楽シーンを振り返る上で欠かせないジャンルであることは自明である。
現在の日本は
嫌韓が加速し、国同士の関係も悪化の一途を辿っている。韓国グループの着装していた衣装が日本国内で批判を起こしたケースもあった。政治や国の関係にこのブログで言及することは避けるが、彼ら
K-POPグループを含めた音楽を契機として、せめて民間レベルでは互いに友好を築くことが出来たら良いと僕は思っている。争いの火種ではなく、平和の火を音楽で灯したいものだ。
ロックフェスの一般化。KANA-BOON「ないものねだり」
2010年代の音楽シーンの最重要項目のひとつ「ロックフェス」の一般化。
フェスの一般化に伴い、ロックシーンも如何にフェスにコミットするかがブレイクの鍵となった。そして流行したのが所謂「4つ打ちダンスロック」と呼ばれるジャンルだ。
ロックバンドにおける4つ打ちというリズムは、特に10年代に生まれたモノではない。00年代から既にその萌芽は芽生えていた。
他にも
DOPING PANDAや
9mm Parabellum Bulletなど、00年代中盤から後半にかけて既に4つ打ちと呼ばれるリズムでオーディエンスを躍らせるロック、というものは流行の兆しを見せていた。もっと言えば、
アジカンや
ベボベらも
ナンバーガールあたりの影響をモロに喰らっている訳で、そういう意味で4つ打ちというリズムそのものは発明でもなんでもなかったわけなのだが。4つ打ちを「4つ打ちダンスロック」としたことは他でもないこのあたりの世代の発明だったと言えるだろう。
そんな4つ打ちダンスロックとフェスシーンは非常に相性が良かった。
当然の話なのだが、フェスはワンマンと比べても持ち時間が圧倒的に短い。40分程度の持ち時間の中で如何に楽しませるかが鍵になる。そんな中「オーディエンスを盛り上げる」即効性の高い4つ打ちダンスロックは初見のお客でも簡単に楽しませる事が出来る。「フェスで如何に印象を与えるか」がファン増加のキーとなっていたフェス隆盛の10年代前半、その流れの中で4つ打ちロックが流行したのは「ロックバンド・アライブ」の必然だった。
そんな「4つ打ちダンスロック」のピークは2013年から14年。その頃からフェスバンドが続々とフェス内外でヒットを連打する。
キーボードを組み込んだバンド編成で他バンドと差別化が構造的に図られていた
ゲスの極み乙女。
いずれのバンドもMステに代表される音楽番組にも多数出演し、その度にロックフェスでの映像が流れるような、そんな「フェスバンドバブル」とも呼べるような現象が音楽シーンには巻き起こっていた。
とりわけ、その中でも4つ打ちダンスロックに振り切った音楽性を持ってロックシーン、音楽シーンに挑んでいたのが
KANA-BOONだ。2013年に初めての全国流通盤としてリリースされた「僕がCDを出したら」に収録された「ないものねだり」は、まさに4つ打ちダンスロックのお手本のような楽曲であり、2019年の今、4つ打ちロックのクラシックと呼んで過言じゃない存在だろう。この曲、そして「フルドライブ」や「シルエット」など、彼らの代表曲と呼ばれる物は皆、4つ打ちであり、当時の彼らの武器は4つ打ちだった。
最盛期はアリーナクラスの会場でワンマンライブを開催していた彼らだが、正直なことを言えば今はとてもそのキャパは埋まらないだろう。後述する通り音楽シーンの状況は変化し続けている。ロックフェスは相変わらず盛況な一方、そこで鳴らされる音楽は刻一刻と変化を続けていることが分かる。
そんな4つ打ちロックを巡る現シーンの状況を見ていても、それらを武器にするバンドにとって今の状況は極めて厳しいものにあることは否定出来ない。だが同時に、今の音楽シーン、とりわけロックフェスの隆盛は間違いなく4つ打ちロックと其れを武器としていたバンドが居てこその物だった事は、此処にハッキリと記しておきたい。また近い将来、彼らに影響を受け、彼らをルーツとする新しいバンドが現れた時、新しい「4つ打ち」の形が生まれることだろう。
音楽における「テレビ」「映画」との関係は深い。
90年代のいわゆる「J-POP」ヒット曲の多くはトレンディドラマのタイアップによってヒットした側面が大きい。勿論、タイアップがあろうがなかろうが名曲であることには変わりないが、そのドラマの世界観を知った上で制作された楽曲も無数にあり、90年代にトレンディドラマ流行が無ければ、音楽シーンも様変わりしていたことだろう。
テレビや映画において、そしてそれに合わせて音楽シーンにおいても近年その存在を大きくしているのは「アニメ」との関係性ではないだろうか。
更に「けいおん!」における「ふわふわ時間」や「らき☆すた」における「もってけ!セーラー服」など、00年代の段階で音楽×アニメの土壌は既に完成されていた。
これらの楽曲の多くは、外部の著名なミュージシャンに主題歌を依頼するのではなく、声優自身の歌唱など、内部で完結しているものが多い。外部の著名なミュージシャンが制作する場合、やはりどうしてもそのミュージシャン自身の世界観を崩さないことが条件となり、故にアニメの世界観とは乖離してしまう。それならばアニメ内部で完結させることで、アニメの世界観に忠実な楽曲を、ということなのだろう。
10年代はアニメ文化が一般にも浸透したこともあり、アニメ主題歌のヒットも目立った。その中でもディズニー映画「アナと雪の女王」の主題歌となった「Let It Go」は、その後の日本アニメ映画の在り方を変えた存在だ。
ディズニー映画は元来より登場人物が自身の感情表現として歌を歌うという、ミュージカル調の演出が特徴的だった。「リトル・マーメイド」の「Under the Sea」や「アラジン」の「A Whole New World」などは、そんなミュージカル調の演出から生まれた楽曲であり、それらの作品によって世間に浸透した楽曲と言えるだろう。
勿論「Under the Sea」も「A Whole New World」も名曲なのだが、それらの楽曲と比べてもヒットの度合いや世間への広まり方は「Let It Go」は群を抜いていたように思うのだ。
その理由は「Let It Go」がこの2010年代という時代にフィットしていたからに他ならない。
ありのままの姿見せるのよ
ありのままの自分になるの
何も怖くない
10年代中盤頃から女性の社会進出や男女問わず「自分らしさ」や「生きやすさ」が重要視されるようになった。その後も「#Metoo」や、更にそこから派生した「#Kutoo」などの運動も盛んに行われるようになった。皆、様々な抑制・コンプレックスから解放されたいと思うようになったのだ。「アナ雪」におけるエルサもまた、長年の抑制や自らのコンプレックスから解放されたいと願い氷の城を立て、「Let It Go」を歌った。そのエルサの境遇に共感した方が多かったことも「アナ雪」そして「Let It Go」人気を押し上げる一つの要因だったと言えるだろう。
その後もアニメと音楽の深い関係性は続いている。その中でもとりわけ注目したいのが、10年代最大のヒットアニメ映画のひとつとなった「君の名は。」の主題歌RADWIMPSの「前前前世」。
そのひとつは映画本編中にいくつかの楽曲が流れる構成。前述した通り「アナ雪(ディズニー映画)」では登場人物の感情吐露として楽曲をキャ
ラクター自身に歌わせていた。その一方「
君の名は。」では「MV風演出」とでもいえるような、主人公である瀧と三葉の日常のダイジェストに「
前前前世」が流れる構成となっていた。
また、ミュージシャンをアニメ映画、それも「
君の名は。」のように大資本が発生する映画に彼らのようなミュージシャンを劇判に招いたというもこの「
君の名は。」、そして
新海誠とRADならではの、これまではあまり見受けられなかった特徴だろう。最も、アニメではないものの、「
君の名は。」の前年に公開された映画「
バクマン。」では
サカナクションが主題歌と劇判を担当しているのだが。
起業だけでなく、個人レベルで仕事やスキルの
多角化が叫ばれる昨今。ミュージシャンも自身が歌うための音楽作りでなく、提供やプロデュース、そして映画の劇判など様々な形での楽曲制作が求められる時代に変化してきたし、今後はこの流れが一層激しくなることだろう。「テレビ」という文化はそろそろ危うくなっているものの、今後は
Netflixなどの定額制見放題サービスが自身制作の作品を増やしていくことが予想される。「映画」「アニメ」「ドラマ」というカルチャーは
20年代も止むことはないだろう。そして音楽と映画、音楽とアニメ、音楽とドラマ。それらの密接な関係は止まることはない。
2010年代中盤から急速な流行を見せたのがEDM。
エレクトロニックダンスミュージック、略してEDM。EDMの流行の構造は、前述したロックフェスにおける4つ打ちと似ているように思う。分かりやすくノレる、踊れる音楽。違いはフェスなのか、クラブで鳴っているか。10年代の前半はどの音楽も分かりやすさが重視されていた印象で、ダンスロックやEDMの流行はその典型例と言えるだろう。
そんなEDMをクラブだけでなく、お茶の間に届けたのが
三代目 J Soul Brothersだ。「R.Y.U.S.E.I.」は分かりやすいキャッチーなダンスで流行したが、同時にEDMという決してメジャーではない音楽ジャンルを世間に浸透させた側面もあると言えるだろう。
「EDM」だけでなくエレクトロ、打ち込みという見方をするならば、サカナクションやねごと、チャットモンチーら、いわゆるロックフェスの常連バンドも積極的に自らの製作楽曲に取り込むなど、他ジャンルにも大きな影響を与えている。
Perfumeなどの元来エレクトロな音楽を得意とするミュージシャンも、EDMなどの方法論(サビで歌わない等)を自らの音楽に採用するなど、その影響は様々な場所に向いている。
近年では
DTM、Desk Top Musicも流行、日本の音楽シーンに定着。PCや
スマートフォンで音楽が手軽かつ場所を問わず製作できるようになった。日本における
DTMの担い手といえば
岡崎体育。京都の実家から勉強机の上で
DTMを作り続けた彼は、今年遂に念願だった
さいたまスーパーアリーナ公演を開催。彼の成功は、今後益々
DTMを武器とするミュージシャンを増やすキッカケになるはずだ。
EDMというジャンルにおいても、世界最大級のダンスミュージックフェスである「ULTRA」の日本版「ULTRA JAPAN」は2014年以降毎年開催されている。
EDM、エレクトロ、打ち込み、
DTM。これらはすべて音楽制作における技術革新によるものだ。そして今後もその技術革新は止まることなく続くことだろう。
時代は4つ打ちからブラックミュージックへ。星野源「恋」
先の章で記した4つ打ちダンスロックは15年頃に飽和し始める。そして徐々に4つ打ちダンスロックのカウンターとなる音楽として強いビート感やグルーヴを特徴としたブラックミュージックの要素を取り入れた楽曲が散見されるようになった。
とりわけ印象的なのは
Base Ball Bear「C2」、そして
星野源「YELLOW DANCER」だ。この2枚のアルバムはブラックミュージックを礎とし、前者はギターロックに、そして後者はポップに着地してみせるアルバムだった。両者とも、15年の末頃リリースされたこともあり、各所(例えば15年に放送された「
RHYMESTER宇多丸のウイークエンドシャッフル」にて
星野源がゲストに登場した際、パーソナリティの
宇多丸が「C2」と「YELLOW DANCER」の共通性について言及しているなど)で比較されていたことが印象深い。
「YELLOW DANCER」でブラックミュージックをポップスに昇華してみせた
星野源は、翌年「恋」をリリース。それはポップスに昇華してみせたブラックミュージックを更に「大衆に広める」ための一手だった。
その年一番のヒットを放ったドラマ「
逃げるは恥だが役に立つ」というタイアップ、そして振付師
MIKIKOを迎えた「
恋ダンス」。いずれも「恋」という果てしなくキャッチーな楽曲を、ひいては
星野源というミュージシャンを大衆へと知らしめる役割を果たした。テレビの衰退により「テレビタイアップ」のセールス効力が失われつつある中で、「恋」は最後のテレビドラマ主題歌のメガヒットかもしれない。
その後も
星野源はブラックミュージックを礎としたポップスを大衆へと広め続ける。「
ドラえもん」は、国民的アニメ映画の主題歌でありながら、タイトルはそのままという攻め感もさることながら、今までになく変態チックなビートやグルーヴを持つ楽曲として世間に受け入れられたことが印象深い。
「
ドラえもん」に続いて発表された「ア
イデア」そして「Pop Virus」ではMPCプレイヤーとしてSTUTSを招き、これまでの生楽器によるブラックミュージックではない、シンセやフューチャーベースからの強い影響を感じさせるビートミュージックを基調とした楽曲を産みだした。
極めて攻めた、しかし同時に大衆にもウケる「平成最後のJ-POP」を生み出した
星野源の音楽は、日本における「ポップス」という概念を引っくり返した。10年代の、そしてこれからの日本における音楽シーンを牽引するのは彼であり、彼こそが日本のポップアイコンとなっていく。
星野源が創り出す時代は、果たしてどんな色をしているのだろう。
そしてブラックミュージックはシティポップに。Suchmos「STAY TUNE」
前述したブラックミュージックの台頭は、2017年頃になるとシティポップへと形を変える。
その代表となるミュージシャンはやはり
Suchmos。ブラックミュージックを感じさせるソウルフルで横ノリの心地よいグルーヴ、軽快な
サウンドはオシャレで都会の香り。
ジャミロクワイをルーツとしたアシッドジャズ調の彼らの音楽は、柔和さとキレを兼ね備えた(端的に言えば)“オシャレ”な音楽。HONDAのCMをキッカケに、
Suchmosは一気にその名前を世に知らしめる。
そして彼らのブレイクを契機として、シティポップを得意とする様々なバンドがシーンに現れる。
Nulbarichに
cero、Yogee New Wavesなどはまさにシティポップを得意とするバンドだ。
Suchmosと同じくアシッドジャズに影響を受けつつも、都会性の中に自然を感じさせるNulbarich。シティポップを礎としながらもジャズの風味もある
オルタナティブな
cero。
大瀧詠一や
山下達郎ら、「元祖・シティポップ」から影響を受けつつも、現代版のシティポップを作り続けるYogee New Wavesら。いずれも
星野源らによるブラックミュージックの流れを汲みつつ「2010年代版シティポップ」となっていたことが印象深い。
その一方、シティポップ隆盛の流れを生み出した
SuchmosはW杯の主題歌などを手掛け、アリーナツアー、そして念願だった
横浜スタジアムでのライブを開催するなど、活動の幅を拡大し続けている。
その一方で肝心要の音楽性は大きな転換期を迎える。
19年にリリースされた「THE ANIMAL」では、いわゆるシティポップな楽曲はほぼ歌われなくなり、
サイケデリックさ、ジャズの風味のするブルースといった楽曲が目立つようになった。
ブルースもブラックミュージックも共に
アフリカ系アメリカ人発祥の音楽であり、
Suchmosのルーツはあくまでもそういった系譜の音楽であることが分かる。彼らの音楽性は変わったようで、実はそんなに変わっていないのだ。
19年の今もシティポップの流行は続いている。国内だけでなく、海外では
竹内まりやの「Plasitic Love」がバズを起こすなど、元々海外の音楽ジャンルから影響を受けているモノの、あくまでも国内独自の音楽ジャンルであったシティポップが海外でウケるというのはこれまででは考えられなかったことだろう。
日本国内でのシティポップの
リバイバルを起こした
Suchmosも横スタでのライブを無事に終えた。10年代の終わりと共に彼らの、そしてこのシティポップ流行の第2章が始まろうとしている。
2015年、日本における「音楽の聴かれ方」は次のフェーズへと駒を進める。ストリーミング配信の日本上陸、各種
サブスクリプションサービスの開始。10年代中頃に始まった新しい「音楽視聴の形」は、10年代も終わりが見えてきた18年に遂にヒットという形で爆発する。
その渦中にいたのは
あいみょん。新進気鋭のシンガーソングライターとして17年頃から注目されていた彼女は、デビューから5枚目となったシングル「
マリーゴールド」で言葉通りのメガヒットを打ち立てる。
マリーゴールドの
オリコンシングルCDランキングは初登場26位。決してヒットと言える順位ではない。その一方で、
ビルボードのストリーミングランキングでは怒涛の20週連続首位。「CDが売れなくなった」がいよいよ現実味を帯びてきた一方で、新しい音楽聴収の形がいよいよ音楽シーンのメインになっていく確信が日本中に生まれた。
令和、そして20年代へ。Official髭男dism「Pretender」
10年代最後、そして令和最初のメガヒットは
Official髭男dismの「Pretender」。
Official髭男dism、通称「ヒゲダン」はインディーズ時代から各方面より注目されていたバンド。満を持して18年に「ノーダウト」でデビュー。
彼らも又、ブラックミュージックから影響を受けているバンドだ。「ノーダウト」然り「Tell Me Baby」然り、横ノリのグルーヴを強く感じるファンクなサウンドは、当時の彼らの武器であった。
その一方で、フロントマンの藤原のインタビュー記事にはこんな記述がある。
──ルーツ的な話もちょっと聞きたいんですけども。その、高校時代に部活をやっていた頃、藤原さんはブラックミュージックのバンドと、メタルのバンドと、二つのコピーバンドをやっていたとか。
そうですね。
──あのー、それって両立するものなんですか(笑)。
ああ、それは、基本的に嫌いな音楽があんまりなくて、それが自分のいいところでもあり、悪いところでもあると思ってるんですけど。「このアーティストが好き」といって追っかけ続けたアーティストって、実はあんまりいなくて。ONE OK ROCKとaikoさんぐらいで。
──おおー。そうですか。
あの方たちはライブが最高で、曲もすごく良くて、ずっと追っかけてるんですけど。それ以外になると、全部の曲が好きだという感じではなくて、アルバムを全部通して聴けるアーティストはなかなかいないし。ブルーノ・マーズとか、めちゃくちゃ大好きですけど、やっぱり飛ばしちゃう曲もあって。
──このアーティストのこの曲が好き、という感じなのかな。
そうなんですよ。それで気がついたら、メタルも聴いてブラックミュージックも聴いてJ-POPも聴いて、自分の気に入ったものをたくさん聴くようになっていったので。今でも「こういうジャンルを聴いてます」というのが、なかなか言いづらいです。でも器用貧乏という感じじゃなくて、全部のジャンルをしっかり音楽として成立させながら自分の色をしっかり出していく、そういうアーティストがあこがれですね。
www.diskgarage.comそしてこの言葉は「Pretender」によって結実する。ギターやエレピによる音像はエレクトロ、切なく響きながらも韻がしっかりと踏まれたラップを彷彿とする歌詞。「Tell Me Baby」「ノーダウト」とは一線を画す音楽性でありながら、それは彼らの持つ豊富な音楽性の証左になっている。そしてその豊富な音楽性を最終的にポップスに着地させてみせる様は、90~00年代における「J-POP」を彷彿とさせつつも、この10年の音楽シーンもしっかりと踏襲している。次世代の国内ポップスの形と言えるだろう。また、この10年代の終わりにポップスを鳴らしているのは彼らだけではない。ヒゲダンと共に、19年最ブレイクバンドの1組であり、
ミクスチャー・ロックのシャープな音像とポップなメロ、新しい形のポップスが癖にになる
King Gnu。
80年代カルチャー、J-POPのルーツである歌
謡曲からの多大なる影響を感じさせる楽曲が話題となった
サカナクション。
令和音楽シーンのポップアイコンとなるであろう米津玄師。
いずれもポップスを武器とする、あるいはそれを武器のひとつとしたバンドであり、ヒゲダンを含めこういったバンドが売れる傾向が起こりつつある。前述した
星野源や
あいみょんがヒットしたことも含め、シーン全体の流れがポップスに傾きつつある。10年代はアイドル音楽やロック、ダンスミュージックといった様々な音楽ジャンルが流行した一方で、いわゆる王道ポップスの人気や流行が落ち着いた時期でもあった。そんな中で、この10年代の終わりに高い技術力を持ったミュージシャンによるポップス人気が再燃していることは、音楽の輪が1周したような感覚になる。この音楽の輪の循環は、ストリーミング再生の定着により益々早いモノになることだろう。10年代が終わり、
20年代の音楽シーンではどんな循環が生まれるのだろう。
まとめ
今回の記事では僕なりに10年代の音楽シーンをまとめてみた。きっと僕が見逃している要素も多いだろうし、そもそも10年を10曲にまとめてしまう事自体雑なのではないかと思わなくもないのだが、早足ながら10年代音楽シーンの重要点は抑えられているのではないかと思う。
最後の章でも記したが、こうして改めてシーンの流れを俯瞰して眺めてみると、そこに必然性が見えてくる。ここでこうなっていたからこの音楽が流行ったのだという「理由」が見える。最初の章で記したように、常に音楽シーンは地続きだ。そして最後の章でも記したように、それは時に循環を見せる。それにはきっとシーンを常に追い続けること、最新の音楽を聞き続けることで気付く事ができる。今回の記事を書いて改めて感じたことは、音楽は今が常に面白いということだ。ぜひ、この記事を読んで頂いた皆様においては、その時時で鳴っている音楽に長期的に目を向けてほしいと思う。きっと音楽を聞くことが一層楽しくなるはずだ。
最後になったが、20年代も音楽が平和に鳴り続けるよう、音楽シーンが益々活気づくよう祈りを込め、この記事を終えようと思う。