2020年と音楽
2020年も半分が過ぎようとしている。
日本において10年代中盤から後半は、誰もが2020年という近未来に憧れと期待を抱きながら過ごしていたように思う。東京五輪の開催、来たる新しい年代。それらに胸躍らせながら、時にはその来たる未来の為に我慢をしながらも、緩やかな日常を過ごしていた。
いざ2020年の蓋を開けば、年初より新型コロナウイルスの世界的流行が始まり、知らず知らずの間に国内でも感染が広がり、各地の大型イベントは無くなり、学校は休みになり、やがて「緊急事態宣言」が発令され、街から人が居なくなった。僕らの日常は突然に終わったのだ。皆があんなにも憧れた東京五輪は延期、その延期となった来年の開催の見通しも今なおつかないままだ。6月になるとアメリカ国内では黒人男性の死亡を巡り抗議デモ活動とそれに伴う暴動が加速。流行病と人種差別という、一昔に憧れた近未来の2020年とは思えないような、絶望的と言うしかないような光景を我々は目の当たりにし続けている。
こんな時、音楽は無力である。
続きを読む生き続けるロックバンド、その様 ~NUMBER GIRL「TOUR 2019-2020 逆噴射バンド」をZepp Nagoyaで見た~
2月11日、NUMBER GIRL「TOUR 2019-2020 逆噴射バンド」Zepp Nagoya公演を見てきた。そこには、NUMBER GIRLというバンドの生き様と、生き続ける理由があった。
※本記事はNUMBER GIRL「2019-2020 TOUR 逆噴射バンド」のネタバレを含みます
続きを読むQUEEN+ADAM LAMBERT「THE RHAPSODY TOUR」をナゴヤドームを見た!
僕に初めての洋楽ライブとなったのはクイーン。1月30日にナゴヤドームで開催されたQueen + ADAM LAMBERD「THE RHAPSODY TOUR」を見てきました。今回はその感想を。
昨年の映画「ボヘミアン・ラブソディ」のヒットから改めて再評価、注目されていたクイーンだけど、「ボヘミアン・ラプソディ」のヒットの有無なんて関係なく、ただただ、世界的バンドが世界的バンドである理由、クイーンというバンドの圧倒的な凄みを感じたライブだった。
クイーンって、僕らくらいの世代のファンじゃない人間からすると、よくテレビで流れてるちょっと面白いバンドみたいな印象が正直あって。
それはフレディのあのルックス(カップヌードルのCMで流れていたタンクトップ姿)とか、あのあまりにも印象的な「We Will Rock You」のリズム(ドッドッダン!って良く手と足を使って教室で真似したのを覚えている)とか、CMとかドラマ、バラエティでの使われ方(カップヌードルのCMとか、ドラマ「プライド」の「I Was Born To Love You」とか、バラエティで自転車乗るシーンで定番過ぎる「Bicycle Race」とか)によるものなんだろうなーと思うのだけど。
でもそういうイメージなんて吹っ飛ぶくらいの幅広い音楽性、そしてバンドとしての強固な地力を体感したライブだった。
コーラスが印象的な曲、打ち込みが全面に出たサウンドが印象的な曲、ロックンロールなバンドサウンドが光ってる曲。「Killer Queen」は妖艶だし、「Bycecle Race」は瑞々しい疾走感に溢れているし、「Radio Ga Ga」のスケールの大きさに圧倒され、「We Will Rock You」のロックンロールにシビれまくって、「We Are The Champions」の普遍性に涙してしまう。
とにかくクイーンのライブは幅広いサウンドが鳴っていて、同時に改めて「そういえばこの曲もこの曲もクイーンだったのか」という衝撃もあって。そんなクイーンの音楽性の広さや間口の広さは日本のバンドで喩えるならサザンオールスターズっぽくもあり。似たような曲が1曲も無い、濃密な2時間半だった。
「QUEEN+ADAM LAMBERT」は、クイーンのオリジナルメンバーであるブライアン・メイとロジャー・テイラー、そしてボーカルとしてアダム・ランバートが参加したコラボレーション・バンド。だから厳密に言えばオリジナルのクイーンとは似て違う物になる。クイーンの本来のボーカルであるフレディ・マーキュリーの、言わば「代わり」となってしまうアダムには当然物凄いプレッシャーがあるだろうけど、アダムの歌唱からはそんなプレッシャーは毛頭感じず、代わりにフレディへのリスペクト、最早それを通り越した愛をひたすらに感じた。クイーン、そしてフレディへの愛に溢れたアダムだからこそ、このコラボレーション・バンドのフロントマンを張れてるのだろう。
もちろんこのライブのメインボーカルはアダムなのだけど、フレディへのリスペクトを感じるシーンは随所にあって。例えば中盤でブライアン・メイとフレディが大画面のモニターを通してツーショットになる瞬間があって。それは新しいボーカルを迎えてもクイーンがクイーンである事、そして今もフレディも同じステージに立っているというクイーンの思いを感じる瞬間だった。
フレディに纏わる演出だけではなく、今回のQUEEN+ADAM LAMBERTのライブは全編を通して世界的バンドならではのシンプルに音楽を楽しませる演出による場面が多かった。大胆な演出というのはそこまでなかったように思う。それは彼らが音楽の力だけで十二分に魅せ切ることが出来るからに他ならない。とはいえやはり舌を巻いてしまいそうになるほど驚く演出もいくつかあって、例えば「Radio Ga Ga」の前にブライアン・メイが大スクリーンを使って、まるで宇宙のどこかにある惑星の上で壮大なギターソロを弾いているような演出は圧巻だったし、かなり長尺(5分はやってた)のギターソロだったにも関わらず、全く飽きずに聞くことが出来たのはブライアン・メイの演奏の巧みさと共にあの演出があってこそだろう。
そして「We Will Rock You」の演出にも驚いた。「We Will Rock You」のジャケットに描かれている巨人がメンバーの後ろに設置された大ビジョンに映しだされ、会場中を見渡す演出は度肝を抜かれたし、とてもユニークで印象深い。
やはり今回のライブの白眉は本編最後に演奏された「Bohemian Rhapsody」。
不穏なアカペラ・コーラスに始まり、美しいバラードに心惹かれていると、中盤ではめまぐるしく哲学的なオペラを経て、ハードロックに行き着き、最後はまたバラードに着地する。その曲展開は組曲であり、さながらサーカスか、喜劇を見ているかのようで。ライブでこの曲を再現するのは今でも、そして当時は今以上に大変な作業だっただろうと思うし、それをやってしまうクイーンはやはり圧倒的な地力とファンサービスに溢れたバンドなんだなと思う。
普段はどんなバンドやミュージシャン、例えばサザンオールスターズを見ても星野源を見てもPerfumeを見ても「デケェなあ」と思ってしまうのが僕にとってのナゴヤドームという会場だ。ドームは音楽ライブ・コンサートの会場には向いていないとすら思っている。そんな僕が今回のQUEEN+ADAM LAMBERTのライブで初めて「ナゴヤドーム、ちっせぇなぁ」と思ったのだ。それは他でもなく、クイーンの音楽が世界を股に掛ける圧倒的なスケールのサウンドであり楽曲だからに他ならない。もちろん僕は基本的には邦楽リスナーだし、邦楽が洋楽に劣っているとも勝っているとも思わない(というか劣る勝るという概念は音楽に存在しないと思う)し、どちらも異なる魅力が溢れていると思っている。その上で、音楽そのもののスケールで見る者を圧倒させ、会場の広さまでも錯覚させてしまうクイーンという世界的バンドの途方も無い凄味は、初めて彼らの音楽に触れた僕の心を熱くさせた。
クイーンだけではなく、洋楽自体ライトリスナーな僕だけど、本当に心から楽しめたライブだった。なかなか見れるモノじゃないけど、また見たいなと思う。クイーン、そしてアダムがまたいつか日本に来てくれることを楽しみにしている。
打首獄門同好会は何故ラウドロックとエンターテインメントを融合させたのか?【ライブ感想・レポ】
打首獄門同好会「獄至十五」ファイナルワンマンツアーZepp Nagoya公演を見た
2020年2月10日、打首獄門同好会のワンマンツアー「獄至十五」ファイナルツアーZepp Nagoya公演。「生活密着型ラウドロック」を自称する彼らのワンマンライブは、ラウドロックとエンターテインメントの融合体だった。
※以下、「獄至十五ファイナルワンマンツアー」のネタバレを含みます。
続きを読む土岐麻子「LIVE 2019-2020 "PASSION BLUE ~冷静寄りの情熱ツアー~ "」@名古屋 CLUB QUATTROを見た!
見てきました。本年初ライブ。
以前参加した「中津川 THE SOLAR BUDOKAN 2018」でReiとのコラボユニット出演を見たことはあるけど、ワンマンは初だった土岐麻子。
今回のツアー前にリリースされたアルバム「PASSION BLUE」は、「PINK」「SAFARI」に続く「シティポップ三部作」の最終作、と、彼女自ら各所で話している。現代におけるシティポップと言えばSuchmosやNulbarichの名前がよく挙がるけど、土岐麻子もシティポップの文脈を汲んだミュージシャン。
とはいえSuchmosやNulbarichがそもそも80年代に流行したシティポップとは一線を画すような、アシッドジャズの風味が強い、Jamiroquai辺りから影響を受けている現代的なアプローチのシティポップだったのに対して、土岐麻子は80年代的、当時のシティポップに寄った作風なんだなと今回ライブを見て改めて感じた。山下達郎とか、竹内まりやに近い。かといってJ-POP的なテイストばかりじゃなくて、メロディに対する言葉の置き方とかは全然ポップスらしくない瞬間も多々あって。「High Line」とかまさに言葉の置き方が面白い曲だと思う。
彼女の1番著名な曲は「Gift ~あなたはマドンナ~」だけど、ああいう限界までJ-POP的なアプローチよりも近年のシティポップ的な作風の方が圧倒的に素敵だよなーと個人的には。
「PASSION BLUE」には「孤独」というテーマも内包されていて。
それは現在の東京の感覚とも物凄くリンクするなと僕は感じていて。東京五輪だなんだと騒いでいるけど、結局他人の祭だし、そんな喧噪と目まぐるしい変化の中で孤独を感じる人も多いのではないのだろうか。
印象的だったのが東京の地名、麻布とか、もっと言えば明らかに「東京」を連想させる言葉が歌詞の節々で出てきたこと。ライブ開始が東京の地下鉄と人間の血管を重ね合わせた語りのSEって時点で、かなり意識的に「東京」というモチーフを歌っているのは自明で。その理由は土岐さんが東京生まれということもあるのだろうけど、結果としてその詞が土岐麻子の作る音楽をシティポップたらしめているとも思った。SuchmosやNulbarichよりもハッキリと「東京」が作品の根底にある。
ポップスの無垢さと、ジャズのアダルトさが掛け合って生まれるシティポップの都市感。楽しく、そして気持ち良い2時間弱でした。
新荒川大橋と一角獣
本記事は「rockin'on presents 音楽文.com」への応募用に執筆したものです。
「吉澤嘉代子のザ・ベストテン」は何故、凱旋公演でなければならなかったのか
2019年11月30日、埼玉県川口市「川口総合文化センター・リリア」で行われた吉澤嘉代子の凱旋公演「デビュー5周年記念 吉澤嘉代子のザ・ベストテン」。コンサート最後の曲を絶唱する魔女見習の頭上には、息を呑む程うつくしく輝く星空があった。
今回のコンサートが開催された埼玉県川口市は、何を隠そう吉澤嘉代子の地元だ。「地元」という言葉の響きには懐かしさやノスタルジーを覚えるが、彼女にとって川口は懐かしむだけの場所ではない。小学5年生から学校に行くことを止めてしまったことや、デビュー前に川口駅前で路上ライブをしていたことなど、彼女にとって簡単に語れない沢山の意味があるのが川口という街だ。そんな川口で吉澤嘉代子が記念すべき5周年のコンサートを開催するということで、2019年11月最後の日に、彼女のファンが全国各地から川口を訪れていた。
今回のコンサートに合わせて、会場すぐそばにある川口市立中央図書館には吉澤の推薦本コーナーが設置された。各図書に彼女の推薦文が書かれ、その中には「魔女図鑑」や「ぶらんこ乗り」など、彼女の楽曲制作に大きな影響を与えた本も展示された。コンサート前に沢山のファンがこの図書館に集まり、図書館の一角に作られたコーナーを思い思いに撮影しながら、吉澤嘉代子の制作の原点とも言えるようなこの場所に想いを馳せていた。会場に足を向ければ、コンサートグッズの先行販売の列が入場開始時間になっても途切れず、コンサート開演直前になってもグッズ購入の列がホールロビーの2階にまで達していた。開演時間が近づくと、ホールには影アナによる注意事項のアナウンスが流れ出す。4人の別の声が代わる代わる話す構成になんとなく違和感を覚えていると、アナウンスの最後にこの声の主が吉澤の父、母、祖父、祖母によるものだったことが明かされ、会場からは驚きの声が上がる。コンサートが始まる前から既に、沢山のファンや地元所縁の場所、さらには彼女の家族までもが今回のコンサートを楽しみ、盛り上げようとしていることが伺えた。
定刻を少し過ぎた頃、暗転と共に聞き覚えのあるBGMがホールに流れ出す。タイトルの通り“あの”国民的音楽番組を彷彿とさせるオープニング映像が流れ出すと、サポートミュージシャンが一堂にステージに上がる。吉澤と同世代のハマ・オカモトや弓木英梨乃、大先輩である伊澤一葉など、彼女のこれまでの音楽活動を支えてきたメンバーが顔を揃える。ただ一人、今日の主役である吉澤嘉代子の姿が見当たらない。そんな中ステージ上の画面に映し出されたのは会場ではない場所で串カツを頬張る吉澤の姿。川口駅前からの生中継として画面に登場した彼女は、自身にとってゆかりの場所である居酒屋「たぬき」の串カツを食べ終わると、デビュー前と同じように川口駅前のデッキで、さながらストリートライブのように「未成年の主張」を歌い始める。いつしかその映像は吉澤が歌いながら会場へ走り込む内容に切り替わり、最後は会場後方の扉から吉澤が颯爽と登場するという実にユーモラスな演出。吉澤嘉代子らしい喜劇性が存分に発揮されたオープニングからコンサートが幕を開ける。
今回の「ザ・ベストテン」は吉澤のコンサートでは定番となっていた演劇調の体裁を取らず、吉澤嘉代子がありのままに歌い、ありのままに話すという形で進められた。彼女は決しておしゃべりが得意なほうではなく、だからこそ普段は演劇調で「ガチガチに固めて」(と、本人自ら今回のコンサートで話していた)ステージに挑んでいるのだが、今回はそういった形を取らなかったことで、彼女の素やありのままが曝け出されていた。その象徴的な出来事として、MCの途中に吉澤が足元のストラップを何度も付け直していた姿が、このコンサートに対する彼女の自然さを表しているようで印象に残っている。
ファンからの楽曲投票を基調に選曲されたセットリストは、序盤は煌びやかな恋心について描かれた楽曲を中心としたパートからスタート。続けざまに吉澤のアルバムでは恒例となった「食べ物ソング」を一挙に歌ってしまう「たべものメドレー」が披露されたと思っていると、さらに吉澤の十八番である物語調の楽曲を立て続けに披露するパートなど、様々な特色を持ったパートから構成される。吉澤嘉代子という音楽家が持つ音楽性の幅広さ、多面性を証明するような構成だ。
中盤からは所縁のある著名人から「生中継」という形のリクエスト曲からも披露された。リクエストをしたのは共に楽曲を制作した盟友、岡崎体育。お世話になっている事務所の先輩である阿部真央。業界を超えた友人であり、自身のミュージックビデオにも出演経歴のある吉岡里帆。ドラマ、そしてこの冬公開となる映画主題歌にも吉澤を抜擢したバカリズム。そして吉澤が敬愛して止まない、彼女が音楽を志すキッカケとなったサンボマスター。吉澤嘉代子のこれまでの5年間の活動に多大なる影響を与えた5組の友人達による楽曲リクエストはそれぞれに思い入れあっての選曲だ。その理由を話す友人たちを画面越しに嬉しそうに見つめ、ひとりひとりとのエピソードを笑顔で語る吉澤の姿が印象深い。
ファンからの楽曲投票、そして友人達からのリクエストによって構成されるセットリストは、結果として代表曲のつるべ打ちのような選曲となった。それは「吉澤嘉代子の集大成」でありながらも、極めて「外に向かっていった」モノと言えるだろう。
ここまで記してきたことを総括しても、やはりこれまでの彼女のコンサートと比べると実にバラエティに富んだコンサートであったと同時に、彼女にとって集大成のようなコンサートとなったのが今回の「ベストテン」の特徴と言えるだろう。
吉澤嘉代子の集大成のようなコンサート、と聞くと、昨年東京国際フォーラムで開催された「吉澤嘉代子の発表会」を思い出す。2日間開催されたこのコンサートは、初日を「子供編」、2日目を「大人編」と題し、吉澤自身の幼少時代から現在に至るまでの「夢」と「現実」を織り交ぜて書かれた脚本を、吉澤が自らの楽曲を通して演じ、彼女自身が持つ「翳り」を昇華させるという、極めて内省的で重いテーマを内包していた。
「ベストテン」と同じく「吉澤嘉代子の集大成」でありながらも、こちらは「内側を向いた」モノで、そういう意味で今回の「ベストテン」とは全く対極に位置するコンサートと言えるだろう。
何故彼女は今、地元・川口で、「発表会」とは対となる、こんなにもオープンなコンサートを開催したのだろう。
「吉澤嘉代子の発表会」2日目の「大人編」では、ウィンディという彼女の亡くなった愛犬を介して、「子供の頃の私」から「大人になった私」へと手紙が渡されるシーンで幕を閉じる。
大人になった私へ
わたしは今、誰かに会いたいのに、
それが誰なのかわかりません。
でも、ほんとうはわかっています。
ピカピカに輝く、未来のあなたに会いたいのです。
そのときは、
どうかわたしを迎えにきてください。
その手紙を読んだ現在の吉澤は「ずっとあなたに会いたい」と「一角獣」を歌い、「発表会」の幕を下ろす。
「発表会」での子供時代の彼女からの手紙にあった「どうか私を迎えに来てください」という一節。それは川口に住み、川口の図書館で本を読み、川口の実家の工場で魔女修行に励んでいた子供時代の自分自身からの強烈なメッセージであり、切実な願いだ。そんなメッセージを「発表会」で受け取った彼女は、今回の「ベストテン」で子供時代の願いを叶えるために、子供時代の自分自身を、言葉通り川口に「迎えに来た」のだ。
今日、リリアに来るために川口の街を車で走ってきた。
この風景を毎日毎日見てきたなと思った。
なんだか、スゴく、寂しい?愛おしい?そんな気持ちになった。
私にとって生まれ育ったこの街は怖い気持ちもあった
「地元」という響きには懐かしさやノスタルジーを覚えるが、彼女にとって川口はそれだけの場所ではない。彼女にとっての川口という街は、沢山の思い入れがある街であると同時に、明るいだけではない過去がこびりついた街でもある。
でも、今やっと帰ってくる場所になったんだ
バラエティ豊かな演出。自分自身の自然体なありのままの姿。自身のファンや友人達によるリクエスト。外を向いたセットリスト。自身をよく知る友人のサポートミュージシャン。支えてくれる所縁の場所や家族。それらは吉澤が今、子供時代の自身に見せたかった景色だ。学校に行けず、ただひとりで本を読み、サンボマスターの歌に感動したあなたを、今こんなにも沢山の人達が支え、応援している。きっと吉澤は、過去の自身にそんなうつくしい景色を見せたくて、だから彼女は5周年記念のこのコンサートを、川口という街で開催したのだ。
今回の「ベストテン」でも吉澤は、アンコール最後の1曲として「一角獣」を歌った。その頭上には息を呑むほどうつくしい星たちが散りばめられていた。
「一角獣」を歌う直前、彼女はこんなことを話す。
新荒川大橋を歩いている時に、誰かに無性に会いたくなったのだけど、その人の顔が浮かばなかった。
でもずっとそんな誰かに恋焦がれていて
それはきっと未来の自分なのだと思った
その言葉は「発表会」で子供時代の吉澤が大人になった自分自身に宛てて書いた手紙の内容そのものだ。「一角獣」という曲そのものが、子供時代の彼女が新荒川大橋を渡っていた時に感じた、大人になった自分への想いをそのまま楽曲にした曲だ。「一角獣」は、物語でも無く、フィクショナルな登場人物がいるわけでもなく、他でもない吉澤嘉代子自身の歌だ。そして「一角獣」を歌う彼女の頭上に広がった星空は、彼女が子供時代に新荒川大橋から見ていた景色なのだ。
地元・川口でのこのコンサートの最後、来年5月5日「こどもの日」に東京・日比谷野外大音楽堂でワンマンコンサートを開催することを彼女は発表した。
2020年5月5日(火曜)に日比谷野外大音楽堂での単独公演が決まりました!子供の日です。
— 吉澤嘉代子 (@yoshizawakayoko) 2019年12月4日
この舞台に立つことを思い浮かべて、ずっとずっと歌ってきました。
吉澤嘉代子に会いに来てください! pic.twitter.com/PS8lIrLXQj
子供時代の自身と共に新荒川大橋を渡り、サンボマスターのライブを見て音楽を志した日比谷野音のステージに、吉澤嘉代子は立つ。子供時代からの夢を、子供時代の自身と共に叶えるのだ。
夢を叶えることは難しい。しかしそれ以上に、過去の翳りを清算することは難しい。生きれば生きる程、その思いは僕の中で強くなるばかりだ。そんな中でそのふたつを叶えようと歌い続ける吉澤嘉代子が、僕は眩しくて仕方がない。僕も彼女のように、過去の自分が憧れるような夢を叶えたい。死にたくて仕方がなかった過去の自分自身を、大人になりたくて仕方がなかった過去の自分自身を共に迎えにいけるような、そんな大人になりたい。そう強く思わされたコンサートだった。
野音のステージに立つ彼女の頭上にはきっと、本物のうつくしい夜空が広がっていることだろう。