映画「HERO 2」は何故イマイチだったのか

結論から先に言う。



薄い。
限りなく原液少な目で作ったカルピスを飲まされているような感覚。



検事と事務官で構成された城西支部のメンバーの軽快かつ巧妙なやり取りは健在だし、雨宮こと松たか子の復活も確かに嬉しい。

しかし、最初から最後まで大筋の問題が同じで、これと言った展開が無いままで解決してしまう。あるとすれば大使館への潜入と、その結果大使館に捕まる...ってとこだけど、あの段階であの無茶な潜入をする時点である程度失敗の予想はついてしまう。寧ろアレが成功する展開だったら裏切られ方ハンパねぇ!!ってなるんだけどな。
例えば、ドラマ版第一期でキャスターへの脅迫の容疑をかけられた若者が、やってもいないのに警察に執拗に追いかけられた結果自殺してしまうって話があって、アレはまさか自殺してしまうとは見てるこっちも夢にも思わなかった。例えば、映画1作目で雨宮が連れ去られる→アッサリ脱出、みたいなのもあれはあれでイイ裏切りになっていた気がする。そういう視聴者へのイイ意味での裏切りが圧倒的に足りていなかった。ずっと映画が1本道といった感覚。

あとは、途中で木村拓哉演じる久利生がダンプに轢かれるシーンがあるんだけど、割とガッツリ轢かれてる割には包帯の1つもしていなくて「あんな轢かれ方してるのにんなわきゃねーだろ!!!!」とめちゃめちゃツッコミたかった。超人かよ。

ダンプに轢かれるシーンや、そのダンプを特定するシーンは1作目のセルフオマージュになってたんだけど、そんな安っぽいことしなくてもいいのになと思った。踊る大捜査線」なんかはこの辺がめちゃめちゃ得意で、同じ宅急便をシリーズ通して出していたり、ある台詞をシリーズ通して使っていたり、劇場版1作目の名ゼリフを2作目で新しい敵キャラが皮肉に使ったり、その2作目の名ゼリフをスピンオフでモブキャラがパロディしていたり、そういうのはおー上手いなぁと思うしそれこそが「踊る大捜査線」の強みである「お祭り感」の一つの要因な訳だけど、HEROに至ってはかなりそれが下手だなと思った。「屋台に突っ込む車」も「車両特定の際に車のなかを走り回る犯人と検事」も1作目のセルフオマージュでありセルフパロディだけど、「あーはいはい」くらいにしか感じることができなかった。

「HERO」って本来ならそんなことに頼らなくても十分面白くできるコンテンツじゃないの!?と思ってしまったからだと思う。

今回の劇場版だと、法廷シーンが無い。終盤のシーンでそれを補完するような画にはなるけど、あくまで補完でしかない。法廷シーンが無いことも物足りなさの1つの要因になっている気がする。若しくは前作なら黒幕がタモリだったり、松たか子の実の父である松本幸四郎が弁護士役として出てきたり、映画の前に放送されたSP版から綾瀬はるか中井貴一が出てる感じとか。絵ヅラだけで「おおーすごいなー」と感心してしまったのだが、そういうキャスティングの妙も今回は少なかったように見えた。


そのすべてひっくるめてとにかく薄い。ひたすらに水飲んでるようだった。コーラ飲みたかったわ。