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ついに「桑田流ポップス」はここまで来た!新Sg「ヨシ子さん」【桑田佳祐】

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桑田佳祐のニューシングル「ヨシ子さん」。ソロとしては3年振りの作品だが、発売前から巷の話題を掻っ攫っていた表題曲「ヨシ子さん」だけではなく、収録曲全てが流石のクオリティだった。「え、これミニアルバムですよね?」と思わず言いたくなるような大ボリューム&ハイクオリティ。早速収録曲に迫っていきたい。

 

①ヨシ子さん

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「チキドン」という歌詞のリフレイン、「フンガ」「上鴨そば」というポップスでは聞き慣れない単語のオンパレード、クラクラするような打ち込みサウンド、インド音楽やダブなどの多種多様な音楽ジャンル、それも意図的に無国籍に近いモノになるようなジャンルを混ぜ合わせたメロディ、不穏な女性コーラス。これらの要素を全てごちゃまぜにして煮込んで出来上がったのがこの「ヨシ子さん」だ。まさに混沌。でも、絶妙なバランス。サザンオールスターズとして「葡萄」という、「意味」を非常に大切にした作品を作った桑田佳祐が、今度はソロとして「無意味」「ナンセンス」な作品を作り出したのだ。「葡萄」を作った桑田佳祐サザンオールスターズに限らず、今の邦楽は歌詞をかなり重視する傾向にあるように思う。だからこそ彼自身も「葡萄」で意味を大切にした作品を作ったのだろうが、その上で「無意味」な作品を提示し、その作品でMステのトリを務める。邦楽業界にとっても意味合いはかなり深いのではないだろうか。それも、ただ無意味なのではなく、時勢を踏まえたり、自らのルーツを歌に散りばめる「流行歌手・桑田佳祐」としての心意気もしっかりと感じさせる。「EDMたぁなんだよ 親友(Dear Friends)?」「"いざ"言う時に勃たないヤツかい?」「"サブスクリプション"まるで分かんねぇ」「"ナガオカ針"しか記憶にねぇよ」EDMやサブスクリプション、まさに今の日本音楽業界には欠かせないワードだ。日本音楽界のトップに君臨し続ける桑田佳祐だからこそ今の業界を俯瞰して見た上で彼なりのやり方で風刺するような形で歌詞に盛り込んでいるのだろう。一方で、ボブ・ディランデビット・ボウイという桑田が憧れたスター達の名前も出てくる。「流行」と「歌い手自らのルーツ」という相反する事象が混在する歌詞も、意味があるようで無いような。つまり「ヨシ子さん」とは「意味」が無い、という「意味」のための楽曲なのではないだろうか。と、思っていたところロッキング・オンが運営する音楽ニュースサイト、RO69でもこういったレビューが書かれていた。よければこちらも併せて読んでみて欲しい。

並のミュージシャンならこんなに攻めた楽曲は作れないし、ましてシングルA面でリリースしようなんて思わないだろう。桑田佳祐だからこそ出来た作品であり、彼の経験値があったからこそA面として発売し得たのだと思う。また話題をかっさらっていけるバイタリティも密かに、でも確実にこの曲には存在している。賛否両論巻き起こるような作風なのは事実だし、初聴だと殆どみんな「うっわドギツイな」と思うだろう。僕自身も、そしてTwitterのフォロワーのみなさまも概ねそんな反応だった。だが時間が経つに連れて誰も彼もが「チキドン」「フンガ」の虜になっていった。それこそがこの曲の持つ「秘めたパワー」なのではないだろうか。

 

大河の一滴

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「デジタル歌謡ロック」な1曲。サスペンスらしい緊張感のあるピアノとシンセサイザーの旋律に打ち込みの4つ打ちが混ざり合うイントロは圧巻の一言。昨年の「葡萄」は歌謡曲を前面に押し出したアルバムになっていたが、この「大河の一滴」もまた歌謡曲のテイストを盛り込んだ作風だ。「歌謡曲」と一口に言っても色々なパターン、色々なジャンルに分けられる。「葡萄」も「大河の一滴」も歌謡曲テイストなのは共通した点ではあるが、それぞれで全く趣の違った作風になっている。歌謡曲というジャンルのすべてを網羅せんとばかりの振り幅の広さにただただ脱帽だ。歌詞も2010年代以降の、「愛しい人に捧ぐ歌」「栄光の男」あたりに代表される「大人の哀愁」「大人の切なさ」を踏まえて「大人の深み」、さもすれば「諦め」にも近い変化を感じさせる、それこそ「熟成」からこの曲のテーマでもある「円熟」への遷移をそのまま言葉にしてしまったような歌詞が特に強烈だ。

「時の流れは冷酷だよね 男は自惚れ(エゴイスト) 女は自由人(ボヘミアン) 」

歳を重ねれば重ねる程に男性は自らのエゴを他人に押し付けるようになり、女性はそれこそ勝手と言いたくなる程に自由になる。それは死が着実に近付くなかで、自分の最期を少しでも良いものにしたいが故にそうなってしまうのだが、時としてそれは残酷な程に己の首を絞める事となってしまう。

「身を削りながら生きることも 忘れ去られながら老いてゆくのも 優しい素振りや醜しい癖も 世間にとっちゃナンの意味もない」

自分という存在は世間にとっては1mmの価値も無いという事を突き付けられている気に(桑田佳祐が「世間にとっちゃナンの意味もない」ってことは正直あんまり無いよなぁと思うけど)なるのだ。桑田自身が還暦を迎えたからこそこういう本質、つまり真理に(この楽曲が使われているUCCのCMのテーマは"本質の追求"だそうだ)たどり着いたのかもしれない。男女の違いも、世間に対して自分という存在のギャップも「本質」なのだと。そんな「本質」をまざまざと突き付けられても、「夢よもう1度」「渇いた心に命与えて」と歌う諦めきれなさも切ない。

「人波に押され溺れながら 子供らはどんな未来描くの?黒い瞳の見つめる先に 何が待ち受けているのでしょう?」

この歌詞にもグッとくる。少子高齢化が進み、若者より(桑田自身を含めた)高齢者の意見が通るようになりつつある、という時勢を踏まえると尚のこと感じるものがあるのではないだろうか。ボブ・ディラン曲の邦題が詞に散りばめられた2番Aメロも押さえておきたいポイントだ。こんなにシリアスな、現実月付けっぱなしの歌でも彼なりのお遊びを含めた歌詞にリスペクトの念を感じずにはいられない。

 

③愛のプレリュード

 

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プレリュードとは「前触れ・前兆」という意味だ。その名の通り「愛のプレリュード」は「自分の恋心に気付く瞬間」を描いた歌である。60歳を過ぎてもなお、ここまでキュンとくる、高校生の恋愛みたいな歌詞を書けるのかと関心する。それどころか45~50歳あたり(多分「キラーストリート」のあたり)の頃のラブソングに比べて確実に若返っているように思う。勿論、こういう作品が出てくる頻度はかなり下がったように思うが、「幸せのラストダンス」「彼氏になりたくて」あたりの高校生から20代後半くらいの恋愛観に近い詞が未だに書けるのって相当凄いことと思う。これはひとえに桑田佳祐の「童貞的妄想力」の高さが故の事ではないだろうか。思えば桑田佳祐という人はデビュー当時からずっとエロスについて歌ってきたけど、そこにどうも現実味があまりないというか。妄想とか、ある種の中二的な精神で歌詞書いてるんだろうなと思ってる。そのデビュー当時から鍛えられた妄想力がここに来て「爽やかポップス」に転換されてるのではないだろうか。無論、エロスとは違ってラブソングに関しては彼自身の経験もある程度は加味されてると思うけど、60歳を超えた、ハッキリ言って「おじいちゃん」の範疇に足を踏み入れた人がここまで爽やかで「キュン」という形容詞が似合う歌詞が書けるという事はホントに素晴らしいなと。桑田佳祐にはいつまでもこう在り続けて欲しいものである。

サウンドと構成はかなり特異なモノになっている。前奏や間奏は桑田佳祐の愛するザ・ピーナッツの「恋のバカンス」にも近い、まさに歌謡曲のド真ん中を行くような管楽器っぽい打ち込みサウンド。それ以外の部分はウクレレやギターの音が心地よい極めて簡素な、「減らしていくサウンド」。この対照的なサウンドが混在しているのが面白い。夏らしい爽やかな、桑田佳祐の十八番という感じ。下手をすると「手癖」と言われかねないような(言われてるのか...?)曲ではあるが、コンスタントにこういう曲が出てくるのはファンとしては嬉しい。彼の作るこういう爽やかなポップスが好きで僕は桑田佳祐のファンになったのだもの。

 

④百万本の赤い薔薇

桑田佳祐作品史上No.1に「イントロの開放感がスゴイ」1曲。この圧倒的な抜け感。何でかなと思ってクレジット見てみると編曲に原由子の文字。あとは「ユアタイム」でテーマソングだけじゃなくてSEとしても使ってるのも理由かな。5秒で惹き付ける事の出来る音。なるほどと膝を叩いてしまった。スッゴイ好きな感じ。今までも抜けのいい開放感のあるイントロは沢山あった。波乗りジョニーなんかはまさにその代表例だろう。でもそれらを遥かに凌駕している。もう桑田作品史上No.1のイントロと言っても過言じゃない気がする。勿論イントロだけじゃなくて全編に渡ってポップスの極地みたいな、この喩えが正しいかは分からないけど「聖歌」みたいな尊さすら感じるアレンジ。流石は日本ポップス界のトップに君臨する桑田佳祐。歌詞は...嫌いじゃない。全体を見渡せばスゴク好き。

「愛の言葉をひとつ 君にあげるとしたら 恥ずかしそうな笑顔に いついつも恋してる」「命ある限りに 君の幸せ祈って」「おやすみする前君は 決まって僕を見つめて 優しい微笑みくれる」

という歌詞は結婚式なんかに超似合いそうだし

「「愛と平和」なんてのは 遠い昔の夢か」

にハッとさせられ

「強くあれと言う前に 己の弱さを知れ」

という歌詞に自分の不甲斐なさに打ちひしがれてしまう。

だけど「紗椰」がやっぱり気になってしまう。市川紗椰さん。サザンファンで鉄ヲタで美人。正直めっちゃ好み。でも曲中に出て来るっつーのは...。現在進行形の番組に出てる人だからかなぁ。時が経てば気にならなくなるのかもしれないけど、少なくともリリース直後の今はかなり気になってしまう。今後次第かな。とにかく王道ポップスとしては桑田佳祐作品史上でもトップクラスなのは間違い無い。最高の一言。

 

大河の一滴(TV Edit)

2曲目の「大河の一滴」では間奏に男女の(男性は桑田本人)セリフがインサートされる。のだけど、個人的にはここいらねぇなぁと思ってて。女性のセリフの話し方がスゴク演技臭いのがめちゃくちゃ気になるのだ。どーしても。なのだが、このTV Editはセリフの無いバージョン。間奏のシリアスなピアノとオルガンの掛け合いをより楽しめる。

 

ここからは初回限定版のみに収録されたボーナストラックについて記す。

⑥東京(TOKYO Big Band Session)

2002年リリースの「東京」。その前までの作風とは一転したシリアスな歌詞とアレンジに、1音を伸ばして歌う異様なメロディ。リリース当時のファンが騒然となったであろうことは想像に容易い。それから14年経った2016年。WOWOWの特別番組「偉大なる歌謡曲に感謝 〜東京の唄〜」の中でこの「東京」がアレンジを改めて披露された。これはその音源を収録したものなのだが、コレがもう素晴らしいのなんの。タダでさえシリアスさ、さもすれば狂気さえ宿っている「東京」にストリングスとホーンセクションをこれでもかとぶち込み、原曲の良さはそのままに、曲に秘められたシリアスさ・狂気っぷりをより増幅させんとばかりにストリングスとホーンセクションが鳴りまくっている。明るさなんて微塵も感じさせない、まるでドス黒い深淵の様だ。楽器が泣き叫んでいるような錯覚を覚える。特にラストサビの前の一瞬は鳥肌モノだ。是非今後ライブで「東京」を披露される際はこのアレンジでお願いしたいものである。

 

⑦風の詩を聞かせて(Live at Onagawa Station -2016.03.26-)

⑧明日へのマーチ(Live at Onagawa Station -2016.03.26-)

明日晴れるかな(Live at Onagawa Station -2016.03.26-)

3月末に閉局となった「女川さいがいFM」を労うために宮城県は女川町で行われたシークレット・サプライズライブ。このライブの模様の一部は桑田のラジオ番組「やさしい夜遊び」でも流されたのだが、ボーナストラックとして音源化された。正直言って楽曲としての目新しさは特に無い。前述した「東京」の様な激しいリアレンジという訳ではなく、あくまでもアコースティック編成でのゆったりとしたライブだ。とはいえ、東日本大震災直後から積極的な被災地支援を行い続けた桑田。震災から5年が経ち、完全な復興はなし得ないのに震災の事実が風化していく中で、未だにこうした支援活動を行う桑田佳祐は尊いなと思わされる。選曲も未来を感じさせるような、被災地支援にピッタリな3曲だ。「風の詩を聞かせて」は被害に遭って亡くなられた方々への鎮魂、「明日へのマーチ」「明日晴れるかな」は言わずもがな、今なお被災地で震災と戦い続ける皆様への労いのための音楽。東日本大震災、そして今年発生した熊本地震。何があっても挫けずに、負けないで欲しいなんて他人事のようだけど。この3曲を聞いて改めて強く思ってしまった。

 

 

シングルでこの大ボリューム。新曲4曲、それも全曲A面クラスの出来ってだけでも充分なほどお腹いっぱいなのに、既存曲の新音源も充実。配信やサブスクリプション市場が本格的に盛り上がってきたからこそ、「CDシングル」としてのクオリティはしっかり担保してある。特に新曲群はどれも繰り返し繰り返し聞きたくなるような曲ばかりだ。前述したWOWOW特番ではこのシングルには収録されなかった新曲も披露されたとのことで、アルバムへの期待がグングンと高まっている。楽しみで仕方ない。