大人になりたかった僕と「ストッキング」
はじめに
本記事は「rockin'on presents 音楽文.com」への応募用に執筆したものです。そちらも併せてよろしくお願いします。
ずっと、大人になりたかった。
幼少期から周りの同級生と違って“悪い意味で”精神年齢の高かった僕は周囲から浮き、学校でも馴染めずに居た。会話するにも遊ぶにも、周りとの「ズレ」を、自分も、そして周囲も感じていたのだろう。いつしか孤立した僕は学校に嫌気がさしていた。そのうち、僕の心のなかに「はやくおとなになりたい」という感情が芽生える。「おとなになったらこんなおもいはしなくてすむ」「おとなになったらなんでもできるんだ」。大人への漠然とした憧れと長すぎるモラトリアムへの拒否感を抱きながら過ごした幼少期の日々は、決して居心地の良い物では無かった。
あれから十年近く経ち、モラトリアムから抜け出したかった筈の僕は、何故だかそのぬるま湯に(なんなら人よりも長く)浸かったまま、なんとなく大人への階段を進んでしまい、いつしかモラトリアムは僕の身体にこびりついて離れなくなった。いざモラトリアムから抜け出さなきゃならない時期になり、社会という荒波に漕ぎ出すことを僕は酷く恐れだした。夢を諦め、その後の生活のために決めた就職先と、卒業の為だけにやっていた卒業研究は、当時の僕が望んでいた「大人」とは乖離した姿だった。4月からの社会人生活への漠然とした恐怖と、諦めたはずの夢を引き摺りながらも、僕は卒業までの残り僅かな時間をただなんとなく過ごしていた。
モラトリアムの日々も間もなく終わろうとしていた2018年3月13日。大学の卒業式を翌日に控えた僕は名古屋 CLUB QUATTROに足を運んだ。吉澤嘉代子「ウルトラスーパーミラクルツアー」名古屋公演。年始にテレビで取り上げられたこともあり、前回のツアーに比べても沢山の人が彼女の歌声を聞きに来ていること、そして彼女の歌唱を心待ちにしていることが会場の雰囲気から伺えた。それは僕自身も例外ではなく、学生時代最後に、モラトリアム最後の日に見るライブを今か今かと待ち望んでいた。場内に流れる吉澤自身が選曲したのであろう、ツアータイトルに因んだ名曲の数々(B’zの「ultra soul」やモーニング娘。「恋愛レボリューション21」、松浦亜弥「Yeah!めっちゃホリディ」)を聞いて、大人になりたかったあの頃を思い出し、懐かしさを感じていた。
19:00の開演時刻にほぼオンタイムで、自身制作のPARCOのCMソングをツアー用に作り替えたSEと共に(奇しくもこの名古屋CLUB QUATTROは名古屋パルコの8階にある)バンドメンバーと吉澤自身が舞台に上がった。彼女のことを、この会場に集まった500人が見つめている。
ピアノの美しい旋律が薄暗いライブハウスに一筋の風を吹かせるように流れ出す。Al「箒星図鑑」1曲目の「ストッキング」だ。彼女の楽曲の詞の多くはフィクショナルで、極めて強い物語性を持っている。それは彼女自身も公言していることで、今までに開催されたツアーの多くは、彼女が役を演じながら歌うような、まるでミュージカルか歌劇のように進行することが特徴だった。そんな彼女の様々な楽曲の中で、この「ストッキング」は物語ではなく、彼女自身のことを歌っている。
吉澤嘉代子の歌声は、曲によって様変わりする。時に力強く、時にキュートに。曲のコンセプトに合わせて彼女が歌い方を巧みに歌い分ければ、聞き手の僕たちは歌の世界に一層入り込んでしまう。「ストッキング」の彼女の歌声は、儚い。夢から醒めたときの一抹の寂しさのような歌声は、彼女が大人になって感じていた不安の表れだ。何よりその歌詞は、モラトリアムというぬるま湯に浸かり続け、その日々からの脱却をいよいよ翌日に控えた僕にとって、幼い頃の「大人になりたい」という強かった筈の願いを思い出させるには充分すぎるものだった。
ラヂオの予報は ことごとくはずれてしまう
とんぼのきもち雨に打たれ キキのやさしい魔法も届かないことを知る
「ラヂオの予報」とは子供の頃に思い描く大人になった自分の理想の比喩だろう。あの有名な魔女、キキですら時間を巻き戻す事は出来ない。あの頃思い描いていた未来と、現在大人になろうとしている自分。この2つの乖離からはもう、目を背けることが出来ない。あの頃にはどう足掻いても戻れないし、きっと大人を夢見ていたあの頃の僕が今の僕を見たら酷く落胆することだろう。
もうわかっているよ わたしは特別じゃない
僕に限ったことではなく、誰だって自分は特別なのだという「驕り」を持ったことがあるだろう。あの頃の全能感、僕は大人になれば何だって出来るんだというキラキラとした希望は、幼さ故の絵空事だった。何の才能も、夢も、希望も、今まさに“大人”を迎えようとしている僕には無い。目の前に転がっているのは夢も希望も無くした、何も無い己という名の現実だった。自分は特別な人間ではない、それを自覚した時、人はどれだけ苦しいのだろう。この曲を作った時、吉澤嘉代子はどんな思いだったのだろう。そんな事を考えながら、舞台の上で歌い上げる彼女を僕は只見つめるしかなかった。
ストッキングをひき裂いて ここからすぐに連れだしてよ
大人になれずに ずっと待っていたのに
彼女自身のモラトリアムを描いた筈の歌詞は、まるであの頃は大人になりたくて仕方が無かったのに、今じゃ大人になることを酷く恐れている僕の心を魔法で見透かされたように聞こえ、誰にも言えなかった自分の気持ちが救われたような気がして、どうしようもなく涙がボロボロと溢れて止まらなかった。大人になることを、自分が特別じゃないと気付く事を酷く恐れている自分に「特別じゃなくたって、魔法が使えなくたって、あの頃の気持ちは取り戻せるんだよ」という彼女の強過ぎる程の気持ちを感じた。何より彼女自身が今まさに僕の目の前で舞台に立ち、沢山の人がその姿を一目見ようと集っている。紛れもない、彼女自身の手で取り戻した「あの頃の気持ち」の結実を彼女は身を以て体現している。
傷つきやすく、夢見がちで魔女になりたかった子供時代の吉澤嘉代子。彼女が出演したNHKの音楽番組「SONGS」では、幼少期に彼女が周りとコミュニケーションが上手く取れなかったこと、絶望の淵に立っていた彼女がサンボマスターの音楽に救われた事が彼女自身の口から語られていた。いつしか魔女見習いは大人になり、「あの頃の気持ち」を取り戻すため、自分の未来を自分で迎えにいくために、彼女はこの曲を作り上げた。その想いが時を経て、ライブという場所を通して、大人と子供の狭間で悩んでいた僕の心を溶かした。サンボマスターに救われた彼女の音楽に今度は僕が救われた。彼女が自分の為に作った曲が、彼女ではなく僕の心を突き動かした。
名古屋でのライブの終演後、彼女のTwitterにはこんなことがツイートされていた。
今日は私にとって生涯忘れない大切な日となった。もしも部屋から出られなくなっても、言葉によってどこにでも行ける何にでもなれる。子供のころ物語に救われたように、大人になった今お守りを手渡したい。
— 吉澤嘉代子 (@yoshizawakayoko) March 13, 2018
あの時僕が彼女から感じた強すぎる気持ちの正体は、彼女が僕に手渡してくれた音楽という名のお守りだった。
吉澤さん、あなたが作った音楽というお守りを渡してくれてありがとう。僕はあなたに、あなたがあの時渡してくれたお守りに、きっとこれからも救われ続けることでしょう。
名古屋CLUB QUATTROでのライブから2ヶ月が経ち、今の僕は社会人一年目として日々を過ごしている。叶わなかった夢と、両肩に重くのしかかるような現実という、ライブを見ていた時にはもう既に分かっていたことを一層強く感じる日々が続いている。でも、確かにあの瞬間、彼女の想いと僕の想いが繋がった。仕事が上手くいったら、それはきっとあの時、あの魔女見習いが渡してくれたお守りのお陰なのだと思っているし、辛いことがあったら「ストッキング」を聞いている。あの頃大人になりたかった自分が認めてくれるような大人になるために、苦しみながらも1日1日を過ごしている。過去の自分に、思い描いていたような大人になれなかったことを詫びながら、必死に生きている。僕が彼女に救われたように、今度は僕が誰かを救えたらと心のどこかで願いながら、今を生きている。
夜空に伝線した ほうき星かかって綺麗でしょう
僕はこれからも、あの空にかかる箒星のように、美しく生きていく。