【CDレビュー】(WHAT IS THE)LOVE & POP?で歌う「心の壁」【Base Ball Bear】

 

(WHAT IS THE)LOVE&POP?

(WHAT IS THE)LOVE&POP?

 

 Base Ball Bearの3枚目のオリジナルアルバム、「(WHAT IS THE)LOVE & POP?」。キラキラと輝くポップさ溢れるアルバムでありながら、ボーカルである小出祐介の心情がまざまざと吐露されているアルバムだ。全ての曲に副題がついていたり、シークレットトラックがあったり、歌詞カードもそれまでで一番凝っているのではないだろうか。それだけ気合の入ったアルバムだったと言えると思う。

インディーズ時代のアルバム「HIGH COLOR TIMES」「夕方ジェネレーション」では「未知のコード感」と評されギターロックの新しい形を提示し、メジャー1stアルバム「C」ではその初期衝動をそのままに新しいポップ・ミュージックを作り上げ、その後ロックフェスで沢山のバンドが歌うようになった「4つ打ちロック」をどこよりも早く自らのモノにしていた。2nd「十七歳」では「青春」をテーマに「どこまでも爽やかで、どこか悩ましい」。そんな「青春の表と裏」を歌った。

そしてこの「(WHAT IS THE)LOVE & POP?」だ。このアルバムでは前述したように、Base Ball Bear史上1「音のポップさ」を前面に押し出した作品だ。タイトルにもある通り、「ポップって何?」をBase Ball Bearなりにつきつめた結果と言えよう。「Stairway Generation」「changes」「神々 LOCKS YOU」「BREEEEZE GIRL」などの大型タイアップも付いたシングル群が多く収録されたこのアルバムは聞き心地がとても良い。 

 

しかし、このアルバムで歌われる本質は「究極的に言えば、結局は孤独」だということだ。以下は、ボーカルの小出祐介が「(WHAT IS THE)LOVE & POP?」について書き込んだBase Ball Bearのブログだ。

 

baseballbearblog.seesaa.net

 

baseballbearblog.seesaa.net

 

制作当時「心の壁」にぶち当たっていたボーカル小出祐介の「孤独さ」をこのアルバムでは歌っているのだ。

 小出は中高一貫の私立校に入学した。当時彼はバスケットボールをしており、その学校に入学したのもバスケをするためだった。中1の夏休み明け、(今でも原因は不明だそうだが)友人から一斉に総シカトされることになる。学校に居場所がなくなった彼は、部活も辞めてしまう。そんな中でたまたま家の倉庫を整理していたらフォークギターが出てきた。彼が音楽を始めたキッカケはそのフォークギターであり、学校で無視され続けたその「孤独さ」が彼の表現のモチベーション…とはまた違うが、大きなテーマの一つなのは間違いない。「青春」を歌うのも、彼の1mmも報われなかった青春を音楽で取り戻すためだ。

 

このアルバムが作られた当時、小出祐介は苦しんでいた。プライベートでキツイことがあり、バンドのこの先や歌いたいことが分からなくなったそうだ。その「苦しみ」がアルバムの随所で表現されている。

 

1.Stairway Generation

11thシングル。そしてアニメ「銀魂」OPテーマでもあったこの曲。「階段世代」なんて言葉遊びも面白い。イントロの歪んだベースの音とギターの弦を擦る音に否応にもテンションが上がる。しかし歌詞は「聞こえてますか?繋がれてますか?」「孤独という名の風邪 19で終わりじゃないのかい?」「高い場所登ったら 寂しさは吹き飛ぶのかい?」と歌うその意味は、「バンドを始めてそれなりに結果を出してもなお、繋がれていない気がする」「自分は本当はただ認めてもらいたいだけじゃないのか」「いつだって人は究極的に1人なんじゃないのか」と彼の内面が吐露されている。だが「階段をあがれあがれ」「上がるしかないようだ Stairway」とサビで歌うのは「それでもバンドは止められない」「だからこのバンドという名の階段を上るしかない」という決意表明だ。

2.SOSOS

アジカンの「リライト」っぽい…というのは置いておいて。ここで歌われるのは小出祐介のSOSだ。「「悲しいことは いつか終わるものだ」と」「信じずにはいられない 僕はまだ人間だから」。

3.changes<Album ver.>

7thシングル。そしてアニメ「図書館戦争」のエンディングテーマ。この楽曲でMステの「Young Guns」のコーナーにも初出演を果たした。このアルバムでは珍しく「さよなら、旧い自分」と歌う極めて前向きな楽曲なのだが、小出はこのアルバムを作った直後は「厭な曲」としていた。「最悪な精神状況にいる人は世の中に沢山いるのに、『明日は来るさ』なんて無責任なことは歌いたくない」と明言していた。ドラムの堀之内曰く、「このアルバムに収録したくない」とも言い放っていたそうだ。その想いは強かった様で、2014年に開催された「Tour 二十九歳」でも「この楽曲は嫌いだった」と話すMCが終盤に置かれていた。筆者も名古屋公演に参加したのだが、「嫌いだった」とした上で「でも『新呼吸』制作時にはこの楽曲の様な気持になった」「『新呼吸』にもう一度この楽曲を収録したかったくらいだ」「この曲があったからこそ今があるのだと思う」と言い、この曲を歌っていた。そのMCがあった上で聴く「changes」はとても良かった。いつものchangesとは一味も二味も違った聞こえ方をしていた。楽曲としてはBase Ball Bearらしい4つ打ち。<Album ver.>ではボーカル以外の各パートが録り直されている…とのことだが、聴いた感じはボーカルも所々録り直している気がする。詳細は不明だ。個人的にはシングルVerのほうが迫力があって好きだが、好みの範疇だろう。楽曲が終わると次曲の「神々 LOCKS YOU」のアコースティック弾き語りがAメロのみインサートされる。小出が路上で弾き語りしている体で歌詞も変わっている。「夕方世代を 行き過ぎる僕も ようやく胸をなで下ろしました 暗黒時代に背を翻し 僕は助かったつもりでした」(筆者聞き取り)。この曲間について小出は「厭な曲に聞こえていた『changes』『神々 LOCKS YOU』を打ち消したい気持から入れたモノ」としていた。

4.神々 LOCKS YOU

「魑魅魍魎」なんて普通のポップソングでは出てこないような単語が飛び出したりもするのだが、曲は爽やかな仕上がり。「神様になったらって妄想するくらい変えたいモノもばかりだけど、それに背を向けて夢を追おうぜ」なんて歌ってる、こちらも極めて前向きな曲だ。しかし「changes」でのインサートでこの曲の聞こえ方も変わってくる。

5.LOVE LETTER FROM HEART BEAT

甘酸っぱいラブソング。一聴するとピアノ...というよりはキーボード、シンセサイザーに聞こえるようなイントロだが、ギターでこの音を出している。これが後々「yoakemae」のような「同期や打ちこみっぽいギター音」に繋がるのだろう。歌詞は1番は甘酸っぱい恋の始まり、2番は恋の別れとその後。後の「そんなに好きじゃなかった」の1番2番で真逆のことを歌う構造を彷彿とさせる。「カナダより彼方より あなたに届けたい」「紙飛行機、成田より あなたへ飛ばしたい 心よりの恋便り あなたへ飛ばしたい」という言葉遊びも面白い。

6.ホワイトワイライト

マチュア時代の楽曲をリアレンジしたもの。歌詞カードを見るとアマチュア時代の歌詞も一緒に載せてあるのだが、全く違うモノに書き直されていることが分かる。「『暗い未来はいらない』と願うけど、叶わない。」そんな小出の内面が窺える。

7.BREEEEZE GIRL

10thシングル。「シーブリーズ」のCMソングらしく、爽やかさの頂点と言いたくなるくらいに気持ちの良い夏うた。単なる恋愛モノではなく、意味のある歌詞というよりは映像的で「セーラー服を着た女の子がいる夏」なイメージが彷彿とされるような仕上がりでまさに「レモンスカッシュ感覚」。とにかくキラーフレーズがてんこ盛りというか。「一秒で十分なんだ ディスティニー感覚」「君はそう女の子の 最高傑作」「涼風ガール 夏いね」。なんとも感覚的で、でもどこか納得してしまう気持ちの良さ。

8.LOVE MATHEMATICS

8thシングル。元々はアルバム用の楽曲だったそうだが、制作進行の状況の変化でシングルとしてのリリースになったそう。恋愛を数学に喩える発想は小出ならでは。「数学似だが 恋ってやつは 公式にない 恋がしたいのさ」と歌いながらも「この例えどうだ」とイマイチ自信のない感じが妙に面白い。ライブでは必殺のアッパーチューンとして終盤に置かれることが多いが、2015年春の「二十九歳+一」では前半のピークに置かれており、その意外性に驚いた覚えも。

9.SIMAITAI

このアルバムでも一番歌詞で遊んでいるなぁという楽曲。実際小出も「一番遊んだ楽曲」と語っていた。歌詞カードを見てもなかなか面白い。歌詞に(注:~)なんて記載があるのは芸が細かいなぁと思わされる。

10.海になりたい part.2

インディーズ時代の楽曲に「海になりたい」という曲があるが、それとは歌われる内容も背景も全然違うモノになっている。「大体の期待は外れるし 汚れずに生きるなんてできやしないけど」「胸に抱いた氷はなかなか解けないけど」と歌いながらも「涙の後に笑顔が待っていると信じているから すべてを包む 海になりたい」と歌うのはやはり小出祐介なりの「心の壁」という呪縛から解き放たれたい意思みたいなものなのではないのだろうか。

11.レモンスカッシュ感覚

「例えばラブ 例えばポップ 第六感でときめいて」と歌うこの曲はこのアルバムのタイトルでもある「ラブとポップって何?」へのアンサーとして機能している。つまり「愛もポップさも理屈じゃない」ということなのだろう。だからこそ一生愛を人は追いかける。小出祐介もまた「愛」に飢えていたのかもしれない。恋愛とかそういうモノとはまた違った愛。個人的にかなり好きな曲なのでまたライブで聴きたいなと思う。

12.ラブ&ポップ

この曲と次のシークレットトラックである「明日は明日の雨が降る」だけこのアルバムで異彩を放っている。このアルバムは全編にわたってボーカル小出祐介の「心の壁」「孤独さ」を歌っていた。それでも「Base Ball Bearらしさ」の一つでもある「小出祐介ならではの彼にしか書けない歌詞」は忘れていなかった。しかしこの曲ではそれすらも捨て去り、直接的にハッキリと「孤独と繋がり」を歌っているのだ。

 

「繋がりたい」口にする 理由(わけ)もわからずに

「求めている」気持ちが躍動している

「何がしたい」続く続く繰り返しの先に

「繋がりたい」だから僕は歌っている

 

彼は誰かとの繋がりを求めていて、だから歌を歌い続けているのだと明確に歌いきっているのだ。

これには賛否両論あるのだろう。この記事を書くにあたり、他のレビューサイトを覗いてみたりもしたのだが、「この曲とシークレットトラックだけは彼ららしくなかった・彼ららしい文学的な歌詞でこれを表現するべきだった」と否定的な意見も目にした。

しかし僕はこれで良かったと思う。本当に歌いたいこと・伝えたいことはハッキリ歌ってしまうほうがいい。それにこれを文学的に歌っても仕方ないんじゃないかなと思う。

そしてこの曲が終わり3分の無音の後、雨のSEのインサートの後にシークレットトラックが始まる。

12.5 明日は明日の雨が降る

以下はこの曲の歌詞だ。

 

絶望に呑まれたとか そんなんじゃない
暗がりに気付いただけ ただそれだけなのに
悲しくも寂しくもないが 虚しい
満たされた明るい毎日なのに
煮え立つ暗い闇に響かない

明日も雨は降るのだろう
あの壁の向こうで笑う 自分を思ってみる だけど
誰かと僕も繋がれたら 求めれば 求めるほど 理由などないことが虚しくなる

期待なんてしてないとか 言い聞かせてる
それでもどこか待ってる 自己矛盾が繰り返す
泣きたいのに何故だか泣けない
込み上げる感情の波が来ない
さらにもうひとつ気付くときがこわい

Ah まだ雨は降るのだろう
あの壁の向こうで笑う 自分を思ってみる だけど
誰か僕を助けてよ 求めれば求めるほど
僕は僕のことが嫌になってくる

悲しくも寂しくもないが 虚しい
そもそも LONELY 終わりなんて来ない
僕はいつも 僕とひとりきり

明日になれば泣けるのかな
あの壁の向こうで笑う 自分を思ってみる だけど

明日も雨は降るのだろう
涙と思ったら雨だ
明日は明日の雨が降るよ 雨が降るよ
今 目の前の壁 濡らす心の雨
究極にひとりだね 煮え立つ心の影
すべてが期待はずれ そのくせ期待していて
体の中の風 止まない心の雨

 

ここまでハッキリと「目の前に壁」「虚しい」「究極にひとり」「すべてが期待外れ」「止まない心の雨」「助けてくれ」だと歌っているのだ。明確に歌い上げているのだ。ついさっきまで「涼風ガール 夏いね」なんて歌っていたアルバムだと思えないくらいだ。このアルバムの制作時、彼にどんな事があったかは知る由も無い。しかしここまでハッキリと自分の内面を吐露した楽曲と言うのは聞いたことが無い。聴いているこっちが辛くなりそうなくらいだ。この曲はボーカル小出祐介の「表現」という名の究極のリハビリでもあるのだ。

ちなみにこの楽曲、歌詞カードには曲名の記載が無いのだが、CDのどこかに実は副題と一緒に書かれている。是非探してみてほしい。

 

まとめ

このアルバムの制作前、ボーカル小出祐介は「次のアルバムはこれまでになくポップなものにしよう」と考えていた。しかし制作途中のディレクターの入院により制作予定が大幅に変更になった。その間に様々なタイアップが決まり、その結果大いに悩むこととなってしまったのだ。「タイアップ満載のとにかくポップで売れそうな作品を作るのが自分のやりたいことなのか」と。その結果アルバム製作が再開した時には「これまでになく暗い作品にしたい」と真逆の考えに至っていた。そして壮大なコンセプトアルバムにしようとも。結局そこまでには至らなかったものの、その名残は完成版にも残っている(M3~M4間のインタールードなど)。と、同時にかなりポップな作風に仕上がっているのも事実だ。その「究極に両極端な二面性」を持ったアルバムであり、そういう意味でいえば十分に「コンセプトアルバム」として機能していると思う。

「初めてBase Ball Bearのオリジナル・アルバムを聴く」と言う人には聞いてほしい一方で、彼ら、特に小出祐介の人となりやバンド活動へのキッカケを知り・このアルバムに秘められている背景を知ってから聴いてほしいという想いもある。彼らは「自分たちの歌いたいことややりたいこと」を「楽曲」に転換することがとても上手で、それ故に「歌いたいことを歌っていない」「売れ線な曲を歌っている」ように思われるかもしれない。特にこの時期はタイアップが沢山ついていた時期でもあるので尚更そう感じる人も多いだろう。が、実は随所で「自分たちの歌いたい本質」の片鱗を見せている。ただこの作品だけに関しては「歌いたいこと」が行きすぎてしまった感は否めない。だが、これがあったからその後の「新呼吸」や「二十九歳」が出来たと考えれば、このアルバムの聴き方も変わる気がする。