【CDレビュー】「C2」の「原点回帰」と「宣言」【Base Ball Bear】
2015.11.11。ロックバンドBase Ball Bearの6枚目となるオリジナルアルバム「C2」が発売された。そもそも彼らの1枚目のアルバムタイトルが「C」なのだが、そういう意味では正に「原点回帰」となるアルバムタイトルであり、中身もまた徹底した「ギターロック」という言葉が指す音楽の幅を広げてくれるようなアルバムだと言えよう。
本作に触れる前に前2作である「新呼吸」「二十九歳」について記しておきたい。
「新呼吸」は2011年に作られた作品だ。2011年と言えば「東日本大震災」が起きた年。彼らもまた震災によって予定していたツアーの一部公演が振替になったり東北圏の公演は中止を余儀なくされたりした。「今音楽をする意義とは?」と本気で悩み苦しんだという。その結果メンバー間がギクシャクしたり、ベースの関根史織は本気でバンドを辞めようとしていたとも聞く。そんな紆余曲折の上に作られたのが「新呼吸」である。この作品は「1日の時間の流れ」をコンセプトに制作され、各曲に時間が振り分けられている。1曲目の「深朝」では「新しい朝は来るよ 僕らにも」と歌い、ラストの「新呼吸」では「新しい朝が来れば僕は変われるのかなぁ」と歌う。まさに2011年の深い絶望に包まれていた日本にも「朝は来るよ」と歌う「2011年に捧げるアルバム」だったと言えると思う。音も「ギターロックでどこまで表現できるのか」をコンセプトとし、「yoakemae」では「シンセや同期使ってるんじゃねぇの?」みたいな音が鳴っていた。
そして2014年に発売された「二十九歳」だ。これはボーカル小出祐介の「私小説チャンネル」「自分語りチャンネル」が全開になった作品だったと思う。特に「光蘚」「魔王」の流れはあまりにも重く、物悲しい。またそこまでの流れも、アルバムに強く物語性を入れ込む仕組みになっており、「UNDER THE STAR LIGHT」~「PERFECT BLUE」の流れなんかも「シングルのPERFECT BLUE」とはまた違った聞こえ方がするモノになっていた。またサウンド面でもベースの関根史織が特に急成長を果たしたと感じるような、1stや2ndにはなかった新しいものに進化を遂げていたと思う。
前置きが長くなった。さて、「C2」は今までのBase Ball Bearには無かったサウンドや歌詞に溢れた作品になっている。
「エクストリーム・シングル」として先に発売された「「それって、for 誰?」part.1」「文化祭の夜」「不思議な夜」で既に「次のアルバムは今までの作品とは違ったモノになるのでは?」という予感はしていたが、まさにその通りとなった。
1.「それって、for 誰?」part.1
SNSで日々繰り広げられる「それって、for 誰?」な書き込みや呟きをぶった切った1曲。13年の「The Cut feat.RHYMESTER」で培ったモノがここで生かされているなと思う。音もベースラインが唸るように響いていて、絶対にこんな曲1stの頃には作れなかっただろうなと思わされる。
2.こぼさないでShadow
艶っぽいバラード曲。「Talking Rock!」で小出はこの楽曲について「80年代サザンっぽい曲だったから歌詞もそれを意識して書いてみた」とインタビューで述べていたが、そう言われてみればなるほどと思わされる。アイシャドーをモチーフとした楽曲で、化粧品のキャッチコピーをテーマに作られた岡村靖幸との共作「愛はおしゃれじゃない」の流れを汲んでいるのか、それともそこからの流用なのかと妄想が膨らむ。
3.美しいのさ
ベース関根史織のボーカル曲。美しさのために作られたモノより日々のふとした美しさと離れたモノの積み重ねである「キミとの日常」こそが本当の美しいモノだと歌う歌。関根のふんわりとしたボーカルがピッタリ。
4.曖してる
ベボベには「愛してる」という曲があるが、こちらは「曖昧」の「曖」だ。「普通」というとてつもなく曖昧なモノを歌ってきた彼らにはピッタリの楽曲と言えよう。「極端にしたものを分かりやすいとか言いながら」という一節には4つ打ち楽曲が溢れかえったロックフェスとそればかりを楽しむ人々の姿が浮かぶ。
5.文化祭の夜
ブラックミュージック的でファンク的な楽曲。マイケルジャクソン的なシャウトも楽曲のダークさを加速させている。そんな歌に文化祭の情景を歌う歌詞を乗せるのも面白い。
6.レインメーカー
このアルバム唯一の「自分語り」な楽曲。それも今までで一番強く自分語りをしているなと思う。「世界中がバカだから俺がなんとかしなきゃとか考えているんだ」という一節には音楽の聴き方が変わりつつある今、どうやってCDを売っていくかを考えなくてはいけない音楽家としての小出祐介の悩みや葛藤を感じることができる。
7.どうしよう
「連絡と言う名の勇気 あれば空も飛べるはず」と言う歌詞はスピッツを連想させる。素直になれない女の子に対する思いを「どうしよう」と悩み続ける主人公を歌っている。「青春が終わって知った 青春は終わらないってこと」と言う歌詞には「青春」の心理みたいなものを覚える。
8.カシカ
歌を聴いてるだけでは「死生観」みたいなものを歌っている歌だと思いがちだが、歌詞カードをしっかりと読むと「視にもの狂い」や「詞に至る病になって」などと、「実は視点について」を歌っている歌で、この楽曲のシステムそのものがそれをより強調している。まさに「可視化」な楽曲であり「歌詞カ(ード)」を手元に置いて聴いてほしい=CDの購入、みたいなことまで考えているのかもしれない。サウンドは疾走感あふれるライブで盛り上がること必至のノリの良いキャッチーなものになっている。そんなサウンドにこんなややこしいシステムの歌詞をつけるあたりベボベはひねくれていると思うし、そこが良いモノを作るトリガーになっているとも感じる。
9.ホーリーロンリーマウンテン
2015年春に行われた「二十九歳+一」にて曲名を伏せて歌われた楽曲。このアルバム、ひいてはベボベの長いキャリアの中でも「サウンドの重厚感」は随一だろう。重くのしかかるようなサウンドは、初期のギターが引っ張って行くようなサウンド作りでは成しえなかった楽曲だろう。
10.HUMAN
「人間」と「不満」のダブルミーニングになっている。昨年発表された「間の人」という小出の詩集のタイトル詩を彷彿とさせるような、ひたすらにいろんな人について羅列し続け、「これこそが現実と言う人間味」だと言わんばかりの歌詞。「ホーリーロンリーマウンテン」が「サウンド的な重さ」ならばこちらは「歌詞から来る重さ」だろうか。
11.不思議な夜
一転して爽やかで切なさのあるラブソング。「恋の始まり」をここまで鮮明に描けるのもこの10年の賜物じゃないかと思う。「HUMAN」の後にこの曲と言うのも堪らない。「それでも素敵な朝は目の前に広がるよ」と言われてる気分になる。
12.「それって、for 誰?」part.2
「砂漠に水を撒こう 渇くと分かっていても プールに混ぜるのはごめんだ」と歌うこの曲は、この音楽シーンに強く違和感を覚え続けている小出祐介の「バンドのフロントマンとしての自分語り」であり、「これからも闘い続ける」という明確な宣言になっているのだ。「その戦いって for 誰?」という意味合いでの「それって、for 誰?」のpart.2なのだろうが、この場合の「誰?」とは現在、そして未来の音楽シーンや音楽リスナーだろう。10年前に4つ打ちのハシリとしてロックフェスに4つ打ちを流行らせた責任みたいなものを彼なりに感じているのだと思う。砂漠に水たまりを作りたい。どんなに渇こうと必死に水を撒き続けたい。そういう宣言だと思う。最後の「with you」はファンのあなたたちと一緒に水を撒きたいですと言う意思だろう。僕もこのロックシーンに水を撒き続けたい。
今回のアルバムは恐らく(今の)ロック好きや大衆には全くウケない、下手したら敬遠されるようなものだろう。でもこの道をBase Ball Bearは選んだ。たとえ今は売れなくても、評価されなくても、3年後5年後に「ベボベってこの頃こんなことしてたのか」と思わせるようなアルバムを作りたいとしていた。茨の道だろう。それでも彼らには闘い続けてほしいし、それこそが彼らなりの「芸術表現」なのだと思うし、とても真っ当なことだなと思う。
サウンドに重点を置いたアルバムだと前述したが、歌詞もめちゃくちゃ考え込まれてるしこの音楽シーン、ひいては2015年という「現在」へのカウンターとしてとても強く機能していると思う。もっと聴きこんで新たな発見をしたいと思う。