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スージー鈴木著 「サザンオールスターズ 1978-1985」を読んで。

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読みました。

所謂「初期サザンオールスターズ」、桑田佳祐の言葉を借りるならば「青山通りから鎌倉由比ヶ浜まで」 (08年真夏の大感謝祭より引用)な期間、つまり1stである「熱い胸さわぎ」~8th「KAMAKURA」までの楽曲群とその変遷をまとめたのが本書です。本書を読んだ感想・レビューを書こうと思ったんですが、結局「ふじもと的・初期サザン論」にすり変わってしまうので、本著を中心に据えつつもそういう文脈で書いていこうかなと思います。

早速個人的な話で申し訳ないのですが、この時期が1番サザンオールスターズが「バンド」だった時期というのが僕の考えです。「KAMAKURA」以降のサザン、それはつまり「KUWATA BAND」や各人のソロ活動が本格化した86年以降のサザンオールスターズはやはりどうしても「一大プロジェクト」と化してしまったというか。これは別に悪く言っている訳じゃなくて。実際86年以降もサザンオールスターズは名曲をバンバンリリースする訳ですし。ただ、1番バンドらしかったのは間違いなく78年からの8年間で、そしてそれは同時にサザンオールスターズが国民的バンドに上り詰めていくための期間だったとも言えるのではないでしょうか。そういう意味で今回の「サザンオールスターズ1978-1985」は、この8年間を総括する事で、サザンのサザンたる由縁、サザンオールスターズの言わば「源流」を見つめ直し、現代にまで繋がるサザンオールスターズの偉大さ、そして彼らが起こした邦楽ロック界への革命、それらがどういう過程で引き起こされ、どういう意味を持っていたのかを探り、それを机上にドスンと載せることで、「みんなのサザン論」が引き起こされることを狙ったものなんですね。その筆者の狙いであろう事に僕も思いっきり乗ってやろうという次第でございます。

先に本の話をしておくのならば、サザンに限らず、音楽なら何でもそうだと思うんですけど、後追いファンはどういう文脈で曲が作られたのか、その時代的背景を知ることがなかなか難しいんですよね。最近で例えるなら、Suchmosのヒットの理由は10年代前半にピークを迎えたフェス受けする4つ打ちロックの飽和化によるものだと僕は思ってて、そう思うことが出来たのはリアルタイムで音楽を追っていたからこそ。で、サザンが「勝手にシンドバッド」から一気にスターダムにのし上がった「経緯」を知っていたとしてもその「背景」まではなかなか知ることが事実僕自身出来ていなかった。そういう「後追いファン」にこそ本書は読まれるべきかと。例えば「明星」に榊原郁恵や山口百恵と一緒に表紙に出ていた、って今のサザンオールスターズからは本当に考えられないし、「明星」に出ていたことは知っていたとしても改めて「誰とどのように」出ているかを当時を知る方の言葉を通して聞くことで、当時のサザンオールスターズというバンドを世間がどういう評価をしていたのか、より輪郭がハッキリしてくるんですよね。今でいう[Alexsandros]より下世話で、ヤバイTシャツ屋さんキュウソネコカミよりもアイドル的で。今のサザンから、そして今のロックバンドからは考えられないような軽薄さとアイドル的人気をデビュー時から得ていたであろうことが「明星に榊原郁恵と一緒に表紙に載る」というところから透けて見えてくる。もっと言えば「ドリフ」のメンバーへの誘いが桑田佳祐に来ていた、なんて逸話もある。今風に言えばHIKAKINの相方にヤマサキセイヤが誘われるとか、しゃべくり007の新メンバーに岡崎体育が決まるとか、そういった感じかなぁ。絶対にありえないことなはずなのに、それを起こしていた辺りに「サザン=アイドル的コミックバンド」という、ある種の強いレッテルが張られていたことがよくわかる。ちなみにサザンが表紙の「明星」、意外とネット検索したらあっさりと出てきたので興味のある人は是非...

そういった世間の評価・レッテルに対してサザンがどういうマーケティングをして、どう動いたか。これもまた面白い。本当に桑田佳祐って人はただただ評価されたい人だから、当時から今に至るまで徹底的に市場調査をした上で、自分なりの思考や音楽性を盛り込んで曲を作ってると思うんです。コレを自然にやってるのか意図的にやっていることなのかは分からないけど、とにかくマーケティングが本当に上手い。そのキッカケが3rdシングルの「いとしのエリー」。3枚目の時点でもう「世間が抱いているサザンオールスターズ像」を見極め、それが本当に自分たちの進みたい道なのかを精査し、そしてこの路線のままで「バンドとして」評価されるのかを推考し、世間の評価を180度変えてやろうとしてリリースされたのが「いとしのエリー」。勿論、本書でも言及されていたことではあるのだけれど、桑田が原由子に贈った曲だとか、そういう「制作された経緯・文脈」というのも確かにあるのだけれど。「勝手にシンドバッド」→「気分次第で責めないで」と来たら「思い過ごしも恋のうち」に向かうのが当時なら自然なことだった。その「当たり前」をぶち壊したのがサザンであり桑田佳祐だったのだと。

サザンオールスターズが世に放たれた78年から85年までの音楽業界の変遷も面白い。78年当時はピンクレディー絶頂期、そしてキャンディーズ解散直後であり、アリスあたりが音楽業界を牽引していたのが、80年にはピンクレディー解散、松田聖子がデビュー、82年には小泉今日子中森明菜、シブがき隊がデビュー、そして1985年には米米CLUBやTUBEがデビューする...とまあこの期間だけで目まぐるしい程に音楽業界は変わり続け、そんな激動の中をサザンは戦い続けたのだと。最近ではサザン本隊とソロを交互に繰り返すことで半ば休み休みとも捉えかねられない活動形態とはいえ、今でも音楽業界の第一線で活躍し続ける彼らは、ピンクレディーから欅坂46まで、アリスからSuchmosまで、40年間様々なミュージシャンと同じ土俵で戦い続けている。正直、決して勝ち続けてきたバンドではないと思います。永遠の二番手というか。それでも「戦い続ける」事に意味がある。「戦い続けてきた」ことで今の盤石の地位、「国民的バンド」と呼ばれるまでに至った。こんなバンド、日本音楽史上でも片手で数えれるほどしかいない存在。

本著では、特に著者であるスージー鈴木さんの思い入れも強い楽曲なのか、「勝手にシンドバッド」そして「メロディ(Melody)」を初期サザンにおける2大楽曲として物凄くフューチャーしています。

 これはとても面白い考察であり、なるほど納得するところが多かったです。是非そこは本を実際に手にしていただきたいところなのですが。もう1曲、個人的にここに追加したい曲が「夏をあきらめて」。

夏の名曲、と聞いたときにどんな曲を思い出しますか?たとえば、それこそ先ほどから名前が挙がっている榊原郁恵の「夏のお嬢さん」とか、最近ならゆずの「夏色」(最近か?)、SMAPの「BANG!BANG!バカンス!」、YUIの「SUMMER SONG」、湘南乃風睡蓮花」...みたいに。ミュージシャン毎に細かいディティールは違えど、大体「夏!海!テンション上がる!!イエイ!!」みたいな曲じゃないですか。カラっとした聞き味というか。勿論そういう曲が良い悪いの話じゃないですよ。でも日本の夏ってそんなもんじゃなくて。ジメジメしてて、なんか曇ってる日もあるし、台風とかめっちゃ来るし。そういう「日本的な夏」を描いた楽曲って少ないんですよね。というかだからこそそういう「ジメジメ感」を払拭するためにカラっとした曲がよく作られているんでしょうけど、最早逆に形骸化している。って中でこの「夏をあきらめて」。極めて日本の夏を俯瞰して、客観的かつ情景的に描かれていて。

波音が雨雲が近付く

2人で思い切り遊ぶはずのオンザビーチ

きっと誰かが恋に破れ

噂のタネに邪魔する

君の身体も濡れたまま 乾く間もなくて

海に訪れたのに雨が降ってきて遊べなかったカップルという「器」に、「日本的な夏」である、雨降りで湿度の高い夏を感じさせるようなサウンドを重ね合わせたことで、このカップルはこの後もう二度と会うことは無いんじゃないか。曲中に明確な言及はないけれど、このカップルの行く先までもが酷く暗澹としているのでは?と思わされてしまう。一種の「夏うた革命」を起こしたのが「夏をあきらめて」だ。こういうカタチの「夏うた」はなかなか表れなかったけど、それでも一番近いな、「"2代目"夏をあきらめて」だなと個人的に思っているのがindigo la Endの「夏夜のマジック」なので、サザンファンにはそちらも是非聞いてほしいところ。

本著では「熱い胸さわぎ」 から「KAMAKURA」までの全8枚に及ぶオリジナルアルバムに収録されている全曲を5点満点で判定、スージー鈴木さんによる全曲レビューがなされています。初期サザンを語る時に結構多くの人が、とりわけ当時を経験していれば経験している人ほど「KAMAKURA」を支持する傾向にあるな、と個人的には感じていて。無論、「KAMAKURA」は当時はまだ浸透していく過程にあった「電子音」「コンピュータサウンド」を随所に散りばめるだけではなく、全編において実験的な曲ばかりで、途轍もない「意欲作」ではあるのだけれど、個人的には「名作」ってとこまでは言い難いな~と思ってて。だからサザンにおけるある種の「KAMAKURA中心史観」みたいなものは(ちなみに本著には「はっぴいえんど中心史観」なる言葉が出てくる)個人的にはよく分かんねぇな~とも思っていて。どうやらそこはスージー鈴木氏も同じだったのか、「KAMAKURA」を「才能の暴発」と評し、★4つという判定。これは個人的にはスゴク納得でした。やはり僕にとって初期サザンで1番のアルバムは「人気者で行こう」。

人気者でいこう(リマスタリング盤)

人気者でいこう(リマスタリング盤)

 

KAMAKURA」の「電子音」「コンピュータサウンド」の萌芽を感じさせつつ、圧倒的な頭3曲の流れに驚かされ、ラストの「Dear John」で今までに無いような音作りに驚かされる。本著を読んで「Dear John」の斬新さすら感じさせるような音作りは八木正生氏の功績であることを知り、初期〜中期サザンはやはり自らが素材となり、様々な料理人=アレンジャー、プロデューサーに料理され続けた結果が現在の国民的バンドたる由縁だということを改めて気付かされました。そういう「気付き」「今までに無かった視点」を与えてくれるから重度のサザンヲタクでも読む価値アリです。

評価に関しては、曲単位で行けばもう全く自分とは気が合わないなこの人...みたいなのも沢山あったんですけど、むしろそれでいいんです。全ての人の評価が合うわけが無い。片方にとって大絶賛の曲でも、片方の人にとってはメタメタにこき下ろす対象の曲だったり。それが面白いんですよね。そのためにこうやって僕はレビューを書いてるし、鈴木氏は執筆したのでしょうし。個人的には「逢いたさ見たさ病めるMy Mind」は初期サザンの最高傑作の一つだと思ってます。

強いて、本著に対して要らない文句を付けるとすれば、必死に粗探しをするとすれば、82年紅白での三波春夫メイク事件と14年紅白炎上事件はその質が全く違うものなので同列で語られるのはちょっとな...とか思ったけど、こんなのはもうね。ほんのちょっとの話なので。

終章にてスージー鈴木氏は「初期サザンは、未だにきっちりと総括されていない」と記していました。本当にその通りだと思うし、なんなら初期に限らずサザンオールスターズそのものがそうだとも思う。ずっと第一線だからこそ「伝説」になること無く、それ故に総括されることも無かったなと。奇しくも僕がこの本を手に取った翌日、サザンオールスターズ2017年の新曲がテレビで解禁になった。38年振りに三ツ矢サイダーのCMに抜擢された本曲は、それこそ「10ナンバーズ・からっと」の頃のような「初期サザン的」ナンバーで、サザンの源流を感じさせるものだった。サザンはまだまだ「伝説」にはならない。いつまでも第一線で活躍し続ける彼らをずっと見つめていたい。

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サザンオールスターズ 1978-1985 (新潮新書)

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