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【音楽コラム】桑田佳祐の3.11支援活動に見る音楽と人間の関係性

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2011年3月11日、14時46分。貴方は何をしていただろうか?

僕はちょうどその日入試の都合で高校が休みで自宅に居て、なんとなくネットサーフィンをしてたら眩暈がしてきて。「おいおいパソコンの弄り過ぎかよ…」なんて思って壁に手をついたら家ごと揺れていて、ビックリして急いでYahooを立ち上げたら震源が「東北」って書いてあってドン引きしたことをよく覚えている。ここ愛知だぞって。その後、自分の母校に出かける予定があったんだけど、先生方もそれどころじゃないといった感じで早々に帰宅した。もう随分前の事なのに、今でもはっきり覚えている。

3.11。あれから6年も経つのに、未だにその記憶は鮮明に焼き付いてるし、まだまだ解決しない山積みの問題だらけだし、新たな問題も浮上している。我が国の首相は「復興した」なんて声明を出したみたいだけど、冗談じゃねーぞ。なんて思う。「復興」なんて簡単に口にするもんじゃない。東日本だって、阪神淡路だって、広島や長崎だって。様々な思いを胸にしている人がいる限りは「復興した」なんて、少なくとも僕は口が裂けても言えない。

3.11が日本にもたらした影響は山のように、下手すりゃ星の数ほどある。それは芸術や文化的なモノにも当然言える事で、例えば昨年大流行した「君の名は。」や「シン・ゴジラ」は明らかに3.11が起きなければあり得なかった作品だろう。3.11を経たからこそ、ああいうテーマが映画のど真ん中に据えられたのだろうし、3.11を経たからこそ日本中でヒットしたのだ。こういう書き方をすると「3.11があってよかったって言いたいのか!?」なんて言われそうだけどそんなこと微塵も思ってなくて、もし仮に震災が起きないパラレルワールドが存在したらそこではそこで他の良い作品が生まれているんだろうなって思う。3.11という全ての日本人の心に深く切り刻まれた傷があるからこそ出来るものがあった、というだけの話だ。

音楽業界においても、3.11をキッカケで様々なミュージシャンがアクションを起こした。RADWIMPSは毎年のように追悼曲をYouTubeにUpし続けたし、様々なミュージシャンがチャリティーライブを開催した。斉藤和義は自らの持ち歌の替え歌で「ずっとウソだった」と、東電や政府を批判するような歌を作った。是非はともかく、様々なミュージシャンが様々な方法で3.11を踏まえたアクションを起こした。

そんな中で僕は桑田佳祐の支援の在り方をピックアップすることで、音楽と人間の関係性をも考えることが出来ればと思う。何が正しい、何が間違ってる、これこそが正しいとかそんなことを言いたいんじゃなくて、一つの在り方として桑田佳祐の支援活動を紹介できれば、その先で音楽と人間の関係性を見つけることが出来ればと思い、こういうテーマを取り上げる。時系列に沿って振り返ろうと思う。

①「チーム・アミューズ!!」結成、「Let's try again」リリース

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震災が起きて間もない段階で、福山雅治からのメールをきっかけに、アミューズに所属するミュージシャンや俳優を中心に制作されたチャリティー楽曲が「Let's try again」だ。世の中には様々なチャリティー楽曲があるが、「Let's try again」はエンターテイメントにパロメーターを全振りしたような作品。「勝手にシンドバッド」~「サウダージ」~「島人ぬ宝」~「桜坂」~「ポリリズム」という新旧アミューズベストセレクション!!みたいなメドレー、Perfumeによる「私はピアノ」のカバー、佐藤健仲里依紗三浦春馬とフレッシュな俳優・女優の面々が揃った「Runner」など、文字通り豪華な面々が顔を揃え、エンタメに特化した作風になっている。時折、この作品に対して、それはまあつまるところ制作の中心にいた桑田佳祐に向いたものなんだけど、批判的なコメントを目にする瞬間がある。その大半は「マンピーのG★SPOTを被災地に贈るなんて馬鹿にしてるのか」なんて内容だ。確かに、楽曲後半に岡野昭仁ポルノグラフィティ)、福山雅治比嘉栄昇(BEGIN)がマンピーのG★SPOTを歌う部分があり、それがどうやら「不謹慎」らしい。いや、言いたいことが分からないわけでもない。「マンピーのG★SPOT」って普通の状態でも(ある種)不謹慎な曲だ。何故桑田はこんな構成のチャリティーソングを作ったのか、何故桑田は「マンピーのG★SPOT」なんて曲をチャリティーソングに組み込んだのか。答えは「笑顔」「笑い」「明るさ」にある。3.11のような大災害が起きると笑顔や笑いを忘れがちだ。とりわけ、3.11においてはその最たるもので、各メディアから総じて「笑顔」が消え失せていた。音楽界においてもその例に漏れず、様々なチャリティーソングのどれもこれも「喪に服す」じゃないけど、どこか悲しげな雰囲気が漂っていた。そんな中でこういう「笑顔」や「笑い」をテーマにできるのは桑田ならではだろう。だって「マンピー」面白いじゃん!少なくとも僕は正しい選択の1つだと思う。音楽は人を笑顔にする。人々が忘れかけてた笑顔を桑田は思い出させてくれた。

なによりも、このCDの売上収益のすべてはアミューズ募金を通して寄付された。極端な話をするが、被災地にとって何が一番必要と言ったら、やっぱりお金だろう。曲の内容でああだこうだと揉めることで被災地に何か助けになるのだろうか?そんなことより纏まったお金を寄付する方がよほど被災地のためになるだろう。そういった意味でも僕はこの活動をチャリティーの1つの在り方として素晴らしいと思う。

②「明日へのマーチ」リリース、宮城での復興支援ライブ開催


桑田佳祐 - 明日へのマーチ

「チーム・アミューズ!!」でのCDリリースから4か月後の8月、桑田は1年ぶりのシングル「明日へのマーチ」をリリースする。そして9月10日11日、ちょうど震災から半年の節目の日に「宮城ライブ~明日へのマーチ!!~」を宮城・グランディ21で開催。前年、桑田は大病を患い活動を止めていた。このライブは桑田がライブという場に復帰する瞬間でもあった。また、会場となったグランディ・21は震災直後遺体安置所として使用されていたこともあり、このライブが一般利用再開後初のコンサートとなった。こうした様々経緯があり、桑田佳祐史上でも、日本のライブコンサート史上でも今までに無かったような意味のあるライブになった。そんな中で「明日へのマーチ」はライブの核となる曲として機能した。「マーチ」とは行進曲の意。過去を振り返ることで未来へ思いを馳せるこの曲は、桑田の震災への強い思いが込められている。

 願うは遠くで生きる人の幸せ

 このなんてことの無い歌詞の「遠くで」の部分が「東北で」と聞こえ、実際にライブ会場で歌詞が表示されるときは「東北で」と歌詞が表示されている。この何気ない事がどれだけ東北の人の心を支えたんだろう。

「明日へのマーチ」を含むトリプルA面シングル、「宮城ライブ~明日へのマーチ!!~」、そして公演のライブDVD。このすべての収益の一部は赤十字社を通して被災地に寄付された。前述した通り、被災地にとって必要なものはやはりお金だ。「チーム・アミューズ!!」のように100%とはいかなくとも、被災地にとって必要なものをちゃんと寄付し続けることで、気持ちの持ちようだけじゃなくてストレートに復興の手助けをしているのも、音楽の一つの可能性であり、桑田佳祐だからこそ出来る支援だろう。

ソメイヨシノの記念植樹、そして「約束」

2012年3月10日、桑田は改めてグランディ・21を訪れ、3本のソメイヨシノを植樹した。命のはじまりや新しいスタートをイメージさせる桜の木。先に載せた写真はその桜の写真だ。1年というひとつの節目、たったひとつだけど確かな節目の日に植えられた木。この桜が宮城、ひいては東北の復興の象徴としていつまでも咲き続けることを僕は願う。

植樹の際に、Date FMから生放送で自らのラジオ番組を全国に発信した桑田は「仙台でまたライブをしたい」と話した。その「約束」を桑田は守り続け、12年の9月15日16日、「宮城ライブ」から丁度1年の頃、自らのツアー「I LOVE YOU -now & forever-」の初日及び二日目公演を開催。グランディ・21の舞台に再び立つことになる。そして翌年にはサザンオールスターズとして宮城スタジアムで復活ツアーの千秋楽を開催、15年にはツアーの一環としてグランディ・21に三度サザンとして舞い戻った。ここまででも既に桑田の漢気というか、約束を果たし続ける様に涙腺を刺激されてしまう。だが、桑田の復興支援への取り組みはこれだけに留まらない。

④女川さいがいFMでのサプライズライブ

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女川さいがいFMは、東日本大震災の大津波で流出してしまった防災無線に代わる伝達手段として開局された臨時災害放送局だ。2016年3月29日をもって放送が終了されることを知った桑田が同26日に女川へ訪問、女川温泉ゆぽっぽという町営の温泉(女川町駅舎の2階にある、なんとも珍しい温泉だ)でサプライズライブを開催、その模様はTOKYO FMで生放送され、女川さいがいFMでもサイマル放送されるなど、東北を中心とした日本中のリスナー、そして女川町民を大きく巻き込んだアコースティックライブとなった。

そして29日、女川さいがいFMが閉局する日。最後の放送に女川町長が出演し、最後の1曲としてサザンオールスターズTSUNAMI」が流された。その際町長は「震災後、自粛を余儀なくされてきたが、待ち望んだ1曲」「その曲に罪があるわけじゃない。歌い継がれ、語り継ぐことに意味があり、人々の心に響く」と語ったそうだ。そして、OAに対する抗議や苦情といった手紙やメールは一切なかったという。この両者の関係性に僕は涙してしまう。強い絆のように互いに思い合っている。それは決して最初からそういう関係だったわけではなくて、震災というきっかけがあって、そこから桑田が積み重なてきたものが5年経って、まるで桜の花のように芽吹いた。そんな感慨だ。

女川でのサプライズライブの直後、熊本で震度7を観測する地震が発生した。東北程ではないにせよ、熊本城の一部が倒壊するなど被害は甚大だった。その後発売されたシングル「ヨシ子さん」の初回限定盤にはには女川でのアコースティックライブの音源が収録された。その初回限定盤で発生する収益の一部は東日本大震災及び平成28年熊本地震における被災地復興支援活動などの資金として寄付された。それはまるで、東日本から熊本への「音楽のリレー」のようだった。今でもなお、東日本大震災の爪痕は消えてなくならない。新たな問題、解決していない問題も沢山ある。熊本にだって目を向けなくてはならない。そんな中で僕は、桑田佳祐の「音楽を通して人を励まし続ける活動」を見習いたいと思わされる。音楽は人を笑顔にする。感傷的な思いにさせる。時には怒りすらも。とても人間らしい文化だと思う。人間の生理に根差した文化だ。世界の終わりと言いたくなるくらい絶望した時にこそ、音楽は人を励まし、立ち上がる手助けをしてくれる。それを桑田佳祐という人は震災を通して実践し続けてきた。日本は今窮地に立たされている。世界情勢はどんどんきな臭くなる一方で、いつ戦争になってもおかしくないだろう。こんな時だからこそ僕は、好きな音楽を口ずさんでいたいと思う。


桑田佳祐 - 愛しい人へ捧ぐ歌

 

ヨシ子さん (初回限定盤)

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