ROCK IN JAPAN FESTIVALは何故、YouTuber「Fischer's」をブッキングしたのか

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日本最大級のロックフェス「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」。今年は開催20周年を記念し、5日間開催されるなど、まさにお祭り騒ぎの様相。第3次出演ミュージシャンも発表され、SEKAI NO OWARIPerfumeなど、徐々にヘッドライナークラスの名前が出てきた。まだまだここからとんでもない大物の出演が発表されるであろうことを考えると、これまでで最も豪華な年になるのかなと期待も膨らむ。

さて、第3次出演ミュージシャンの発表で、悪い意味で騒ぎになった出演者が1組。

「Fischer's」。

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HIKAKIN、はじめしゃちょーに次ぐ、大手YouTuberの1組。僕自身よくYouTubeを見るので、彼らの動画も見たことは何度もある。アニ文字の動画にはかなり笑わせてもらった。

彼らのRIJF出演発表を受けて、Twitteや彼らの楽曲MV動画のコメント欄は「バンドの枠を奪うな」「音楽を動画の片手間にやってる奴なんか要らない」「ロックじゃねぇ」なんてコメントで溢れかえっていた。今回はそんな騒動に対する僕の考えとか、RIJFやrockin'on社が何故彼らをブッキングしたのか、そこから見るこれからのロックシーンの展望を僕なりに考えていきたいと思う。

 「ロキノン系からの脱却」

さて、この記事を読んでいらっしゃる皆様はこんな言葉をご存知だろうか。

ロキノン系」。

rockin'on JAPAN誌に掲載されたり、あるいは掲載されるような音楽性のバンドやミュージシャンをそう揶揄する文化があった。中村一義BUMP OF CHICKENNUMBER GIRLチャットモンチーASIAN KUNG-FU GENERATION。「ロキノン系」と呼ばれたバンド・ミュージシャンを挙げていけば暇がない。だがこの言葉の定義は極めて曖昧だ。例えばJAPAN誌に掲載されても「ロキノン系」と言われないバンド、例えばサザンオールスターズMr.Childrenは度々JAPAN誌の表紙を飾っているにも関わらず「ロキノン系」とは呼ばれない。あるいは、Perfumeなど他の「ロキノン系」と呼ばれるミュージシャンとは異なる音楽性を持つミュージシャンも「ロキノン系」と揶揄されることもある。

こういう「曖昧で抽象的な括り方」は時に問題を起こす。例え話をしよう。

 

あるところに音楽好きの佐藤くんがいました。彼は、今日も新しい音楽を探しにCDショップに出かけました。

CDショップで「A」というバンドと「B」というバンドのCDが目につきました。調べたところ、「A」も「B」も、共にロキノン系と呼ばれるバンドでした。

佐藤くんは、まず「A」というバンドのCDを購入して、お家に帰って聞きましたが、あまり好きにはなれませんでした。「B」というバンドも聞こうと思っていましたが、同じロキノン系と呼ばれていることを知り、彼は「B」を聞くことを断念しました。

 

こういう風に、不用意で曖昧に音楽をひとまとめにすることは、時にして音楽ジャンルそのものの衰退を起こす。これは例え話だが、実際にこういう人が居てもおかしくないだろう。「ロキノン系」と言うだけで実際に敬遠する人も(少なくとも当時は)いたように思う。

さて、ここまで話してきたこの「ロキノン系」という言葉だが、もう死語ではないだろうか?最近この言葉を聞く機会が以前と比べたらすっかり減ったように思う。

これには多分、様々な理由があるのだが、僕の考える「ロキノン系」が死語になった理由の一つとして、rockin'on JAPAN誌上、そしてRIJFに出演するミュージシャンの幅が以前と比べると圧倒的に広がったことが考えられる。

近年、RIJFのメインステージであるGRASS STAGEに出演したミュージシャンを思い返せば、昨年のRIJFには松任谷由実、一昨年にはB'z、ポルノグラフィティ、3年前にはいきものがかりと、rockin'on JAPANやそれまでのRIJFには無縁だったミュージシャンの名前を数多く挙げることができる。少なくとも彼らは「ロキノン系」と呼ばれるミュージシャンではなかった。

それだけではない。もはやRIJFにアイドルグループが出演することは当たり前になりつつあるし、紙面で言っても先日刊行された2019年6月号ではアイドルである欅坂46平手友梨奈が表紙を飾っている。テクノグループ電気グルーヴだって何年もJAPAN誌上で連載を続けている。

つまり、「ロキノン系」という言葉が死語になっていった理由は、rockin'on社が「ロキノン」という言葉から脱却出来た理由は、rockin'on社があるタイミングからそれまで以上にジャンルレスに音楽を追求し始め、表層的な「ロック」に拘らない姿勢、そして本当の意味での「ロック」を常に考えているからこそだと僕は思っている。推測でしかないが、rockin'on社も「ロキノン」という揶揄には頭を抱えたのではないか。

毎年夏が近づくと、当ブログではRIJFの予習記事なるものを書いている。そのタイトルに「RIJFらしくない」と書いていたのは、その「らしくなさ」が今のRIJF的だと思っていたからだ。どんな音楽ジャンルも定義付けをすることは難しい。だからこそ、rockin'on社は「ロック」の幅を広げる役割を請け負っているのではないか。そしてその姿勢が「ロキノン系」という言葉を終わらせたのではないか、というのが僕の考えである。

「ロック」が廃れないために

さて、話をFischer'sに戻そう。Fischer's出演の報が出た時「ロックじゃねぇじゃん」とか「どこがROCK IN JAPANなんだよ」といった言説を見かけたが、「ロック」とは一体なんなんだろう。

僕にしてみれば、ロックってそんな簡単なモノじゃないと思っている。鳴ってる音や、歌っている内容で「これはロック」「これはロックじゃない」と安易に決めることなんて僕には出来ないし、ロックシーンの最前線を見つめているrockin'on社ですら、それは容易ではないだろうし、だからこそ一面的な「ロキノン」から同社は脱却したのではないか。

何より、自分が「ロックじゃない」と思ったものを排除する姿勢が「ロック」であるならば、そんなものはクソ喰らえだ。内輪だけで盛り上がり完結し、外に向かっていかない保守的な多様性を認めない姿勢が"もし仮に"「ロック」であるならば、僕はロックというジャンルを心から軽蔑する。

そしてその排他的な姿勢は、本当にロックシーンを盛り上げることに繋がるのだろうか。

日本国内はロックフェスがレジャー化し、盛り上がっている一方で、海外ではロックシーンは廃れ、ヒップホップやEDMばかり流行していることはご存知だろうか?或いは、国内に目を向けてもオリコンチャートやiTunesランキング、各サブスクリプションのランキングにロックバンドは果たしてどれだけランクインしているだろうか。

それを考えた時に、RIJFに新しい風を吹き入れる事は絶対的に悪いことではないのである。ロックというジャンルの可能性を伸ばし、この先も末永くロックというジャンルが続くために、日本国内最大級のロックフェスが出来ることが「変革だ」。勿論、その為"だけ"のブッキング、というのは少し寂しい気もするが、今回Fischer'sがブッキングされた理由、あるいはこれまでもバンドだけでなくポップ畑やアイドルシーンが主戦場のグループが出演してきた理由の一端がここにある。ロックが、或いは音楽がこれからも永遠にこの世界で鳴り続けるための音楽フェスがROCK IN JAPAN FESTIVALの存在意義のひとつになっているのではないだろうか。

無論、大前提としてジャンルがある程度固定されたフェスだって魅力的なものは沢山あるし、それが悪いなんて話ではない。ただやはりRIJF程の規模のフェスとなれば、変革や新しい取り組みは必至であり、それはrockin'on社なりの「ロック」への思いがあってこそのものなのではないだろうか。

「そんな奴らにステージの枠を与えるくらいなら、若いバンドを出演させろ」というコメントも見た。言いたいことは分からないでもない。だがrockin'on社は「RO JACK」と呼ばれるバンド・ミュージシャンのオーディションを行っていて、優勝アーティストはRIJF、そして同じくrockin'on社の主催するサーキットイベント「JAPAN'S NEXT」への出演権が与えられる。何も若手バンドが蔑ろにされてる訳ではなく、むしろチャンスは与えられているのだ。

もし貴方がFischer'sのRIJF出演に対して「ロックじゃねぇヤツらなんて呼ぶな」と悪態をついているならば、貴方がロックというジャンルが廃れても良いと考えているのだろうなと僕は思うし、それでいいならどうぞ勝手に、という感じだ。僕はロックに、そして音楽そのものに廃れて欲しく無いと思っているからこそ、ロックシーンの変革を受け入れる。

RIJFのGRASS STAGEの舞台横には「Love Peace & Free」という言葉が刻まれている。僕はあの言葉がロックのひとつの形なのかなと考える。愛と平和と自由。それこそがロックの目指す場所なのではないか、とした時に、出演者をロックだロックじゃないだと排除することが、本当に愛と平和と自由なことなのだろうか。

「これが好き」「これが嫌い」。それはそれぞれ皆、持ち合わせて良い感情だ。僕にだって嫌いなバンドもミュージシャンも少なからずある。しかし、それを理由に何かから何かを排除することは許されてはならない。それは何物でもない、多様性の否定だからだ。

とはいえ、フェスに慣れない人がFischer'sの人気次第(彼らの人気や、集客効果がどれくらいあるのかは正直未知数だ)でフェス慣れしていない人が増えるのはひとつの懸念材料であることは否定しようがない。Fischer'sファンにおかれては、ぜひともフェスならではのルールを事前に予習した上で参加して欲しい。郷に入れば郷に従えだし、分からないことがあったら周りを見渡せばある程度雰囲気も掴めるだろう。もしルールを逸脱したファンがあまりにも多い状況になれば、それはそれで僕は許し難いなと思う。

先日「新時代もロックは鳴り止まない」という趣旨の記事を書いたが、それは当事者であるロックバンドやrockin'on社のような音楽メディア以上に、我々オーディエンスがロックのためになることを真摯に、誠実に考えてこそのことであり、ただ無意識に音楽を消費し、変革を否定し、外部からの風を塞いでいれば、いずれロックも音楽もこの国から鳴り止むだろう。

新時代も、そしてその先も永遠にロックが鳴り続けるために音楽ファンは何をするべきなのか。僕らオーディエンスは今一度真摯に考えるべきなのかもしれない。そしてそれは少なくとも、何かを排除することでは無い筈だ。