アイドルネッサンスの解散と、アイドルの儚さと、別れの先にある希望
アイドルネッサンスが解散を発表した。
ここ3~4年、ずっとなんとなく、遠い方ではあったけど、確実に活動を見続けた僕にとっては、いや、ちゃんとしっかり彼女たちの活動を追っていた人達にとってもだろうが、今回の解散は本当に青天の霹靂だった。
Base Ball Bearの小出祐介は次作のオリジナル曲の制作を既に示唆していたし、横浜での対バンライブ予定も残っていた。結局、解散によって小出による新作発表は無くなってしまったし、対バンライブはワンマンに変更になった。
アイドルというものは、儚い。
どれだけ自分ひとりが応援していても、人気が上昇していかなければ解散してしまう。今回のアイルネの解散は(SMAの発表コメントを読む限りは)そういった類のモノだったし、高い売上を誇っていても、不祥事や男性交際によってメンバーの脱退や、場合によっては解散してしまうことだってあるだろう。ももクロの有安のように「普通の女の子に戻りたい」と、アイドルを辞めてしまうことだってあるだろう。自分がどれだけの熱量でそのアイドルを応援し、好きでいようと、簡単にアイドルは自分の前から姿を消してしまう。
「アイドルというものは」とは書いたものの、これは何もアイドルに限ったことではない。バンドだって、タレントだって、恋人だって、家族だって。別れは案外突然やってくる。
彼女達の(結果として)唯一のオリジナル作品となったミニアルバム「前髪がゆれる」に収録された「前髪」という曲には、こんな一節が書かれている。
きこえなくなった音
もう会えなくなった子のこと
さみしく思っても 何もあきらめないで
解散の事実を踏まえた上で、改めて聞くこの一節はあまりにも切なくて、でもどうしようもなく前向きで。別れの先にある希望を感じずにはいられないのが、またどうしても切なくなってしまう。
別れは突然やってくるからこそ、別れが来た時に後悔しないように今を生きよう。...なんていうのは様々な場所で(それこそ音楽グループの解散と合わせて)よく言われてる言葉ではあるけど、敢えてさらにもう一文加えるとすれば、もし別れが来たとしても、未来を諦めることは無いのだと、アイドルネッサンスが唯一「自分たち"だけの"もの」として残した「前髪」が教えてくれた。アイドルネッサンスは解散してしまうけど、その先に希望があるとイイなと思いながら、今はまだ、彼女達の曲を聞こうと思う。