【CDレビュー】「呪い(のろい)」と「呪い(まじない)」【Base Ball Bear「二十九歳」】

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Base Ball Bear「二十九歳」。Base Ball Bear史上1番のボリューム、そしてBase Ball Bearがデビュー当時から歌い続けてきたテーマを1度総括するかのような作品だ。
Base Ball Bearの活動コンセプトとして「普通って何?」という裏テーマのようなものがあった。生きていく上で絶対に避けられない「普通」。いつだって人間は「普通」にまとわりつき、まとわりつかれながら生きている。酷く鬱屈で、その癖愛おしい。そんな恋人のような普通。気にしないだけで、いつもすぐ傍にある普通。「普通=平凡・退屈」ではなくて、「極端さの間の揺らぎ」。そんな普通について、1度総括するかのように歌ったのがこの「二十九歳」という作品だ。
 
①何才

「空き箱を開けて閉めて 何もないってわかってるけどまだ知りたい 知りたいよ」「ゴミ箱を漁りなおして 何もないって分かってるけどまだ知りたい知りたいよ」

natalie.mu

 そう。だから僕がやりたいことって「ギターロックってこういうことだよね」という幅を広げることにあって。一般的なギターロックのイメージって、8ビートで疾走感のあるサウンドみたいなところから始まっていると思うんですけど、それを拡張していくというか。「ギターロックってどこまでギターロックって言えるんだろう?」っていう。

 既に音楽業界の共通認識としてある「ギターロック」というジャンルはやり尽くされていて、彼らは「ギターロック」というジャンルを活動を通して押し広げている。今では主流となった「4つ打ちダンスロック」はBase Ball Bearが祖のひとりだろう。デビューした瞬間から彼らは「ギターロック」というジャンルを押し広げていたのだ。デビューから8年もの歳月を経て、改めて彼らは「ギターロック」というジャンルを押し広げようとしている。何故それほどまでにギターロックに固執するのか。それは彼らがギターロックを愛しているからだろう。だからこそこのジャンルをより面白くしようとしているのだ。歌詞に出てくる「空き箱」「ゴミ箱」はギターロックというジャンルそのもの。何もない、けれどまだ何かあると信じて疑っていないのだ。

「淀みからメロンソーダまで翔け抜けたい 理屈じゃない」

「淀み」と「メロンソーダ」は相反する極端なものの表れ。その両極端を追いたいけれど、願望で留まってしまっている辺りに僕は共感してしまう。「極端さ」を追えないから僕たちは「普通」で在り続けてしまう。「間」で居続けてしまう。

「欲しいのは全てと言ったらいけないのかな」

本当は何もかもが欲しいけど、叶わない。「何もかも欲しい」とか言っちゃう自分が「普通」過ぎて嫌だ。でも言いたい。そんなアンビバレンスな感情を抱えて次曲へと向かう。

アンビバレントダンサー


Base Ball Bear - アンビバレントダンサー

「なんてアンビバレンス どちらとも言えず」

「"嘘だけどTruth 本当だけどFalsehood"」

「"嫌いだけどMiss you 好きだけどHate you"」

「交代で来る絶望と希望だ」

「"大体すべてTruth 大体すべてFalsehood"」

まさにアンビバレント。まさに相反する感情。矛盾のようで、でもこれこそが普通。どんな人でも1度は感じてしまう感情。好きだから嫌いになって、嫌いだから好きになる。3分前まで自分の中に満ち満ちていた希望が、なんの脈絡も無く一瞬で絶望に変わる瞬間。結局全て真実で結局全て嘘。これぞ「両極端の間」。

ファンファーレがきこえる(Album mix)

16thシングル。

「いつものように目の前に線を引いてみりゃ大体が そりゃあ、気持ち悪いことばっかりなんだよ」

「いつものように目の前に床ばかり見てりゃ毎日が そりゃあ、気持ち悪すぎる程 地獄なんだよ」

繰り返す毎日、日常への不満。

「思い切ってちゃぶ台をひっくり返せりゃいいけど そんなことも自分に赦せやしないんだ」

「人に告げず 遠くの町に逃げたくもなるけど 守らなきゃいけないものも、締め切りも、契約もある」

このつまらない日々にピリオドを打つためのアクションを起こしたいけれど、結局縛られた鎖でそれすら出来ない。

「屋上で寝ころんで夢を語った僕らは 貯金と精神(ハート)切り崩しながら もがいてる」

「六畳で寝ころんで夢にうなされる現在(いま)も 悔しいほど信じ続けてる いつか...」

あの頃描いた夢を今でも諦めきれないから、もがき苦しんでいる。

「アニメ化希望!のリアルタイムと ドラマ化希望!のストーリー持って 自分の人生(せかい)の主役になりたい 映画化希望!の絶体絶命 大爆死でも大逆転でも 答えを出さなきゃいけないんだ」

僕たちはこの広い世界の主役には到底なれないけど、自分の人生の主役は絶対に自分。たとえどんな結果になろうと、自分のストーリーの答えは自分で出せよ!と自分を鼓舞するように言い聞かせている。

「僕らには輝く権利がある 明日がある」

④Ghost Town


Base Ball Bear 「Ghost Town」

インタヴュー | Base Ball Bear

同調圧力」について歌われた曲だと僕は解釈してる。僕が住んでるような田舎街は、「地元意識」「帰属意識」がめちゃくちゃ強い。多分小出さんも自分の地元に対して同じような事を感じていたんじゃないだろうか。(上に挙げたティザー映像でもそれを感じることが出来る)いくら大きな都市に出ていっても、結局地元に戻ってくる。やりたい事や夢を捨てて、地元に残る。「夢なんて叶わない」という潜在意識が勝手に蔓延して、「どうせ東京なんか行っても何も変わらない」という刷り込みがされる。「だったら地元に残って地元の為に働こう」「みんな残ったり戻ったりしてるから僕もそうしよう」という考えに無理やり矯正される。別に本当に地元が好きでより良くしたいから残る、ってんなら構わない。けど、他人の勝手な刷り込みでそういう人が増えていくのは紛れもなく「同調圧力」だ。「みんな地元残ってるよ?『普通』皆残るんだよ。お前だけ夢を追いかけるの?馬鹿じゃねぇのww」的な同調圧力。冗談じゃない。ここまでハッキリと「地元帰属という名の同調圧力」について歌ってくれたBase Ball Bearに僕は感謝しかない。常常僕は地元が大嫌いだし、「地元帰属という名の同調圧力」も死ぬほど嫌いだった。そういう同調に負けないようにこの曲を戒めとして生きていきたい。

⑤yellow

http://www.youtube.com/embed/11RPbqh9_s4?autoplay=1


Base Ball Bear yellow

タレント(アイドル?)との恋路を歌った曲...なんだけど、やけに不穏。yellowっつーかblackに近い音像とメロディ。「yellow」と言いながらも「檸檬」というワードを使わなくなったあたりが「十七歳」ではなく「二十九歳」への進化を窺える。これは実体験を踏まえての歌詞なのだろうか。インタビューを読んでも「yellow」に関しての記述は少なかったので本当のところは小出祐介のみぞ知る…といったところだろうか。

⑥そんなに好きじゃなかった


Base Ball Bear - 「そんなに好きじゃなかった」Music Video

このアルバムのリードトラック。Base Ball Bearには珍しく日記調の歌詞で、1番と2番で真逆の内容になっている。これも「両極端」を表現しているのだろう。映画「500日のサマー」を見ていた小出とそのマネージャーが、鑑賞後に映画について喋っていた時に「まあ色々あったけど、結局そんなに好きじゃなかったってことでしょ」とマネージャーが言った事がキッカケでこの楽曲が制作された。そのエピソードをキッカケに僕も「500日のサマー」は鑑賞したが、なるほどこれは確かに「そんなに好きじゃなかった」だ。興味のある方は是非。楽曲はオールド感漂うエイトビートアメリカンロック、といった感じだろうか。一見するとありきたり、でも確かな経験と技量が無ければ出来ない作風だ。8年間で多種多様な作品を作り出してきたBase Ball Bearだからこそ出来た作品。

⑦The Cut feat,RHYMESTER(Album mix)


Base Ball Bear - The Cut -feat. RHYMESTER-

小出の憧れのミュージシャンであり、今では盟友(?)の1人でもあるRHYMESTERをフィーチャリングした「The Cut」のアルバムミックスバージョン。よりソリッドになった音と歌詞がまたいい塩梅でマッチしている。これこそまさに「ギターロックの幅を広げる」作品だろう。下手なミクスチャーロックで終わるのではなく、あくまで「ギターロック」にラップ表現を加えて、その上でどこまで「ギターロック」で在れるか。まさに「挑戦」という言葉が似合う楽曲。今までになかったものを作り出す、という意味ではまさにクリエーターの姿勢として真っ当だと言える。RHYMESTERならではの批評的な文脈を受けて、小出作品としてはこれまで無かった様な「現代人批評」的作品になっている。小出はむしろ、「怒り」を抱きがちな人だった。それなのにこの作品まではそれを昇華出来ていなかった。この「The Cut」があったからこそ、この後制作された「それって、for 誰?part.1」が出来たのではないだろうか。


Base Ball Bear - 「それって、for 誰?」part.1

⑧ERAい人


Base Ball Bear  ERAい人

「The Cut」でも出てきた「ERAい」というワードが頻出する、このアルバムの中でも1番音像で言えば「カオス」という言葉が似合うような楽曲だ。

「ERAい”僕たち”は同じ服が来たくて」

「ERAい“僕たち”は同じ恋がしたくて」

「ERAい””僕たち”は同じアプリ使いたくて」

「ERAい”僕たち”は同じことが言いたくて」

「ERAい“僕たち”は同じ人になりたくて」

「ERAい“僕たち”は同じ人を敵にして」

「ERAい“僕たち”は同じ流れに乗りたくて」

「ERAい”僕たち”がERAいと疑わなくて」

歌詞はこれまさに「普通という名の同調圧力」について歌っている。当然のように「同じ」モノとされ、そこから少しでもはみ出せば「普通じゃない」という烙印を押される。「普通」とはつまり「個性」の抹殺。

 ⑨方舟


Base Ball Bear 「方舟」

音も歌詞も、揺らぎの中をいったりきたりしているような感覚だ。ここでの「船」はつまり「人」そのものを指す。

「行き交う数多の豪華客船や幽霊船や泥舟や」

というのは他人。

「僕以外間違いか僕が間違いか 気にしたり気にしたり 繰り返して 勘違い場違いすれ違いを 気にしたり気にしたり 繰り返して」

普通に慣れ過ぎて結局自分も普通でいるのかを気にしてしまったり、普通とはずれた自分がどう見えるのかを気にしたり。結局人の目が気になってしまう。

⑩The End


Base Ball Bear - The End

ドラ〇エ風の世界観。ラスボスの魔王を倒した勇者のその後のような世界観を使って、「普通」というデビュー当時からのテーマをこのアルバムで描き切った、けれど僕たちはこれからも「普通」を暴き続ける、という宣言するかのような歌詞。

すでにご存じの通り、2016年3月にGt湯浅将平が脱退した。その直後の開催となったツアー「LIVE BY THE C2」、そして「日比谷ノンフィクションⅤ~LIVE BY THE C2~」ではラストにこの曲が3人体制で披露された。

「終わりはそう終わりじゃない」

「エンドロールは走馬灯じゃない」

「物語に終わりなんてものはない」

「ラストシーンはスタートロールでしかない」

「僕の人生は続く続く」

Base Ball Bearのこの先に期待せずにはいられない選曲だった。

スクランブル


Base Ball Bear - スクランブル

 これも「両極端とその真ん中」を歌った楽曲だ。「普通」とは別に「両極端の真ん中」ではない。交差点のように交わる、相反する感情や相反する人たち。

「悪い人がプレゼントを抱え家路を急いでる」

「善い人がはみだした下心で電話してるよ」

「主人公は雨の中でびしょぬれのまま慟哭」

「端役は傘をさして時間10分前に営業先へ」

いずれも逆を行くような歌詞だ。「普通」なら「悪い人」は「はみだした下心で電話」してるし、「善い人」は「プレゼントを抱え家路を急ぐ」。「主人公」なら「雨に濡れる」事はない。「端役」こそ「傘をさす」ことはしないだろう。「でもこれが普通という凶器」なのだ。勝手に「普通」というイメージを組み立て、それと反すると勝手に違和感を覚える。

⑫UNDER THE STAR LIGHT


Base Ball Bear 「UNDER THE STAR LIGHT 」

今までの割とゆったりとした流れを断ち切るような激しい王道4つ打ちロックナンバー。「PERFECT BLUE」のティザー映像とこの曲のティザー映像をと併せて見てもらえばお分かりいただけるだろうが、この2曲は対になる楽曲なので、「PERFECT BLUE」と併せて後述。

⑬PERFECT  BLUE(Album mix)


Base Ball Bear - PERFECT BLUE


Base Ball Bear 「PERFECT BLUE(Album Mix)」

2013年2月にベスト盤と同発されたシングル曲のアルバムミックス。一見すると「Base Ball Bear十八番の青春ソング」なのだが、実はダブルミーニングになっている。

「遠くで煙が昇って行く」

「君は翔んだ あの夏の日」

「凛とした青い空にとけてしまったのにね」

「つめたくなった手に触れた夜もそうだった」

「君の知らない季節がほら、はじまるよ」

「出せなかった 君への手紙」

「会いたいよ また、君に」

つまり、「自殺した少女を思う少年の詩」なのだ。「煙」とは火葬場の煙のこと。「つめたくなった手」は死後の彼女の手。こんなに重く切ない歌をここまで軽妙でポップな曲に乗せた、まさに新機軸な楽曲だった。

「だった」。つまり、アルバムに収録された段階で「そのさらに上」へとこの曲はレベルアップしてしまった。ここで先ほどの「UNDER THE STAR LIGHT」の歌詞を記す。

「零れそうな流星群 その真下を真下を駆け抜けた」

「溢れそうな暗闇 切り裂いて切り裂いて駆け抜けた」

「Falling down Falling down 君の手を引いて駆け抜けた 瞬間に瞬間に駆け抜けた」

「振り切りたくて 駆け抜けた」

「うなずいて涙した君のきらめきが 夜を彩りながら加速していく」

「もう引き返せないと静寂がささやいても この手を離さない」

「UNDER THE STAR LIGHT どこまでも 行けるはずだよ」

「ふたりこの夜空を超える風になって」

「連れてくよ 新世界へと」

「誰も知らない」

誰の目も声も届かない」

「僕らにしか掴めない」

「結末へと」

「心の中へ」

この曲はつまり、「心中を図った男女の詩」だ。そしてこの曲が配置されることで「PERFECT BLUE」は「自分から心中を図ったにも関わらず自分ひとりだけ取り残された男の詩」へと変貌を遂げる。ダブルミーニングどころの話じゃなく、トリプルミーニングとなるのだ。そして「UNDER THE STAR LIGHT」もまた、ダークさと疾走さがあるロックサウンドがこのギミックがかかることでより一層重さを増し、残酷さすら漂う歌となってしまう。このギミックを考え付いた小出祐介にただただ脱帽しかない。この一見爽やかで、それこそアニメのタイアップなんかが付きそうな2曲だが、このギミックによって後のこのアルバムの核となる楽曲への大きな橋渡しとなっている。

 ⑭光蘚(Album mix)


Base Ball Bear 光蘚 (Album Mix)

アニメ「惡の華」コンセプトE.P「惡の花譜」の書き下ろし曲のアルバムミックス。「惡の花譜」への収録や、その後すぐ行われた学園祭ツアーでの披露、そして「Tour 光蘚」と、ツアータイトルに曲名が冠されるほどで「気に入ってんだなぁ」とは思ってたけど、まさかアルバムに収録されるとは思ってもみなかった。10分近くもある大作で、明らかにBase Ball Bearの色とはそぐわない、「小出祐介」の深層心理に深く深く潜って行くような楽曲だった。しかしこのアルバムでは一転して、まさに「核」となるような力を発揮している。ここで歌われるそれは、彼自身が今まで感じてきた、でも言葉や表現に昇華出来なかった「何か」だった。サウンドは1mmの爽やかさも、ロックバンドらしい疾走感も無い、吐きそうになるくらいの重さ。そこにどす黒さすら感じる、でも痛いほど共感してしまう歌詞が乗っかるのだ。

「足りないものなど 何もないのに 足りてない」

「本当に欲しいもの 分かってないのに、足りない」

永遠と続く虚無感。何をしていても満たされない感覚。自分でも分からない、だけど満たされない。満たされたい。

「光が差し込む あの丘には君がいる」

「光を浴びたい だけど行けない 君がいる」

「丘」とはつまりカースト現代社会において身分制度は存在しないものの、「スクールカースト」という言葉に代表されるように、「精神的なカースト」みたいなものはどんな年になっても存在する。嫉妬や自分を卑下する度にそのカーストを感じてしまう。感じ続けてしまう。カースト下位の暗がりの中にいる「僕」に対して、カーストという丘の上に立つ「君」。「僕」も丘の上に立ち、「幸福」という名の光を浴びたいと願っている。

「君が待つ あの丘には行けない 行けない どうしても」

「君のその笑顔をどうしても引き裂きたくなる」

「這いつくばって だから這いつくばって」

「這いつくばって 僕は這いつくばって」

「輝くしかないから」

自分は一生懸けてもあの丘に登る事はないだろう。あの光を浴びる事はないだろう。そんなキャラでも無いし、そんな才能も無い。でも、だったら、だったらせめて、この暗がりの中でも構わない。自らが光源となって輝くしかない。輝きたい。

「君が待つあの丘に着いたら着いてしまったら」

「君を食らって」

「僕は君を食らって」

「そうだ 君を食らって」

「僕は君を食らってでも」

「輝こうとするだろう」

もし僕が君のように丘に立ってしまったら、この丘の上にしか当たらない光を、丘の下に立つ者達でも浴びれるように、僕が光源となる。そのために丘の上に立つ君を食らうだろう。

「光りたい」

「光りたい」

「光りたい」

「光りたい」

光を浴びるのではなく、自らが光りたい。本当の意味で「丘に立つ」ためには自分自身が光らないといけない。

「僕は君を食らって」

「僕は君を食らって」

「僕は君を食らってでも」

「輝くしかないから」

丘の上に立てない僕は、どんなことをしても、例え君を食い尽くしてでも、自ら輝くしかないんだ。

⑮魔王


Base Ball Bear 魔王

「光射すあの丘に 旗を立てた彼のように」

「なりたい でも なれない」

「それじゃ、僕じゃないから」

 そりゃ自分だって丘というカーストの上に旗を立てた彼のようになれるモノならなりたい。でもそれは叶わない。「彼」になってしまったら「僕」じゃなくなるから。

 「終わらない夜の中で 出られない闇に包まれ」

「変われない僕を恨んで それでも、僕でありたい」

「仄暗い森の中で つめたい風に吹かれて」

「広がる苔みたいに 僕らしく輝きたいから」

ずっと満たされぬまま永遠と続く虚無感は、やがて自らの身の周りを覆うような闇に姿を変え、その闇は僕の形をしながら「僕が変わればこの闇も解けるよ」と囁く。それでもなお、僕は変われない。変わりたくない。闇を背負ったままでもいい。僕は僕らしくいて、それで輝けばいい。

 

ここで闇は解け、『僕』は光に包まれる。

 

「いないことにされてた 僕の呪い(のろい)が」

「君の傷を癒す お呪い(おまじない)になりますように」

 

このアルバムが出た当時、とある音楽ライターが「魔王」サカナクション山口と小出の関係性を描いた曲だと書いた。実際そういう解釈だって十二分に出来るだろう。自分のライブの、言ってみれば前座としていて出演していたサカナクションは、今や紅白出場バンド。その差は歴然。勿論、「紅白に出たから偉い」などとは微塵も思わないが、小出だって思うところはあったはずだ。自分と価値観や音楽へのスタンスが同じだった筈の彼だけが、「大舞台」という名の「光射す丘」に立ち、「人気」という名の「旗」を立てた。そういった解釈だって出来る。でも僕は、「この曲は"自分らしくある"ということを歌っている」んだと思っている。誰にだって大なり小なり、人と合わせたりすること、つまり散々言ってきた「普通にすること」を経験している。でも、いくら自分を偽って「普通」になって、「光射す丘」に立ったところで意味はない。残るのはどちらにしても虚無感だろう。自らを偽り続ける虚無感。だったら、例え闇の中だろうと、自分らしく生き続ける事が出来たならば、そんなに素晴らしいことはない。まさに14曲の中でずっと「普通」について歌ってきたこのアルバムの終幕に相応しい、光射すような幕切れだ。

 カナリア


Base Ball Bear カナリア

「魔王」で終幕した物語に、優しく流れ込むエンドロール。

 

「あっという間の日々は続く」

「良いのか悪いのかでずっとずっと悩みながら」

「ぞっとするほど日々は続く」

「帳尻あわせて 折り合いをつけつづけてさ」

「それでも 自分を信じられることがあるから」

「救われるよな」

 

「両極端」は無駄だと分かっていても、「良いのか悪いのか」で人は一生悩み続ける。答えなんか出るわけも無く、みんなみんな「帳尻合わせて 折り合いをつけつづけ」る。そんな「普通」な日々の中で「自分を信じられることがあるから」人は皆「救われる」のだ。

 

「二十九歳」。僕がずっとモヤモヤとしていて、明確に言葉にできなかった何かがこのアルバムに詰まっていた。「普通」という名の「同調圧力」。僕はずっとこれに苛まれ続けてきたんだ。でも、「僕は僕らしくいればいい」。誰かに合わせる必要も無ければ、誰かと同じ道を歩む必要も無いし、誰かの模倣をする必要も無い。僕は僕でしかないし、僕のままでい続ければいいんだ。こんな単純で、でも単純故に分かっていなかったことが、このアルバムひとつで全て解消された。小出祐介の普通に対する「呪い」は、僕にとって「傷を癒すお呪い」になっていた。だから僕はこのアルバムが愛おしい。Base Ball Bearにはいつまでも「普通」を暴き続けてほしい。この人生における永遠のテーマを暴き続けて欲しい。

 

二十九歳(初回限定盤)(DVD付)

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二十九歳

二十九歳

 

 

参考ページ

natalie.mu

natalie.mu

www.m-on-music.jp

baseballbear29.com

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