【CDレビュー】何故サザンは10年間の沈黙を破り「葡萄」を作ったのか?【サザンオールスターズ】
2013年6月25日。サザンオールスターズは5年間止まっていた活動の再開を発表し、新曲のリリース・35周年記念のスタジアムツアーの開催を宣言した。新曲はオリコン1位を獲得し、スタジアムツアーは大盛況で幕を閉じた。その後、シングルやライブDVDの発売・10年ぶりとなる年越しライブの開催など、精力的な活動を展開。そして2015年3月31日、ついにサザンとして10年ぶりのオリジナルアルバム「葡萄」が発売された。
今作の大きな特徴は、「英語詞が圧倒的に少ない」「歌謡曲的なサウンドが多数を占めている」の2点にあると感じる。
まず「英語詞が圧倒的に少ない」という点だ。これは、桑田佳祐自身「今作は読み物としても機能できるようなアルバムにしたかったと語っている。その変化はサザンにとって相当大きいモノだったのではないだろうか。サザンオールスターズと言うバンドは元来から「日本語と英語のチャンポンロック」を自らの礎としていた部分が大きい。「日本語なのに英語に聞こえる」ロックの先駆けであり、「日本語と英語をめちゃくちゃに繋げた歌詞」が結果としてサザンらしさに繋がっていた部分も大きいのではないだろうか。「Yes I know She’s braking on my heart 今宵 with you」「嗚呼君のしぐさを真似る Sunday」「今宵涙堪えて奏でる愛のSerenade」などなど彼らの代表曲には必ずと言って良いほどに、日本語と英語を繋げた(勿論文法なんて目茶苦茶)歌詞があった。しかし2015年現在の音楽シーンにおいてこの作風は全くウケないモノになっているというのが私の持論だ。ONE OK ROCK、MAN WITH A MISSIONのような楽曲のほとんどが英語詞、または全歌詞が英語、なんていうバンドやアーティストも増えた。もしくは日本語詞しか使わないようなバンドやアーティスト、indigo la End、クリープハイプなんかが特にその傾向が強いと思うのだが、とにかく楽曲の歌詞面で「極端」なバンドが増えたのだ。その理由は「分かりやすさ」に由来している。極端なモノは分りやすいのだ。その視点で言えばサザンの「日本語と英語のチャンポン歌詞」は全くその逆を行く作風なのだ。日本語と英語がごっちゃになっているモノは分かりにくい。だからこそ、ではないのかもしれないが、この2015年に桑田佳祐は日本語歌詞を強く強調した作品を生み出した。勿論「東京VICTORY」などの一部の楽曲は今までに近い表現(「時を駆けるよ Time Goes Round」なんかはまさに今までの英語と日本語のチャンポン歌詞)だが、それを含めても今までの作品とは比べ物にならないくらいに趣の違った作品になっているのは明確だろう。それはこの2015年現在の市場ととてもマッチしたもので、つまり売れるためのマーケティングサーチがことさら上手に成功している作品なのだ。
そして「歌謡曲的なサウンドが多数を占めている点」。前回のキラーストリートは「セルフカバー的」な所謂「THE・サザン」的なポップな楽曲が目立っていた。その前の「さくら」では「ハードロック」的なギターの音を全面に出し、歌詞も社会派な楽曲が多くを占めていた。思えばサザンの中期~後期のアルバムはどんな作品にも「テーマ」的なモノを感じる事が出来るような作りになっていたように思う。そんな中で今回のテーマは「歌謡曲」だったのだろう。「青春番外地」「イヤなことだらけの世の中で」「天井棧敷の怪人」「天国オンザビーチ」など、正にド直球な歌謡曲サウンドがアルバムの随所に配置されていた。
ここからは楽曲それぞれをフューチャーしていきたい。
①アロエ
サザン10年ぶりのアルバムの1曲目を飾る曲はノリの良いディスコナンバー。
こういった楽曲、今までなら歌詞に深い意味を持たせないような、例えば「イエローマン~星の王子様~」「シュラバ★ラ★バンバ」「EARLY IN THE MORNING~旅立ちの朝~」あたりが挙げられるのだが(と、桑田佳祐自身が付属のセルフライナーノーツで語っているのだが)、今回の歌詞はそれまでとは違いとても意味ありげなものになっている。「だから勝負、勝負、勝負出ろ!!」「止まない雨はないさ」「明けない夜はないさ」「乗り越えなさい 幸あれ」「悲しいことは言葉に換え」「星を見上げて そっと歌うといいよ」「そのことだけでみんな幸せなんだ」「この世の中で 生きる限り」「ひとりひとりは みんな違っていいよ」「人間(ひと)は誰もが 弱く暗く寂しい」「だから女神がそっと微笑んでるんだ」「跳べない壁はないさ」「空振りだってあるさ」要するに応援ソングだ。こういった曲調の曲でこうした歌詞をつけたことは今までなかったのではないだろうか。近年の「応援歌」的な歌詞の曲が多くなっているのは世界情勢や日本国内で起きているいろいろな事、なにより桑田自身年齢を重ねてもうじきに60歳という大台に乗る中で、色々なことを思うとことがあったのではないだろうか。サウンドはディスコロック的。イントロのギターがとてもカッコ良く、そこにしなやかなストリングスが重なると非常にテンションも上がる。ライブでは「アロエダンス」なるお客さんが一体となって踊る曲となっていて、開演前にはそのレクチャービデオが流されていた。「愛と欲望の日々」なんかもそうだったけど、こういったお客さんも巻き込んだライブと言うのはやはり楽しい。
②青春番外地
「綱走番外地」を彷彿とさせるタイトル。ピアノの軽やかでどこか重みのあるメロディが気持ち良い。60年代から70年代の猥雑でどこか鬱蒼とした昭和の情景が描かれている。「縁があって楽団のバイトして 授業をサボり ピンク映画歌舞伎町とハシゴして 身も打ち震え」という歌詞には東京のカルチャーに衝撃を受ける田舎から上京した若者…みたいなものを彷彿とさせる。その時代を生きた桑田佳祐だからこそ書ける歌詞なのではないだろうか。茅ケ崎から洋々と青学に入学して茅ケ崎には無かったカルチャーに彼も触れていたのだろう。そういった背景も込みで曲を聴くと楽しい。
伝説のバンド、「はっぴぃえんど」と全く同じタイトルだが、歌詞の内容は全くそれとは関係ない。2011年に大病を患った桑田佳祐がバンドメンバー、そして妻の原由子に詫びの気持ちを込めて書いたものになっている。ボサノヴァのようで、柔らかくて可憐なメロディが心地よい。僕もいつか結婚して嫁さんが出来て子供も生まれて、数少ない友人と盆暮れだけの付き合いかもしれないけどそれでもずっと仲良くしていて。そういう待遇になった時にこの曲を聞いたらまた違った感想を持てるんじゃないかなと思う。今はまだこの曲の魅力を感じる事は出来ないんじゃないかなと思う。
④Missing Persons
「さくら」時代を彷彿とさせるハードロック調の楽曲。それでいてメロディは日本の歌謡曲っぽいのだから面白い。とにかくカッコ良い。歌詞は北朝鮮による日本人拉致問題について歌っていて、「Megumi come back!」というフレーズまで出てくる。拉致問題は日本人として決して忘れてはならない重要な問題の1つだ。だからこそサザンの様なポップスを生業としたバンドがこの問題について語る意味が絶対にあると思う。日本のポップス、最近ではロックですら恋愛ソングに溢れかえっている。それ自体を否定するつもりはないが、やはりこういった日本と切っても切れないような事を敢えてサザンの様な大御所バンドは歌うことによって、こういった問題に興味を持ってくれる人が1人でもいればいいと思う。
⑤ピースとハイライト
サザン35周年の復活を飾った54枚目のシングル曲。曲の全編にサザンらしさが満載である。イントロのシンセサイザーっぽい「海」なんかを彷彿とさせるようなメロディからのホーンセクションがドカン!と入ってくる感覚や、曲の随所に配置されたホーンセクション、アウトロのシンセが響く感覚…。どこを切り取ってもサザンらしい、まさに復活に相応しい楽曲になったと思う。歌詞は普遍的な平和を祈るモノになっており、特に近年の東アジア情勢について歌っている。2015年現在、世界情勢はさらに悪化の一途を辿っている。どこを見てもどこかきな臭く、テロ・デモ・戦争・九条・安保法案・ヘイトスピーチ。ニュースを付ければそんな単語が飛び交っているし、ネットを開けば国や国籍を差別するような言葉で溢れている。日本国内ですらこういう状況が今現在進行形で起きている。そんな中でこういった普遍的な平和を祈る歌を「国民的バンド」と言われるミュージシャンが歌うのには深い深い意義があると思う。
2015年初頭、この曲や紅白出演をキッカケに所謂「炎上」的な騒動に発展したが、吐きそうなくらいしょうもない騒動だったので割愛する。「平和を願う」楽曲を作ったら「反日」とされるこの国の将来は暗い。
⑥イヤなことだらけの世の中で
京都を舞台とした、どこか物悲しげな昭和ムード歌謡っぽい楽曲。「鴨川」や「祇園囃子」といった単語が出てきて、秋の紅葉がきれいに吹いている夜の京都なんかを連想させる。何かを説明するというよりは映像的な詞で、この曲をモチーフに京都が舞台の2時間ドラマや映画か何かを作ったら面白い作品になるのではないだろうか。女性目線であったり、英語詞を意図的に使わずに敢えて古めかしい表現を使う作風がより一層この曲の世界観の構築を硬度なモノにしている。
⑦天井桟敷の怪人
意図的に感情的というか、ミュージカル的に歌う桑田佳祐のボーカルが癖になる。演劇、それも70年代の劇団を主人公にした、恐らくは演出家だろうが、そういう昔のカルチャーを歌詞のモチーフに置いている楽曲が多いのもこのアルバムの特徴だ。怪しげなサウンドも歌謡的なメロディも、僕らの世代には新鮮なモノとなって聞こえてくる。
⑧彼氏になりたくて
このアルバムでも唯一のシンプルなラブソング。60も手前の桑田佳祐は未だにこんなキュンとくる切ない楽曲を書けるのかと感心する。アーティストは年齢を重ねるごとに歌うテーマは変わるモノだし、近年ではサザンもまたデビュー当時とは違った作風になりつつある。むしろ20代の頃から歌ってる内容が1mmも変わらないようなアーティストはそれこそ骨の髄まで「商業音楽」に染まっていて「芸術としての音楽」を作れないアーティストと呼ぶ気すら起きない人間だと思う。勿論サザンも散々前述している通り歌うテーマがここに来て大きく変わってきている。それはアーティストとして至極真っ当で尊いことだなと思う。その一方でこの「彼氏になりたくて」は普遍的なラブソング、それこそ今までのド王道サザンな曲だ。コンセプトが「サザンのド王道」とはかけ離れた「葡萄」というアルバムに収録されるのはファンとしては嬉しい。この1曲はこのアルバムでは「清涼剤」的な役割を果たしているのだ。散々書いたことをすぐに翻すようだが、やはり僕は「真夏の果実」や「LOVE AFFAIR ~秘密のデート~」みたいなキュンとくるような楽曲でサザンを好きになったからこそ、桑田佳祐の作るこの手の楽曲が大好物なのだ。桑田佳祐はどうしようもない女々しくて惨めな男性を描くのがことさらに上手い。「命に代えたって」なんて思うくらい本気の恋でも、振られて浜辺で「I miss you」だなんて呟いちゃう男なんてフィクションと分かっていても究極に女々しいのだけど、その男にひどく共感してしまう僕もまた女々しい男なんだと再認識させられる。鎌倉の海辺なんかで聴いたら切なくて泣けるんだろうなぁ。
⑨東京VICTORY
55枚目のシングル。「変わりゆく東京」をモチーフに、2020年のオリンピックに想いを馳せてしまうような楽曲。「ロックンロール・スーパーマン」なんかに近くて、でも「100%の元気」じゃなくて「憂いも悲しみもあるけどそれでも頑張っていこうよ!!」と言われているような曲になっていると思う。人間だれでも苦しみや悲しみを持ちながら生きている。この曲はそんな苦しみや悲しみも包み込んでくれるような包容力があるなと思っている。感覚的なことだが、2020年まで歌い継いでいきたい楽曲だと思う。
ライブでは煽りコーナーとして既に馴染んでいる。2014年越しライブや2015年のツアーでの遠隔操作可能なLED内蔵のリストバンドの演出がこの楽曲からスタートしていたのだが、途轍もなくキレイなのだ。ドームで見たあの光景は今でも目に焼き付いているし、何ともいい難い素晴らしいモノだった。これからもライブにはいろんな新しい演出を取り入れて欲しいと思う。
⑩ワイングラスに消えた恋
アルバム恒例の原坊ソング。「葡萄」に因んで...というわけではないのかもしれないが、「ワイングラス」をモチーフとした女性目線の失恋ソングに仕上がっている。切ない歌詞と原坊のどこか憂いのある声が妙にマッチしている。失恋ソングなのにその主人公の人生観まで語られているような気分になる。サウンドはこのアルバムでもかなり歌謡感が強く、「これぞTHE・歌謡曲」的。NHKの「歌謡コンサート」でこんな曲歌っていそうだなぁ。
「おいしい葡萄の旅」では原坊がまさかのセンターステージでハンドマイク。とてもレアなモノを見れた。今回のツアーは選曲や22年振りの武道館公演等「レア感」満載のツアーとなっていたが、今思い返せばこれもまたレアなモノだったなと思う。若いダンサーと一緒に慣れないダンスを精いっぱいに踊る原さんは可愛らしく、とても還暦間近には見えなかった。
⑪栄光の男
2013年復活の際のシングルにも収録されたが、シングルのカップリングに留めておくには非常に勿体ない楽曲だ。このレベルの作品、普通の若手~中堅バンドなら間違いなくそのバンドの代表曲になりうるようなクオリティのモノだと思う。それだけサザンには途轍もない作品が沢山あるということだろう。歌詞の「中年オヤジの切なさ」がスゴイ。「居酒屋の小部屋で酔った振りしてさ 足が触れたのは故意(わざ)とだよ」と言う一節には、「年功序列でなし崩し的に中間管理職になって、上司と部下の狭間で必死に働く中で、たまたまお茶汲みに来た女の子に惚れて、でも家に帰れば最近言う事を聞かなくなった娘やすっかりときめくことなんてなくなってしまった妻もいる。家庭に対する責任故にどうすることもできない中で、たまたま飲み会で席がその子の目の前になった時、彼ができる精いっぱいの彼女へのモーション」みたいな画を妄想してしまう。本当に切ないし、でも実際に今もどこかでこんなことが繰り広げられていそうなのもまた切ない。
⑫平和の鐘が鳴る
このアルバムが発売された2015年は「戦後70周年」という節目の年だった。つまりそれは「原爆が日本に投下された年から70年」ということであり、「勝ち負けに関わらず沢山の国で何千もの悲惨な死者が出た戦争が終結した年から70年」ということでもある。戦争が終結した1945年の8月はきっと、どこまでも青くて爽やかすぎるほどの「悲しみの青空」がこの国を包みこんでいたのだろう。戦争とは辛くて痛くて悲しみしか生まないモノだと思う。今回のアルバムに際したツアーの最終公演は日本武道館2daysだった。運良く僕も最終日の日本武道館2日目に参加した。その数日前に平和式典が行われ、すぐ近所には靖国神社がある日本武道館で聴く「平和の鐘が鳴る」には胸を締め付けられるような思いだった。世界情勢が緊迫している今、この楽曲は重く我々に圧し掛かってくる。あの過ちは二度と繰り返したくない。もう誰も傷つく必要はない。日本に限らず、世界中どこでも、「国の為に人が人を殺す」なんてことがあってはならないと思う。失ったモノが希望に代わって、やっと自分の足で歩き始めた日本が、そして世界がまた同じ過ちを繰り返さぬように、我々はこの曲を「一つの戒め」として胸に刻みながら生きていきたい。
⑬天国オン・ザ・ビーチ
このアルバム唯一の「下ネタソング」…と言うよりは「お下劣ソング」のほうが言い当て妙かもしれない。音楽や表現・特にこういった大衆音楽みたいなモノは「上品」だけじゃなくて「下品さ」も織り込んで成り立つものなのではないだろうか。サウンドもドの付く昭和歌謡。笑点のテーマを彷彿とさせるメロディには親近感すら湧いてくる。やはり日本人の根底には「歌謡」的なサウンドが染みついているんじゃないかなと思う。
⑭道
シンプルなギターのストロークとアーティストとしての心情を吐露するような歌詞。そこに徐々に音が重なって行く楽曲の流れは、まるで桑田佳祐と言う1人の歌うたいに徐々に集まってきたバンドメンバーが音を鳴らしだす…みたいに聞こえてくる。それは当時青学の軽音サークルでサザンオールスターズが結成された経緯にも似てるのではないだろうか。桑田佳祐という確かな才能を持った1人の「歌うたい」にシンパシーを抱き、一緒に音を鳴らしたいと思ったメンバー。その流れがそのままこの楽曲の構成になっていると思うとこの曲の聞こえ方も変わってくる。シンプルさを残しつつも徐々に音が増えたり減ったりするこの楽曲は実はものすごく実験的な作品なのだと思う。「歌を生業とする男」としての本音を吐露するのは斎藤和義「歌うたいのバラッド」にも通じるものがある。まだまだ「歌うたい」としての「道」をサザンや桑田さんにはこれからも歩み続けてほしいものである。
⑮バラ色の人生
甘く切ないサザンの王道とも言えるポップ。それでいて曲に対する歌詞の乗せ方はどこか新鮮。歌詞の内容も1番は王道とも言える恋愛模様を描いたものだが、2番には「SNS批判」とも取れる社会的な歌詞が顔を覗かせる。それでも批判に留まらず「ネットもいいかもしれないけど、現実の恋愛も楽しいぜ?」と歌う歌詞にはネガティブさだけで終わらない桑田佳祐の「粋」みたいなものを感じる事が出来る。なにより真っ直ぐな恋愛模様を描く歌詞がやはりキュンとする。「恋の波動で胸を焦がして」なんて漠然な表現だけどどこか納得してしまう。恋愛ってそういうモノだよなー。
⑯蛍
「平和の鐘を鳴る」の項でも記載した通り、戦後70周年という「日本という国の節目の年」にドロップされた作品の〆に相応しい「普遍的な平和を願う曲」として素晴らしい楽曲だ。サザンの描く「夏」と言えば「爽やか」「海」「青」みたいなものが先行しがちだったし、サザンに限らず大衆音楽・J-POPにおける「夏」表現は本来であればそういったモノが自然だと思う。しかしこの楽曲では「蝉の声」「TV中継の平和式典」「痛いくらいの青空と原爆ドーム」「平和を祈る灯篭流し」みたいなものを連想せずにはいられない。どれも「日本の夏」には切っても切れないモノなのではないだろうか。「夏」は確かに楽しいものだしウキウキする季節だけど、その一方で「戦争に伴う悲しみ」だって毎年のように国民全員がいつになっても感じていることで、それをここまで綺麗にまっすぐに表現した桑田佳祐とサザンオールスターズは尊い存在だと思わされる。「夏」は原爆投下や戦争終結と言う「日本のその後にとって切っても切れない悲しい出来事」があった季節。それを音楽で表現しようと桑田佳祐が考えた理由を僕らは考えなければいけないと思う。
前述した通り、「葡萄」はサザンとして10年ぶりに発売されたオリジナルアルバムだ。前作「キラーストリート」では歌われなかったような題材や曲のアレンジが多いアルバムだと思う。特にこの歌謡曲への振り切り方は「サザンらしくない」と思われる方もいるかもしれないが、市場を見ていてもこの振り切り方には意図的なモノを感じずにはいられない。「とにかく分かりやすいモノ」が売れる今、ここまで歌謡的にすることで「葡萄」は極端に分かりやすく、他の誰も真似していない「2015年のJ-POP・大衆音楽」では物凄くオリジナリティに溢れた作品になっているのだ。それでいて従来のサザンらしさもしっかり押さえている。本当に上手い作品だなと思う。
「昭和」や「和」をモチーフにした作品が多いのもこの作品ならではだ。平成という時代しか知らない我々にとって「昭和」がモチーフの楽曲には新鮮さを感じる。なによりこの作品で度々歌われる「平和」がテーマの楽曲。年を重ねた桑田が今だからこそ歌うことのできる楽曲になっているし、戦後70年という節目の2015年だからこそ歌う意義のある楽曲だと思う。戦争なんて二度と繰り返してはならない。暴力は何も解決しないし、人々の心に深い傷をつけるだけだ。この「当たり前だけど人々が忘れている事柄」を歌うためにサザンは復活し、この大作「葡萄」を作ったのだ。二度とあの過ちを繰り返さぬように「ピースとハイライト」や「平和の鐘を鳴る」を心に刻んで生きていきたい。
思えばこの作品は僕がファンになってからサザンとしては初めてのオリジナルアルバム発売だった。本格的にファンになった2008年頃、時を同じくしてサザンの無期限活動休止が発表された。そのタイミングの悪さにひどくガッカリしたし、もうサザンを見る事はないのか…なんて思った記憶すらある。2013年、僕は大学生になってアルバイトではあるが自分である程度纏まったお金を稼げるようになった。そんな中でサザンの復活が発表された時は途轍もなく喜んだし、自分の稼いだお金でサザンのシングルCDをフラゲし、ライブにも初めて参加した。「サザンオールスターズのCD」をフラゲするなんて08年当時は思いもしなかったし、初めて見るライブでサザンのメンバーが舞台下からせり上がってきた時には涙すら流れた。やはりこの人たちは僕にとって大切な存在なのだろうなと再認識させられた。そして2015年、遂にニューアルバムまで買うことが出来た。そのツアーには幸運なことに2回も参加して、その内1回はロックの聖地でもある日本武道館でサザンを見る事が出来た。日本武道館で見たサザンは一生忘れる事はないだろう。それくらい心に残るライブだった。
2015年の日本音楽界、そして日本という国、果ては世界情勢へのカウンターとしてしっかりと決まっている「葡萄」。サザンを「古い」だなんて言う人もいるけど、音楽の魅力は演者の年齢や歴にかかわらない。寧ろ、この年になってこれだけのキャリアを積んだからこそ出来る表現が絶対にあるし、「葡萄」も今の若手バンドや若手アーティストには絶対出来ない表現だと思う。是非聴いたことのない人には聞いてみてほしいし、もう聞いたよ、持ってるよと言う人はもっともっと聴いてみてほしい。